落書き
:::::
開けた視界。
曇天の空を背負った、たった一人の晴れ舞台。近くに観客はいないけれど、きっと私の姿を見ることになる人はたくさんいる。
最後の訴え。演説者は私。自らの鎮魂歌になるか、それとも他人の魂を震わす渾身の一曲となるか。はたまた私を表す、最後の主張になるか。それは私の決めることではない。私の歌を聞いてくれた人が決めることだ。そこで初めて意味を成す。そこではじめて認められる。
さあ、精一杯に歌おう。私を。私というものを。
この空に近い屋上で。
さあ、飛び込もう。
やがて観客となる世界の中へ。
一、二、三と単純なステップ。そう、それで。ただそれだけですべてが終わる。
雑然とした街の音も、もう聞こえている。
あと、ワンステップ。あと一歩の距離…………なのに私は踏み出せない。
先に待っているのは光に満ちた未来だったはずなのに、どうしてこんなに真っ暗に見えるのだろう。先の見えない闇から逃げてきたのに……。
いや、考えてはいけない。歌はただ必死に、必死に歌うだけだ。目を閉じて、大きく息を吸い込み…………。
「飛び込むのか?」
不意に声に引き止められる。私しかいないはずなのに、誰だろう。まぁそんなことどうでもいい。たとえ死へと誘う死神であろうが関係ない。むしろそうであれば楽だ。
だから私は応えない。振り返りもしない。
「死ぬのか?」
ああ、なんだというのだろう。その淵に立ちながら、それ自体を意識していなかった。それをわざわざ気づかせるこの声はなんだろう。私を引き止める気だろうか。
「飛び降りる…………そのことについて私が考察し、是非を問うのは意味のないことだ」
何を偉そうに。私の何が分かるっていうんだ。
「だがな、」
声が直ぐ側に聞こえた気がした。驚き、そちらを振り向く。誰もいない。
「これだけは覚えておけ」
人はいないのに声だけが響く。
「死ぬことで苦しみから逃れられると誰が決めた? 生の先に待つものが死だけだと誰が決めた。死は闇だ。生の先にある闇を私はそう呼ぶ。先の闇に飛び込むことと、先の見えない闇に飛び込むこと。いずれにせよ闇に飛び込むことに変わりはない。これをわかっておかないと、お前はただ死ぬだけとなるぞ」
声はそこで途切れた。
もう聞こえることは二度となかった。
生暖かい風邪が頬を舐める。
一歩先へ足を踏み出す勇気は既に失われていた。
今の声は何だったのだろうか。何が言いたかったのだろうか。私には分からない。
いずれにせよ今日は実行できない。少なくとも今日は。
私は振り返り、戻りたくもない現実にいやいや戻ろうとし、
「あ…………」
気付いた時には足を踏み外していた。