遠目からでもその大きさがわかる街など、初めてだった。
密集する民家がまるで壁のように街の外縁を作り、煙突から漏れる煙で空は薄っすらと陰り、細い路地を子どもたちが走り回っている。
そしてひとたび目を正面に移すと、そこはラインハット城に続く目抜き通りで、まるで人々が川の流れのように連なり、歩いていた。買い物袋を持った住人がいる、大きな背嚢を背負った旅人もいる、馬もいるし、荷車も多く行き交っていた。
興味津々――というよりは、あまりの巨大さに圧倒されて、アランは何かの呪いにでもかけられたかのように周囲を忙しなく見回していた。口は半開きで、言葉はない。
「アラン」
パパスに声を掛けられてもしばらく気づかないほどだった。
「迷子になってはいけない。さあ、乗るのだ」
「え?」
最初、何を言われたのか理解できなかったが、しゃがんだ父の背中を見て、肩車をしてくれるんだとようやく理解する。頬がだだ緩みになるのを、アランは必死に堪えた。
恐る恐る、乗る。するとチロルが軽い身のこなしでパパスの背を駆け上がり、アランの胸元、ちょうどパパスの頭の天辺に陣取った。
ふんっ、とパパスが立ち上がる。
途端、世界が大きく広がった。
「うわぁ……」
今までは人々の腰しか見えなかった景色が、今はどこまでも広い。
「ここがラインハットの城下町。どうだ、大きいだろう」
「うん……すごいよ」
「ラインハットは大国だが、閉鎖的ではない。こうして人々に門戸を開いている。だからこそ、これだけの人が集まる」
人の自由な往来は平和の証なのだとパパスは言った。戦や、モンスターから防衛を余儀なくされるところでは、こうした街作りは不可能なのだ、と。
すごいね、チロルすごいね――しきりに相棒に向かって語りかけるアランの様子に、パパスは微笑んだ。ふと、空を見上げる。
「ふむ……。お伝えしていたよりもずいぶん早く到着してしまったな。日はまだ高いが……アランよ」
「なぁに、お父さん」
「今日のところは一度宿を取り、明日、改めてお伺いを立てようかと思っている。構わぬか?」
「おうかがい?」
「これほど大きなところだ。陛下もお忙しいことだろう。いきなり訪ねるのではなく、一度来訪の旨を伝え、それから登城するのだ」
「難しいんだね」
「儀礼というものだな。それに、久しぶりの長旅だっただろう。アランは体を休める必要がある。せっかくだ、この街を見学するのもよかろう」
「え? いいの!?」
「うむ。城への伝達が終われば、私も体が空くからな。一緒に街を見て回ろう」
「やったーっ」
諸手を挙げて喜ぶアランにつられ、チロルも「にゃー」と尻尾を立てた。
それからアランたちは、宿を取る前に城へ連絡するため、街中にある詰所を訪れた。ここに控えている兵を通して言伝を頼む仕組みである。
パパスが担当の兵士と話し込んでいる間、アランは詰所の入り口に腰掛けてチロルと遊んでいた。そこへ、一台の馬車がやってきた。箱形の荷台も車輪も頑丈な拵えで、華美というより実用を重視した造りである。
扉が開き、小太りの男が現れる。何とはなしに横目で様子を見ていたアランは、首を傾げた。どこかで見た記憶があったのだ。それは相手も同様だったようだ。
「んん? 坊や、君はどこかで……」
「アランよ、待たせたな。手続きが終わったので宿に――む?」
そこへ、兵士との話を終えたパパスが出てきた。詰所の入り口で小太りの男と鉢合わせる。男はアランとパパスを交互に見て、やおらに何かを思い出したようだ。
「お、おお! 思い出しましたぞ。あなたはほら、ビスタ港でこの子と一緒に船を降りられた……」
「…………おお! あなたはもしや、ルドマンさんですな?」
「覚えていていただけましたか! いや、これは奇遇ですなあ! その節は、我が娘が粗相をいたしまして」
「いえ。……しかし、ご一行は船で別の大陸に渡られたのでは?」
「はは。実は色々ありましてな。娘たちをこちらにある教会に送り届ける最中なのです」
「教会?」
「ええ。見習いの修道女として、まあ何と言いますか、花嫁修行をさせているのですが、今回高名な教師様がここラインハットに来られてお話をされると聞きましてな。ちょうど商談で足を運ぶ用がありましたので、勉強がてら、預け先の修道院に無理を言って連れてきたのです」
盛り上がる大人たち。その背後で、小さな影が馬車の中に見えた。アランがそっと覗き込むと、かつてビスタの港で出会った可憐な少女二人が、驚いた表情でこちらを見つめていた。