【第九話:今の私 前編】
「代表候補生……私がですか?」
「ああ。その話が日本政府より出ている。尤も、まだ決定ではなくその候補と言ったところだがな……どうかしたか?」
「いえ、その……責任とか嫌だなって……」
職員室。生徒にとって入りにくいその場所で秋穂は千冬の話を聞いていた。
かなり大切な案件だが、周りの教師への配慮がないことを見ると既に周知の事実なのかもしれない。
そんな事を思いながら秋穂は慎重に言葉を作る。
「ほら、私の周りって代表候補生が多いじゃないですか。だからその、みんな大変そうだし……」
腕を組んだまま正面に立っている千冬はそうだな、と前置きした後で秋穂の言葉を肯定した。
自身がその地位よりも更に上にいたこともあり、その言葉は何よりも、誰よりも、重みがある。
「確かに代表候補生ともなれば今以上に責任がついてまわるだろう。国家を代表する者とはそういうものだ。だが悪いだけの話じゃない。代表候補生になれば――」
「や、やっぱり無理ですよっ!! それに私なんかより適任な人は沢山いますし!! し、失礼します!!」
千冬の言葉を遮るように話すと頭を下げて職員室を飛び出していく。
なんだ? と周りの教師が騒ぎと勘違いしている中、千冬は秋穂が出ていった扉をしばらく見つめていたのだった。
『春日秋穂。
上記の者を日本国の代表候補生に推薦する』
日本政府よりIS学園に届けられた通知はこの学園においては珍しくない。が、一年のこの時期にその通知が届くことはほとんどない。異例と言ってもいい。
しばらく見つめた扉の向こうに何を感じたのか、千冬は推薦状を破棄することはしない。
誰にも聞こえない溜め息が何を意味するのか、分かる者がいるはずがなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はぁ……」
「秋穂、どうした? 体調が悪いのか?」
「ううん。何でもないよ!! こうやって海に行くのもいいなーって」
窓の外から見える景色は本当に綺麗で、いつも校舎に囲まれている私たち生徒には余計に綺麗に見える。
そんな綺麗な光景を前にしても、私のテンションはいまいち上がってこない。理由は分かってる。
――代表候補生。
その推薦の話が私に来てるって聞いたのはつい先日の話。勢いで断っちゃったけど、こうして今も悩んでるってことは後悔してるのかな?
自分の事だけどよく分からない。
「具合が悪くなったら早めに言えよ?」
「ありがとう、一夏君」
心配してくれる一夏君に笑顔を返すと納得してくれたみたい。
……悩んでても仕方がないよね。断っちゃった話だし、これが後悔だって言うならそれはそれでいいのかもしれない。
別にISだけが私の世界じゃない。ISがなくても友達は友達で、大切なことは変わらないんだから。
だから別にいいって、そう思う。
……お父さんやお母さんは怒るかも。
「ちゃんと話せば分かってくれるよね?」
「……秋穂? やっぱり具合が――」
「さぁ一夏君!! テンション上げていくよー!! 海は目の前だよー!! 新しい水着で一夏君を悩殺しちゃうんだから!!」
バーン。と言いながら両手で一夏君を撃つ。
はぁ……何で一夏君にはこんな事出来て弾君には出来ないんだろう。
私って結構恥ずかしがり屋さん?
そんな事を考えてたら急に背筋が冷たくなってくる。
あれ? 今って夏だよね? 寒いなぁ……。はははっ……。何でだろう。
「秋穂、アンタね……」
「私の嫁を誑かすとはいい度胸だ……」
「秋穂さん? ちょっとお話が……」
「散り方ぐらい選ばせてやる。居合いがいいか?」
「いや……あの……」
ヤバイよ!! 色々やってきたけど、今が一番殺られそうだよ!!
って言うか箒ちゃん!? 何でバスの中に真剣を持ち込んでるの!?
日本っていつから武士が戻ってきたの!?
じゃない。ここは何とかして切り抜けなきゃ。
そ、そうだ。シャルロットちゃんなら――。
「一夏、このブレスレット大切にするね?」
「おう。そうしてくれると俺も嬉しいよ」
シャルロットちゃーん!!
何で!? いつの間にベタベタするようになったの?
って一夏君も私の発言は無視なの!?
あれ? シャルロットちゃんが笑顔でこっちを見てる。
口を動かして何かを言いたいんだろうけど。パッと見ただけじゃ分かりにくいなぁ。
でももしかしたら助け船かもしれない。うん、シャルロットちゃんだもん。きっとそうだよね!!
えっと……。
『タ ノ シ カ ッ タ ヨ』
つまり。
『楽しかったよ』
「嫌だっ!! 死にたくないよっ!!」
「春日、静かにしろ。向こうで反省文を書きたいのか?」
お前達もだ、と言う織斑先生。
あれ以降その話を私にしてこない。呆れられちゃったのかな、って思ったりもしたけど以前と同じ態度のまま接してくれている。
だから私も先生に気を遣ったりとかはしないようにしている。どこまで出来てるかは微妙なところなんだけどね。
「……今回だけだ。次はないぞ」
「ありがとうございます」
本気で頭を下げている私。誇りは大切だけど、命には代えられないよね。
道中は終始こんな感じで過ぎていった。注意されるのが私と一夏君ばっかりなのは不公平だと思う。
織斑先生だって学生の頃ははしゃいだはずなのに。そうだよ、案外織斑先生みたいなクールなタイプの方がはっちゃけ過ぎて痛い目に遭うんだよね。
それがトラウマでいっつもクールな顔をしてるんだよ。
「春日、何か言い残すことはあるか?」
「えっと……生きてたら読心術を教えてください?」
「そうか。しかし残念ながら私も読心術は会得していない。よって無理な相談だ。しかし、生きていると教えなければいけないのか……」
あっ、これはまずいパターンじゃないかな?
口は災いの元って、本当なんだね。余計な事言わなきゃこんなことには……。
うん、私は何も言ってないよね。少なくとも織斑先生に関しては。
昔の人の言葉、もっと良いのなかったのかな?
――そうだっ!!
「春日、お前――」
「いやー。織斑先生ってやっぱり綺麗ですよね!! もうスラッとしてるのにスタイル抜群ですし。とても二十四には見えないなー。羨ましいです!! それに織斑先生って女の私でも惚れちゃいそうなくらい格好いいですよね!! やっぱり生まれた星が違うんじゃないかと思うんですよ。ねっ、一夏君。一夏君も織斑先生は綺麗だと思うよね?」
「えっ? あ、あぁ……」
「男の子で弟の一夏君から見ても綺麗なんですって。ほら、私たちには出せない大人の色気って言うんですか? そういうのが凄いんですよ。ほんと、織斑先生みたいな人がお姉さんで一夏君は羨ましいなー。私、一人っ子なんですよね。だから余計に憧れっていいますか、とりあえず織斑先生は最高です!!」
誉め殺し。
何かの本で読んだ気がする。
『女は誉めろ。とにかく誉めろ。どんな些細なことでも誉めろ。誉めるところがなかったら作ってでも誉めろ』
何であんなに書いてあったのかは分からないけど、大切なのは昔の人の言葉より今を生きる人が発信した情報だよね!!
それにこれは作ったんじゃなくて私が本当に思ってることだから何も問題は……。
「……春日」
あれ?
織斑先生、さっきより機嫌が悪そうなんだけど……。何で? 私、ちゃんと誉めたよね?
気に障るようなことも言った覚えないし……。
「春日さん。織斑先生は照れてるだけなので大丈夫ですよ」
「えっ?」
私たちの座席より少し前。
私たちの光景を見ながら笑っている山田先生の言葉を繰り返し繰り返し読み込んでいく。
照れてる? 織斑先生が?
……そう言われればそう見えなくもないけど、どうなんだろ。
うーん。織斑先生が照れてるところを見たことがないからなぁ。言われてもピンと来ないんだよね。
一夏君が照れてるところを想像すればちょっとは参考になるかな……?
「…………」
「あ、秋穂? なんだよジロジロ見て」
駄目だよ。全然想像できないや……。
「あっ、照れてるって言うのは織斑く――」
「山田先生。到着後すぐに会議を開くからそのつもりで。大事な案件を忘れていた」
「お、織斑先生!? あの、その、自由時間は……」
「下見で十分楽しめたでしょう。時間が残るようであればその時に」
あわあわしている山田先生、ちょっと可愛い。
暴れたいけど暴れられない。そんな感じに見える。
「ふふっ」
「春日、帰ったら覚悟しておけ」
……私、生きていけるのかな……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
雲一つなく、澄み切った空に海。その海をより一層引き立てる砂浜。強い夏の日差し。
その条件で最も必要なものが何なのか。そんなことは、言うまでもない。
女子の水着姿だ。
「一、二、三、四」
「アンタ、カチューシャ外したの?」
「うん。無くしちゃうのは嫌だもん。鈴ちゃんのちゃんと準備運動しないと駄目だよ?」
秋穂の言葉に「はいはい」と流しながら返し、その場を離れていく。行く先はもちろん、一夏のところだ。
(海は一番のアピールチャンス!! ここで一夏の気を引いて……)
一通り妄想に耽った後、よしっ、と気合を入れなおすと辺りを見回して姿を探す。
一夏の周りには人だかりができる。IS学園唯一の男子生徒に女子の興味は尽きないのだろう。いつでもどこでも、人だかりの中にいる。そう思い辺りを見回すのだが……。
「……何で誰もいないのよ」
あまりにも不自然だ。全くいないというわけではない。秋穂も含め、ちらほらと生徒の姿が見える。その光景は今が自由時間であることを語っている。
しかしあまりにも人がいない。いつもは一夏の周りでできているであろう集団が見えない。
(そんなに着替えに梃子摺ってるのかしら? でも……)
と、そこまで考えたところで鈴の視線は自身の体に向く。具体的には、いまだ発達の兆しを見せることがなく平原を保っている胸だ。
小さい。その事実は認めている。箒やセシリア、シャルの胸は自身のそれとは全く比較にならないほど大きい。
それは魅力として女である鈴から見ても十分なものだ。
羨ましい、と思うことがないと言えば嘘になる。一夏に『貧乳』と言われただけであれだけ激怒してしまうと言うことは、やはり自分は胸がコンプレックスになっているのだろう。
その自覚があるだけまだまし、とはさすがに言えない。この間女子勢で大浴場に行った時に判明してしまったからだ。
(でも、胸だけで決めるような男じゃないわ)
しかし思う直後にどうだろう、と考えてしまう。
一夏も男だ。やはり大きい方が良いのかも知れない。以前山田先生の胸を事故とはいえ揉んでいた時の一夏の表情は忘れることができない。
「鈴ちゃん、大丈夫だよ。一夏君はほらっ。あそこでセシリアちゃんに日焼け止めオイルを塗ってるだけだから」
「あっそ。ってえっ!?」
秋穂の指差す先。
地面に突き刺さったパラソルが強い日差しを防いでいる。鈴が声をあげたのはその影が涼しそうだ、などと言う気の抜けたものが原因であるはずかなかった。
秋穂の指差す先、そこにいたのは――上半身裸のセシリアだったのだから。
(あ、あの女何してんのよ!! イギリスでは普通なの!? でも、ヌーディストビーチってイギリスにあったかしら……)
代表候補生の天才と評価される頭脳が高速で回転する。しかし、いくら頭を回転させたところで分からないものは分からない。
理解できない光景に、しかしながら鈴がとった行動はシンプルなものだった。
この時ばかりは、自分でも治さなければ、と思っている短気な部分が役立つ。
(考えても無駄!! 今すべき事は――)
「セシリアちゃんも大胆だよねー」
鈴の思考を遮るような秋穂の言葉。
それを聞いただけで体が勝手に動いていた。靴を履いていない事も、地面が走りにくい砂浜である事も関係ない。
「鈴ちゃんもサンオイルを塗ってもらいに行ったのかな? でも鈴ちゃん、サンオイル持ってたっけ?」
荷物のある宿舎ではなく真っ直ぐに一夏へと向かっていく鈴の思いなど秋穂に分かるわけもなく、ついていくように鈴の後を追うのだった。
「その……手の届かないところはお願いしますわ。脚や、お尻も……」
「うえっ!?」
シートに寝そべるセシリア。その背中にサンオイルを塗っていく一夏。
鈴としては、その光景を見て『ただサンオイルを塗っているだけ』で済ますことが出来るほど余裕があるわけではない。故にさらに足の回転数は上がり、常のそれを越えていた。
一夏に『猫』と評されたその動きは今や猫の上、猫科の動物で言うのであればさしずめ『豹』とでも言えばいいのだろうか。
狙った獲物は逃がさない。
しかし狙ったのは一夏ではなかった。塗ってもらっているセシリアでもない。
その隣に置いてあるサンオイルだ。
「お尻? ならあたしが塗ってあげるわよ。ほら、ペタペター」
「ひゃっ!? り、鈴さん!? あなた何を――」
「鈴ちゃん!!」
刹那、場の空気が凍る。
鋭い声で呼ばれたのは鈴であり、声の主――秋穂が用事があるのは鈴であることは間違いない。IS学園に他に『鈴』と呼ばれている生徒は少なくとも一年生にはいないのだ。
だが、その言葉に固まったのは鈴だけではない。
その手をサンオイルでぬるぬるにしている一夏も。塗られていたセシリアも。
等しく時間を止められた。
「鈴ちゃん?」
「な、何よ……何か用?」
「言うことがあるでしょ?」
――何で疑問系なのよ!!
心の中で鈴は叫ぶ。
秋穂の口調。少し怒っていることは明らかだ。自分の体がらしくもなく怯えているのが分かる。
今、秋穂に逆らっちゃ駄目だ。全身がそう訴えてくる。
だが、言っている内容もいまいち理解できない。
(言うこと……謝れってことよね、たぶん)
「えっと……セシリア、その、悪かったわ」
「いえ、わたくしも少し大人げなかったですわね。お互い様ですわ」
秋穂の視線を受けながらの会話は受けている者に妙な一体感を与えていた。
つまり。
(早く終わらせた方がいいわね)
(早く終わらせましょう)
(早く終わってくれ)
「うん。じゃあ仲良くしようね。喧嘩は嫌だよ?」
凄い勢いで頷く二人に満足したのか、秋穂はそれ以上触れてこない。しかし代わりと言わんばかりに。
「一夏君、サンオイルはもっと丁寧に塗らないと駄目だよ」
「あ、ああ……。こういうのは初めてで」
貸して。と言う秋穂に素直に渡すと、慣れた手つきでオイルを手で温める。
「じゃあセシリアちゃん、いくよ?」
「えっ?」
丁寧に、均等に塗られていくサンオイル。時折漏れるセシリアの声はどこか官能的で、滑らせるように動かす秋穂とのツーショットは高校一年生の男子には刺激的だった。
(な、なんかエロいな……)
ただサンオイルを塗っているだけだ。自分も同じことをしていた。その事が分かっていて尚、そう感じてしまう自分は変態なのだろうか。
そんなことを思いながら、しかし目を逸らしてしまうと意識しているとばれてしまうので動かせない。
これはこれである種の地獄である。主に下半身を落ち着かせるのが大変だ。
そんなことをしているうちにも塗り終えた秋穂は笑顔で言ってきた。
こちらがそんなことを出来ないと分かっていて。からかいにきた。
「じゃあ一夏君、今の感じで前も――」
「すみません。許してください」
唇を尖らせ少し不満そうな顔のセシリア。
その様子に安堵し、肩の力を抜いた鈴。
二人の姿を、頭を下げていた一夏は見れるはずもなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時は流れる。
その時が楽しく、充実していればいるほど、体感的には短く感じる。
人の寿命は、長くなっているとはいえ精々百年だ。
百歳の老人だろうと、十五歳の高校生だろうと、過ごす時間は変わらない。
一日の時間は等しく二十四時間だ。
だが、その感じ方は様々だ。特に起こる事全てが新鮮で新しい事尽くしの若者は時を惜しむ。
――もっと時間があれば。
誰もが一度は思うことだ。そしてIS学園の生徒――特に専用機持ちの者達は、この後それを強く感じることとなる。
具体的には、合宿が始まって約二十二時間後。合宿二日目の朝にそれは起こった。
ハワイ沖で試験稼働にあったアメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型の軍事用IS『銀の福音』が暴走。監視空域より離脱したのだ。
最高速度は時速二四五〇キロを越える広域殲滅・特殊射撃型。
『最速』の名を持つに相応しいISは超音速飛行を続けている。
しかしながら、離脱したからといってその位置を完全に見失うほど研究者も愚かではなかった。ただその通過地点が『たまたま』合宿先から僅か二キロの距離だったのだ。
その到着時刻まで残り五十分。
接触のチャンスは一度きり。その一度で確実に銀の福音を止めなくてはならない。そうしなければ、その速さを十二分に発揮された場合、たとえISであろうと追い付くことが困難であるからである。
故にこの作戦における最重要課題は銀の福音を確実に落とすことのできるほどの高火力だ。
弱い連打ではなく、強い一打。
つまりは一撃必殺を求められた。
そんなものは一つしかない。シールドに守られ、ミサイルなどただの兵器では太刀打ちできないISに対して、ただ一度の攻撃で全てを終わらせられる可能性。
もちろん――『零落白夜』。
そこに行くのは、
命をかけるのは、
一夏だった。