デボラの姿は、意外に早く見つかった。宿の廊下の奥、裏庭に面した窓枠に腰掛けていたからだ。しれっと「遅かったじゃない」と言う彼女は、まるでフローラがここに来ることを待っていたように見えた。
息を切らせるフローラのすぐ隣に立っているアランを見て、デボラは「ふぅん」とつぶやいた。
「あんた、確かアランだっけ。あんまり気にしてなかったけど、よく見ると小魚みたいに変な顔ね」
「こざ……?」
「もう姉さん! アランに失礼でしょう?」
「おやー、フローラと仲良くなってんだ。あんたなかなかやるねぇ」
デボラの言っていることがよく理解できず、隣で顔を赤くするフローラの態度もいまいちピンと来ないアランは、思ったことを素直に口にした。
「でも僕はデボラとも友達になりたいと思ってるよ?」
「は?」
口をあんぐりと開けて固まるデボラ。直後、彼女は腹を抱えて大笑いし始めた。
「ぷははははっ! 何だいそれ! あんた本気で言ってんの? こりゃ驚いた。ははははっ!」
「姉さん!」
「いやいや、あたしはあんたを気に入ったよ。変な顔の上に変な奴だなんて、すっごく面白い! 特別にあんたを下僕にしてやるから、感謝しなさいよ」
指を突きつけられた。何となく、あんまり褒められていないことは理解できたアランは眉間に皺を寄せ、首を傾げた。
するとフローラがぽつりとつぶやく。
「姉さん。それじゃあ言っていることがヘンリー様と同じですよ」
「あ!? あたしをあのクソガキと一緒にすんじゃないよ、フローラ!」
途端に激昂するデボラ。アランがフローラを見ると、彼女は曖昧に笑った。フローラにとってもあまりよい思い出ではないらしい。
「とにかく! フローラ、アラン。ついておいで」
「どこに行くの?」
「決まってんじゃない。面白いところ、よ!」
言うなり、彼女は身を翻した。窓から外へひらりと出る。そこから手招きをするので、アランとフローラは顔を見合わせ、仕方なく後についていった。
デボラの言葉は正しかった。
初めての巨大な街を、同世代の友人と駆け回るのは、アルカパでビアンカと歩いたとき以来だった。デボラはこういう遊びにかけては天性の才能を持っているのか、彼女が行くところではアランもフローラも、そしてチロルまでも大いに楽しめた。もっとも、それ以上にはらはらしたりむかむかしたりすることが多かったが。
出店を冷やかし、変わった形をした民家を間近で見ようと庭へ侵入し、路頭で行われていた迫力ある興行に目を輝かせて――そうこうしているうちに、気がつくとアランたちは見知らぬ裏路地へと迷い込んでいた。
「あたしが道を覚えているから、だいじょうぶよ」
とデボラが胸を張るが、何となくフローラは心配そうだった。それに運動が苦手な彼女のこと、だいぶ疲れがたまってきたようで、若干顔色も悪かった。
そろそろ戻ろうよ、とアランが提案したときである。
すぐ近くの家から、物が崩れ落ちる音が聞こえてきた。硝子の類も含まれていたのか、けたたましい破砕音まで混ざっていた。
直後、くだんの家からひとつの影が飛び出してくる。凄まじい速度でこちらに向かってきて――アランたちの数歩手前で、ぴたりと止まった。
がしゃん、と鎧が擦れる音が聞こえた。アランたちは目を見開く。
異様な姿だった。
全身を甲冑で覆っている。使い古しているせいか刀身の輝きがくすんでしまった長剣を右手に握り、そこにあるはずの左腕は肩からごっそり無くなっていて、代わりに大きな盾を体(たい)側(そく)に密着させるように装着していた。
そして、何より。
『彼』がまたがっているのは馬ではなく、巨大なスライムだったのだ。
「ス……」
フローラが青い顔をする。
「スライムナイト……! 魔物の騎士が、どうしてこんなところに……!」
「へぇ。こいつがねえ」
怯える妹に比べ、姉は挑戦的な笑みを浮かべている。まさか素手で相手をするつもりなのだろうか、拳を作って掌に叩き付けている。
うっすらと毛を逆立て、静かに警戒心を露わにするチロルの横で、アランは銅の剣に手をやった。だが、抜くことはしない。彼の視線は、馬代わりのスライムが加えている小さな麻袋に向けられていた。険しい表情を浮かべながらも、そのスライムがアランたちと対峙するのを嫌がっているように見えたからだ。それはスライム上の騎士も同様だった。
隻腕のスライムナイトは剣の切っ先をアランたちに向けると、良く通る声で言った。
『人の子よ。怪我をしたくなければ、そこをどきなさい』
口調は丁寧だが、それは紛れもない『警告』であった。