小説『ドラゴンクエスト? 〜天空の花嫁〜 《第一部》』
作者:wanari()

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 アランの全身が緊張する。あの声はマリア、そしてヘンリーのものだ。
「アニキ……」
「君はそこにいるんだ」
 髭男が止める暇もあればこそ、アランは駆け出した。靴もない裸足の状態で、凹凸の激しい地面の上を、他の奴隷たちを躱しながら風のように走る。
 その先に見えてきたのは、鞭を持った奴隷監視人二人とうずくまるマリア、そして肩を怒らせたヘンリーの後ろ姿だった。
 彼は腹の底から絞り出したような怒声を上げた。
「てめぇら、よくもマリアを! 今度という今度はもう我慢ならない!」
「ヘンリーさん、やめて!」
 マリアが悲痛な声で言う。すでに多くの奴隷たちが遠巻きにし彼らの様子を眺めている。皆、一様に不安そうだった。
「また貴様かヘンリー!」
「何度俺たちに刃向かえば気が済むんだ。ええい、腹立たしい奴めっ!」
 奴隷監視人が勢い良く鞭を振う。ヘンリーは体を捻って躱そうとするが、しなる鞭の先が容赦なく襲いかかり彼の体を薄く刮(こそ)いだ。
「くぅ……!」
「ほれほれ、大口叩いた割には何だその様はっ。ほらっ!」
 やはり武装した男二人が相手では分が悪すぎる。ヘンリーは闘争心に燃えた目を向けていたが、彼の体には次々と傷が付けられていった。周囲の奴隷たちから押し殺した悲鳴が漏れる。
「はははっ。この際だ、我らに刃向かった報いとして今日は徹底的にいたぶってやる。これで身の程を知るが良いわ!」
「やめてぇぇっ!」
 マリアが奴隷監視人の足にすがりつく。だが邪険に蹴り飛ばされ、彼女は呻き声を上げた。その様子に再びヘンリーが激昂する。
「お前らぁぁぁっ!」
「甘い!」
 つかみかかろうとしたヘンリーを一人の監視人が鞭で拘束する。その間に残った一人が懐から短剣を取り出し、ヘンリーの腕目がけて振り下ろしてきた。
 ヘンリーの顔に初めて緊張が浮かぶ。
 だが、次の瞬間――短剣を持った奴隷監視人は横から飛んできた拳の直撃を受け、無様に地面に叩き付けられた。
 ヘンリーとマリアに喜色が浮かぶ。
「アラン!」
「アランさん!」
「二人とも、大丈夫か?」
 奴隷監視人を殴り飛ばした手を握りしめ、アランは二人に声をかけた。驚いたもう一人の奴隷監視人が鞭を握る力を緩めた隙に、アランは鞭の拘束から親友を助け出す。すぐさま呪文を唱えた。
「――、ベホイミ」
 奴隷としてここに連れて来られた老人から教授を受けた中位回復呪文。ヘンリーの体からみみず腫れが嘘のようにひいていく。彼は鼻先を指で拭った。
「へへ、きっと来てくれると信じてたぜ」
「ヘンリー、これは」
「ああ。あいつら、マリアに難癖付けて鞭で叩きやがった。しかも二人がかりで、いつもの倍近くだ。狙ってたとしか思えねえ」
 ぎろり、とヘンリーは剣呑な視線を奴隷監視人に向ける。マリアが自分の足でこちらまでやってきた。アランは彼女にもベホイミの呪文をかける。
「あ、ありがとうございます。アランさん」
「マリア、下がってて。ヘンリー、君はマリアの側にいてあげて」
「俺も行くぜ。まだまだ腹の虫が治まらないからな」
「……! 二人とも、もうやめてください。私なら大丈夫ですから」
「そうはいかない」
 アランはきっぱりと言った。
「大事な親友と、その大切な人を傷つけられたんだ。僕は戦うよ」
 拳を構える。型も何もない立姿だが、それは見る者に言いしれぬ威圧感を与える空気をまとっていた。彼の横で、ヘンリーもまた拳を握る。
 ――奴隷監視人の顔色は、赤を通り越して紫色になろうとしていた。あまりの怒り、屈辱に震えているのだ。
「アラン……貴様、もう許せん! そこに跪けッ!」
 監視人たちが一斉に襲いかかってきた。アランは表情を変えず、自ら前へ出る。
 振われた鞭が描く複雑な軌道を読み切り、三歩で相手の懐に飛び込む。慌てて振り払おうとする監視人の手首を掴み上げ、そのままがら空きの鳩尾へ肘打を叩き込んだ。
「……う、げぇ!」
「こんのっ、殺してやる!」
 もう一人が短剣を振り上げる。
 アランの表情は変わらない。
 あのスライムナイトから感じた剣士の威圧感も。
 闇の魔導師ゲマから感じた圧倒的な邪気も。
 この男からは微塵も伝わってこない。恐怖など抱くはずもなかった。
 アランの掌が奴隷監視人の胸に触れる。刃が振り下ろされるより前に、彼は高速で呪文を唱え終わった。
「――、行け! バギ!」
 風の刃が掌から迸る。武装の至る所を切りつけられ、奴隷監視人は悲鳴の尾を引きながら数メートルも吹き飛ばされた。
 ――背後に殺気。
 口元から涎を垂らした男――さきほどアランに肘鉄をまともに食らった監視人が、目を血走らせて短剣を突き出してきた。
 速くはない。威勢が良いのは見た目だけで、大して剣に力は籠もっていない。アランは盾のように腕を掲げた。たとえそこに突き刺されても、大したダメージにはならないと確信したのだ。
 と、再び男は横合いから拳の一撃を受けて昏倒した。会心の一撃を見せたヘンリーが親指を立てて笑っていた。
 アランとヘンリー、背中合わせて構えを取る。
「すげぇ……」とどこからか声が漏れ聞こえた。やがてそれは取り巻きの奴隷たちの間に広がっていき、どよめきに変わっていった。
 負けるな、やってしまえ、アラン様頑張って、ヘンリーそこだ――彼ら彼女らの声が、ひとつ残らずアランたちの背を押し始めた。反対に奴隷監視人は戦闘意欲を削がれ、うろたえた表情で地面に尻餅をついている。
 そのまま勝負が決まるかと思った、そのとき――
「やめんか、貴様ら!」
 その場に広くとどろき渡る怒声が響いた。
 見ると数人の奴隷監視人がこちらに歩いてくるところだった。アランたちが叩きのめした男と違い、城下の衛兵のように身なりを整えている。その手には背丈ほどの槍が握られていた。
 お兄様……と後ろのマリアがぽつりとつぶやく。
 その声が耳に届いたのかどうか、マリアの兄はアランたちを一瞥すると、すぐに奴隷監視人の所に向かった。厳粛な表情で問い質す。
「おい。これはどういうことだ?」
「へ、へえ……そこの奴隷女がヘマをやらかしたんで灸を据えてやろうとしたら、突然奴らが刃向かってきたんです」
「……んだと、このっ!」
「ヘンリー」
 アランは親友を制した。すでに構えは解いている。ヘンリーも渋々ながら口を閉ざした。
 マリアの兄である奴隷監視人はしばらく黙って何かを考えていたが、やがてこう言った。
「お前たち、そこの娘の手当をしてやれ。女とは言え、無用の怪我で動けなくなっては作業に差し障りがある」
「え!? いや、あのしかし」
「聞こえなかったか? 手当をしろと言ったのだ。それでお前たちが無様な姿を見せていたことには目を瞑ろう」
 その言葉を聞き、奴隷監視人たちは一様に冷や汗をかいて青くなった。そそくさと立ち上がり、マリアの元に行く。ヘンリーは慌てた。
「お、おい。マリア……!」
「それから」
 遠ざかっていくマリアに追いすがろうとしたヘンリーとその隣に立つアランに向かって、奴隷監視人は厳しい声を出した。
「そこの二人は牢にぶち込んでおけ!」

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