【第六話:スタートライン】
「――そうそう、明日家に帰るからどこか遊びに行こうぜ」
『おう。そう言えば鈴がそっちにいるんだって?』
「ああ、中国の代表候補生でさ。でもあんまり変わってないぜ」
『変わってないって……お前も相変わらずだな……』
「相変わらずって何がだよ」
『……一夏、刺されれないように気をつけろよ?』
「刺されるって何だよ!? 何で俺が刺されなきゃいけないんだよ!!」
『…………』
「おい、弾」
『ファースト幼馴染とやらとはどうなんだよ』
「逃げた!? 絶対に今逃げたよな!?」
『いいから答えろよ。毎日女の子に囲まれて楽しくやってんだろ? 一人ぐらい俺に紹介してくれよ』
「紹介って言っても……あっ、そういえば……」
『何だ!? 何かあるのか!? 誰か俺に紹介してくれるのか!?』
「いや、そういうわけじゃないんだけど。お前、秋穂――春日秋穂って子のこと覚えてるか?」
『春日? ああ、俺達と同じ中学のやつだろ? それがどうかしたか?』
「それが秋穂もIS学園に入学しててさー。そういう偶然もあるんだなーって思ってさ」
『……それで?』
「え? いや、それだけだけど」
『誰がお前のハーレムについて教えろって言ったよ? 俺は!! 女の子を紹介してくれって言ってんだよ!!』
「ハーレムって……秋穂は友達だって。それに紹介って言ってもな、知り合いなんてそんなにいるわけないだろ? こっちも色々大変なんだから……」
『はっ、羨ましい悩みだな。全国の男を敵にしてるぜ?』
「毎回同じこと言わせるなって。本当に大変なんだからな。トイレだって――」
『トイレ!? お、お前まさか女子トイレに……』
「馬鹿!! 入るわけないだろ!! ……職員トイレを使ってるんだよ」
『へぇー。ん? IS学園の教師って女性だけじゃ……』
「男もいるに決まってるだろ!! とりあえず!! 時間決まったら連絡するから!! じゃあな」
電話を終えた一夏はまとめられた荷物に目をやった後、ベッドに体を預ける。
「まぁ、男性職員なんてほんと数人なんだけどな。……疲れた。荷物は大丈夫だな。今日はもう寝よう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「えっと、地図は持ったし。コンパスもあるし。いざって時の電話もあるし……。うん、完璧!!」
久しぶりの休日。それに向けての秋穂の準備は――周りから見ればその評価は全く異なるだろうが――完璧だった。
持ち物を何度も確認し忘れ物のないようにする。
「あのカチューシャ、ずっと買いたかったんだよねー。ふふっ、楽しみだなー」
頭の中から嫌なことは消してしまう。必死に文章を考えた反省文は、昨日ようやく千冬に認めてもらえた。辞書が降り下ろされた時の痛みはいまだに覚えている。
たんこぶさえ出来なかったのは、千冬の経験によるものだろう。
口が裂けてもそんなことは言わないが、これからは考えて行動しようと思うのに十分すぎる罰だった。
「もう寝なくちゃ。明日も早いもんね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午前九時。朝日が既に上りきり、春の休日を明るく照らしていた。
まだ夜は肌寒く感じる季節だ。しかし今日に限っては夜も暖かいのではないかと思ってしまうほどの暖かさで、少し走ればうっすらと汗ばんでしまう。
そんな絶好の外出日和に買い物に出掛けようとしていた秋穂は――。
「申し訳ありませんが、外出届がないと外出は許可できません」
――学園を出ることすら出来ずにいた。
「そ、そんなぁ……どうにかならないんですか?」
「当日の手続きとなりますと少しお時間がかかりますがよろしいですか?」
以前にも同じような生徒がいたのだろう。もしかしたら今でもいるのかもしれない。そう思わずにはいられない受付の女性の応対に、秋穂はただ言われるがままに記入していく。
「うわぁ……」
名前、クラスはもちろん、寮室番号など細かいところまで記入する欄があり用紙を見ただけで書く気が失せてしまう。
しかしだからといってこのまま帰るというわけにもいかない。
目的があり、いつ外に出ようとこの手続きを済ませないといけないのであれば、『面倒臭い』という感情は今日行かない理由にはならない。
何より、平日は授業についていくのに精一杯だ。どこかに行こうという気にはならない。それに和服――そしてそれを着ている部員の姿――が可愛いという単純な理由で入部した茶道部の活動もある。
外に出る機会はあまり多くないのだ。
「えっと、これでいいですか?」
「はい。それでは確認をとりますので少々お待ちください」
書類に記入するだけでも五分程時間を使ってしまっていた。何度ついても状況は変わらないが、それでも溜め息が出てしまう。
(注意事項はちゃんと読んだと思ったんだけどな……ちょっとここの規則多いんだよねー)
薄いピンクのスカートに合わせたカチューシャ。いつもと同じ右側だけの三つ編みを弄りながら空を見上げる。
(そう言えば小学生の時、運動会で『雲一つない天気』って校長先生が言った途端に曇ってきたことがあったっけ……)
澄んだ青空。数えれば十年にも満たないまだ新しい記憶。だがとても遠い事のように思うのは自分の事に余裕が出来てきたからだろうか。
そんなことを考えながら、秋穂は目を閉じる。
「春日さん、お待たせしました。手続きが終わりましたよ」
「はい、ありがとうございます!!」
とにかく買い物だ。
元気よくIS学園の門を出た秋穂はその背に「いってらっしゃい」という女性の言葉を受け走り出した。
「いってきまー……」
「門限は守ってくださいね!! 怒られますよ!!」
最後の一言でその足取りはさらに速くなるのだった。
聞いていませんでしたよ、と言わんばかりに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の朝は大変だった。
家に帰って掃除をした後に弾に会いに行こう、と思ってたのに準備をしていたら。
「一夏、どこに行くつもりだ?」
「どこって、別に家に一回帰るだけだよ。夕方には戻らないといけないしな。早めに行こうと思って」
「……家、家か……これはチャンスじゃないか? そうだ、そうとしか思えない……」
「どうかしたのか?」
聞かれたから答えただけなのに、箒はというと途端にもじもじしている。
トイレに行きたいならすぐに行った方がいい。最近の子供は恥ずかしいなんて思ってるみたいだけど、生理現象じゃ仕方がない。それにトイレを我慢しすぎているといろいろな病気にかかってしまう。たとえば膀胱――。
バシンッ!!
「痛っ!! いきなり何するんだよ」
「お前、今変なこと考えていただろう」
変なこと? 病気のことか? こいつは何を言っているんだ。せっかく俺が体調のことを考えてるってのに、それを『変なこと』だなんて。
いくら幼馴染だからってその扱いはどうなんだろうか。そりゃ箒だって女子だ。こんなにむすっとしていて、すぐに木刀を振り回す歩く凶器みたいなやつだけど、女子だ。
バシンッ!!
「一夏、覚悟は出来ているな?」
「な、何だよ。せっかく人が心配してやってるのに。そんなんだから歩く凶器だって言われ……」
何でだろう。口に出すつもりなんてなかったのに。ああ、箒の表情が固まってる。しかも、笑顔でだ。
箒が笑顔を見せたことなんて最近はほとんどない、というか一回も見ていないんじゃないか?
勿体ない、顔は可愛いんだから笑えば絵になるだろうに。そんな仏頂面じゃいつまで経っても嫁の貰い手がつかないぞ。
そうやっていても今はいいんだ。まだ十代、花の女子高生だ。でも本当に怖いのはこれからなんだぞ。
千冬姉を例にあげると分かりやすい。現在二十四歳。このままだと三十歳になっても、四十歳になっても、彼氏なんて出来ないんじゃないか、と心配だ。
まぁそれも『今彼氏がいない』ってことを前提に話しているから、前提が崩れれば意味のないものになってしまうんだけど。
でもこの間『出来の悪い弟がいなければ見合いでもしてすぐにでも結婚できる』って言ってたからな。たぶん彼氏はいないと思う。
「どうかしたのか?」
「――っ!?」
いつまで経っても木刀が振り下ろされない。身構えているこっちとしては結構精神を消費してしまう。
それになんだか箒は下を向いてぶつぶつ言ってるし……。
もしかして我慢しすぎて本気で具合が悪くなってきたんじゃないのか?
そうだとしたら不味い。箒はこういう奴だから、自分の不調を他人に一切言わないはずだ。
たかがトイレ。でもされどトイレだ。行く行かないで病気になるかどうかの境目が決まってしまうのだから、絶対に行った方がいい。
そうか。俺がここにいるから行きにくいんだな? いや、でもトイレは部屋の外にあるわけで、俺がここにいてもいなくても関係ないはずだ。そうじゃないと毎日どうしてるんだって話になる。そんなこと聞かないけど。
時間は……そろそろいい頃だな。
「じゃあそろそろ行ってくる。それとな、箒」
「な、なんだ? 私に何かあるのか? い、いいぞ言ってみろ」
「ちゃんとトイレには行けよ? 俺に断わる必要なんて全くないんだからな」
その日三発目の打撃を受けることとなった。一発につき五千個の脳細胞が死ぬって言うけど、この威力じゃその倍死んでいてもおかしくない。というか死んでいるだろう。
さらば、三万個の俺。生まれ変わった時は長生きできるといいな。
自分のことだけに笑えなかった。
「ふぅ、こんなもんか」
家まで帰った俺は一通りの掃除を終わらせて一息つく。結構汚れてるかとも思ったけど、以外と手間はかからなかった。出て行く前に掃除はしてたし、千冬姉が定期的に帰ってきてるんだろう。
「はぁ……落ち着く」
座ってお茶を飲む。ただそれだけの行為だけど、やっぱり自分の家は落ち着く。向こうが嫌なわけじゃないけど、周りが全員女子っていうのはやっぱりきつい。
弾が言うようなパラダイスとは一番遠いような場所にも思える。
でも……。
「千冬姉がいたのは驚いたな……」
言葉にして、その事実を再確認する。ドイツに行ってたのは俺のせいだけど、その後どこに行ってたのか知らなかったからな。時々帰ってきては忙しそうにまた出て行ってたし。
千冬姉が言わないから俺も聞かなかったし。
分かったからいいけど。でも、俺がISを動かせなくて入学してなかったらずっと言わないつもりだったか。そんな事を今では思うようになってたりする。
聞かない自分を棚に上げてるようで嫌だけど。
まぁいいや。考えても仕方がない。千冬姉は無事で、元気にしてたんだからそれでいい。
たった二人の家族でも隠し事の一つや二つ持ってるものだ。何でも話せることと、話さなきゃいけないことは同じじゃない。
いつか必要だと思ったらその時は千冬姉の方から話してくれるだろうし、俺から聞いても答えてくれるだろう。
「昼飯は……弾のところの方がいいな。親父さんにも挨拶しとかないと」
電話を手に取り、慣れた番号を呼び出す。何度もかけている番号だ。わざわざ画面を見なくても体が覚えている。
だから後は電話を耳に当てるだけ――。
『ちょっと!! 何でそういうことを先に言っておかないのよ!! ほんと信じられない!! 一回殴られたいの!? ちょ、そういうのは殴る――なんか文句あるの!?』
えっと……。
とりあえず画面を確認。発信先、五反田弾。うん、間違いない。
でも、今のはなんだ? なんだか喧嘩してるようにも聞こえたっていうか、絶対に喧嘩してたよな。
とりあえず一度掛け直してみよう。もしかしたら取り込み中かもしれないし……ってあれ?
「弾からだ……」
今切ったばかりなのに。もう用事は終わったのか? まぁこっちから掛け直そうとしてたんだから、ありがたい事に変わりはないんだけど……。
「もしもし」
『一夏か? お前、今どこにいるんだよ』
「どこって、今からそっちに行こうとしてたところだよ。騒がしかったみたいだけどもういいのか?」
『あぁ、あれは……気にするな。お前には関係ないことだ』
「ふぅん。まっいいけど。で、昼飯もそっちで食おうと思うんだけど」
『了解。じゃあ待ってるからな』
電話を切ってズボンのポケットにしまう。俺の家から五反田の家まで約十五分。歩いてるうちにいい時間になるだろうし、この辺歩くのも久しぶりだから丁度いい。
「行ってきます」
誰もいない家に向かっての挨拶。また帰ってくることを約束する意味でも、俺は忘れない。今は半分無人みたいなものだけど、俺の家がここであることはずっと変わらない。
俺の帰ってくる場所はここなんだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼食を控えた時間帯、もうすぐ正午という時に秋穂は迷っていた。
その手にはデパートで買い物を済ませたことを示すロゴの入った紙袋。地図とコンパスを使って、行きたい場所とは全く違う方向に足を進めていた。
「はぁ……なんで私って意味もなく彷徨っちゃうんだろう」
理由は単純。好奇心が旺盛すぎるのだ。デパートの入り口付近で『絶品デザート祭り、開催します!!』という宣伝を聞きすぐに飛びついた。
デザートの内容が『春をイメージしたケーキ』ということもあり良いお土産になると思ったのだ。だが、その考えは甘かった。
案の定迷ってしまった秋穂はもらった案内と持ってきていた地図、コンパスを重ねて道を進もうとするものの、着いたと思った所にはケーキ屋などなく今どこにいるかも分からない状態になってしまったのだ。
「前にもこんな事があった気がする……」
前にも、という彼女の表現は間違っていない。が、幾度となく迷っている彼女にとっての『前』がどの事例を指すのか、それは彼女にしか分からないものだ。
(あの時も、こうして迷ってたんだよね……)
どこか懐かしさを感じるのは、IS学園が他の学校と比べてもその機密の高さゆえに閉鎖されたところだからだろう。歩きながら、物思いにふけっていく。
思い出すのは二年前。想いの人に出会った時のことだ。
二年前、中学二年生だった秋穂の性格は今とほとんど変わっていない。否、過去があることで現在があることを考えれば今の秋穂の性格が当時と変わっていない、ということになるのだろう。
自分の好きなことを全力で楽しみ、後先考えずに突き進んでいく。
この頃はコンパスを持っておらず、地図だけが秋穂の装備品だったため比較的その足取りは軽かった。
軽いと言っても迷っていることに変わりはない。ここだ、と信じた道を突き進んではいるものの、そんなことで目的地に着けるはずもなく結果敵に一本道で目の前が行き止まり、という最悪な場所に出てしまっていた。
「……一本道だし、戻るしかないよね」
戻っていくが、地図などすでにあてにならない。地図通りに進んでいると思っていて行き止まりに着いたのだ。
地図が間違っているという考えが頭を過ったが、そこで物にあたっても意味がない。迷ってしまったのは自分のせいであり、地図に罪はないのだ。
とはいえ、この場に留まっているわけにもいかない。もうすぐ夕方だ。春になったとはいえ夜は肌寒く、危険である。
しかし道の分からない者が適当に歩いて辿り着けるほど世界は狭くなかった。
「うぅ……。ここどこなの? ……真っ直ぐ帰ればよかった」
買い物の帰りに違う所に寄ろうとした事が間違いだった。真っ直ぐ帰っていれば、今頃家でゆっくりしている頃だ。
(見たことない風景ばっかり。はぁ……どうしよう)
今の彼女ならば近くの家のインターホンを鳴らして助けを求めるのだろうが、中学二年生の秋穂にはハードルの高い問題だった。
初めは軽かった足取りも時間が経つごとに重くなっていく。知らない土地、知らない人に囲まれた少女の精神は成熟していないこともあり、確実に削られていく。
交番さえ見つからず、道の真ん中で途方に暮れている時だ。
「あれ? もしかして春日?」
「えっ!?」
自身の名を呼ぶ声に、思わず声が出てしまう。振り返って見るとそこには見たことのある赤髪の少年。
同じ中学、同じクラスの生徒だ。何と言っただろうか、個性的な苗字だった気がする。確か――。
「ご……ご……」
「そうそう。同じクラスの」
「郷田君」
「五反田だよ!!」
ほとんど男子とは関わってこなかった秋穂である。弾と話すのもこの時が初めてだった。
しばらく一緒に歩きながら自分の状況を話す。そんな秋穂を笑い飛ばすことなく、「大変だったな」と心配する言葉をかけてさえくれた。
「あっ、ここまでで大丈夫だよ。ここからなら帰り道も分かるし」
「もう暗いし送って――」
「だ、大丈夫だって!! もう、心配性だなー。じゃあまた学校でね!!」
弾の前から走り去っていく秋穂。夕日に当てられたせいか、顔が火照っている。弾と一緒にいることが心地良い半面、恥ずかしくもあったのだ。
それから何度か言葉を交わした事は今でも覚えている。
(迷ってなかったら弾さんと出会わなかったんだよね……)
またもや溜め息をつき空を見上げたところで秋穂の動きが止まってしまう。思い出していた事も理由の一つだろう。その光景が、夜二人で歩いた道と重なって見える。
いつでも迷っている秋穂だが、基本的に覚えた道は忘れることはない。
「……嘘、じゃないよね」
『五反田食堂』
見間違えることのない看板が掲げられ、しかもその入り口には見覚えのある綺麗な赤髪。その人と目が合う。
しかしそれは今まで浸っていた思い出の中の人ではない。
「秋穂さん!?」
「蘭ちゃん!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お待たせしました!!」
お昼ご飯を私が持っていないこともあって、五反田食堂でお昼を食べることになった。
蘭ちゃんが店の前に立ってたのは一夏君を待ってたからだったみたいで、その一夏君も今では合流して同じ席についている。
みんなでご飯を食べるのは楽しいことなんだけど……。
「い、一夏さん。これ私が作ったんです!!」
「へぇ、旨そうだな。みんな料理も揃ったみたいだし食べるか」
みんなで手を合わせてのいただきます。これも別におかしいことじゃないんだけど……。
「秋穂さん、どうかしました?」
「えっ!? な、何でもないよ!! あははっ。美味しそうだねー」
全然大丈夫じゃなかった。
だって……と、隣に弾さんがいるんだもん!!
ど、どうしよう。私、とりあえず無難そうな日替わり定食を頼んだんだけど大丈夫かな? 大丈夫だよね? がっついてるとか思われてない……よね?
あぁ、どうしよう。緊張して全然食べてる気がしないよ。
「で、向こうの学校はどうなんだよ?」
「どうもこうも、マジで忙しいんだからな。何回出席簿で叩かれたことか」
「……IS学園って出席簿で叩かれるんですか?」
チラッと弾さんの横顔を覗いてみる。私と同じ定食を話を聞きながら食べてる。うぅ……人の気も知らないで……。
「秋穂さん、聞こえてます?」
「えっ!? えっと……なんだっけ?」
ヤバイよ。全然話聞いてなかった。一夏君もちょっと不思議な顔で見てくるし……弾さんもこっちを見てる!?
えっと、こういう時は……。
「だから、IS学園の先生って出席簿で叩いてくるんですか? 暴力ですよ暴力」
「あぁ、それは織斑先生だけだよ。他の先生は……ちょっと恐いかな」
山田先生とか見てて危なっかしいもん。私もよく転ぶ方だけど、あの先生は絶対私より転んでるよ。
他の先生はそうでもない、っていうよりテキパキしてるよね。何であの先生IS学園の教師をしてるんだろう。
もしかして、ものすごくISの操縦が上手かったりして。
うん。世界一の織斑先生がいるんだから別に不思議じゃないよね。専用機持ちのセシリアちゃんがいて、ISを作った博士の妹の箒ちゃんがいて、一夏君までいるんだし。
そのメンバーに教えるんだから、むしろそれくらいの方がしっくりくる。
「こ、怖いんですか……」
「怖いって言っても暴力なんて振るわれないよ。ただ、そそっかしい先生がいて」
「つまり見てて怖い教師がいるってことか」
「そうそう。一夏君もそう思うよね?」
頷く一夏君を見ながらお味噌汁を口に含む。なんだろ、ただのお味噌汁じゃない感じがするよ。
味が深いって言うのかな。食堂のおばちゃんとはまた違う味。
「あの、一夏さん!! この後用事とかあるんですか?」
「いや、夕方まではないけど」
「その付き合ってほしい所があるんですけど……」
「おい、一夏は俺に用があって――」
「お兄は秋穂さんについていってあげて。秋穂さん、まだ買い物途中なんですよね?」
……危なかった。
思わずお箸を落としそうになっちゃったよ。蘭ちゃん、積極的だよね。
って感心してる場合じゃないよ!!
「えっ!? でも五反田君も予定があるんじゃ……」
「兄の予定はたった今無くなりました。そうだよね。お兄?」
蘭ちゃん……笑顔だけど顔が怖いよ。一夏君に見えない絶妙の角度といい、実は誰よりも強かだよね。
「じゃあ一夏さん、時間もないですし行きましょう!!」
「お、おう。じゃあな弾、また今度」
「行け行け。……いい加減猫被るの止めろよな」
「お兄?」
「何でもないです」
腕を組み、引っ張るような形で食堂を後にする一夏君と蘭ちゃん。
凄くお洒落な格好してるなー。なんて思ってたら、これが狙いだったんだね。
「あの、用事があるんだったら別に……」
「俺は大丈夫。春日の方こそいいのか?」
えっと、何で弾さんが私に聞いてるんだろう。私何かおかしな事言ったかな?
どうしよう、本当に分からないよ。
「ほら、服とか買いに行くなら俺はついて行かない方がいいんじゃないのか?」
「服……」
そうだ。そう言えば新しい服も買いたかったんだ。うん、そうだよ。
あんまりお金もないけど、今になって欲しくなってきた気がするよ。
「あの、服一緒に買いに行かない?」
「いや、だからそれはその……サイズとか知られるの嫌だろ? 別に無理しなくても――」
「無理なんかしてないよ!!」
あっ、ちょっと声が大きくなっちゃってる。こういうところが『無理してる』って思わせちゃってるんだよね。
しっかりしなくちゃ!!
せっかく蘭ちゃんが作ってくれた機会なんだもん。楽しまないと駄目だよね!!
「行こう、五反田君!!」
「お、おう」
これってデートだよね!?
頑張ろう!! おー!!
「……まだ買うの?」
「もう一軒だけ!! お願い!!」
お昼を食べた私が向かったのは、ついさっきまでいたデパートの近所にある別のデパート。
可愛いものがいっぱいあるのは知ってたんだけど、カップルのお客さんが多くて今までは行きづらかった店だ。
最初は私も持とうとしてたんだけど、弾さんが「男だから」って言って荷物を離さなかった。悪いとは思うんだけど、せっかく甘えられる時間だから目一杯甘えようと思ってお願いした。
そのせいで弾さんの両手は紙袋で塞がっちゃってるけど……。
「あっ、可愛い……」
最後、と言って入ったお店は私の好きなぬいぐるみや人形が沢山あるお店。
店内も明るくて、可愛く飾り付けられているせいもあってかその熊のぬいぐるみはものすごく可愛かった。
首に着けられたピンク色のリボン。可愛くデフォルメされたその姿は、他の商品を圧倒している。
って私が感じてるだけで、他にも可愛い物はいっぱいあるんだけどね。
「…………」
うぅ……。高い。この熊さんがあるって知ってたらもうちょっと他の物を控えたのに。
どうしよう、って言ってもどうしようもないんだけど。
……しょうがないよね。お金がないんだし、買えないものは買えないよ。
「それ買わねぇの?」
「うん、今日はいいの。また来た時にとっておくの」
「ふぅん」
それから一通り店内を見て回った私たち、というか私は、小さなキーホルダーを買ってお店を出た。
もう日が傾きかけてる。門限までもう時間もあんまりない。
弾さんと一緒に買い物できて楽しかった。楽しかったけど……凄く疲れた。好きな人といるのに疲れちゃうって……。
「悪い春日。俺ちょっとトイレ行ってくる」
「う、うん。分かった。荷物見とくね」
「すぐ戻ってくるから!!」
私を引き留めるように言った弾さんは、そのまま走っていってしまう。
弾さんが私から遠ざかっていく中、ホッとしている私がいる。
結構歩いたのも理由の一つだけどドッと疲れがきちゃった。主に精神面で。
こんなんじゃ全然駄目だよ。弾さんも楽しくなかったよね。
元気にいこうとして空回りした感じがすごくある。
まだ帰ってもいないのに、反省会してるし……。
駄目駄目!! まだデート中なんだからネガティブな考えは振り払わないと。
「よし!!」
「春日、大丈夫か?」
「えっ!? えぇー!! ご、五反田君、いつからいたの?」
「ついさっき帰ってきたとこ」なんて言ってるけど本当はどうなんだろう。
私、独り言とか言ってないよね?
「そろそろ門限ヤバイんじゃねぇの?」
「うん、そうなん……だけど……」
目を落とした私はそこで言葉を止めてしまった。
気まずかったからじゃない。
「どうかした?」
「あの……これ……」
今まではなかった紙袋。自分が買ったものだもん。内容ぐらいは覚えてる。
でも、目の前のものはそのどれにも当てはまらない。
だって、その紙袋は持ってないから。
そのロゴの入るお店で買ったのは、紙袋の必要のないキーホルダーだから。
だからその紙袋はここにはないはずなのに……。
「ああ、それは俺が欲しかったんだよね」
だから、と言葉を続けて袋を持った弾さんは、その袋を私の方に差し出して言った。
「これは俺からのプレゼント。まぁ記念みたいに思ってくれよ」
「……開けてもいい?」
私の問いかけに笑顔で応じてくれる。
心の中では急いで、でも包装紙を破かないように丁寧に。
そうして出てきたのはデフォルメされた熊さんのぬいぐるみ。首に着いているピンク色のリボンがその可愛さをさらに引き立たせている。
「……いいの?」
「もちろん。春日が気に入ったなら、だけどな」
「あ、ありがとう!!」
「……やっと笑った」
ぬいぐるみを抱える私に聞こえるかどうかの小さな声だったけど、その声は確かに私に届いた。
届いたけど……笑った?
私今日ずっと笑顔を心掛けてたと思うんだけど。
「春日、ずっと無理してただろ? 俺のせいでもあるんだけどさ。だから、そのお詫びもかねて」
「それは……その……」
気付いてたんだ。私、分かりやすいのかな?
ってそれどころじゃないよ。今日一日気を遣。
せっかくのデートだったのに。
「あっ、勘違いすんなよ? 俺はすげぇ楽しかったぜ」
ちょっと重いけどな、と繋いだ弾さんの表情は本当に楽しそうで。その笑顔で私も楽しくなっちゃって。
「そうそう、俺苗字で呼ばれるの好きじゃないんだ。呼び捨てでいいぜ」
そう言ってくれるのも、私の事を思ってくれているからかな? なんて思うのは私の思い違いかな?
それでも今だけは。
今だけはいいよね?
「じゃあね、弾君!!」
「じゃあな、秋穂」
今日一日一緒にいてよく分かった。
弾さ……弾君がどういう人なのか。
そして強く思う。
やっぱり私は、この人が好きなんだ、と。
だから、頑張ろうと思う。
今よりもずっと。今よりももっと。
この人を好きになれるように。
この人に好きになってもらえるように。