秋本はバーに入った。
「お疲れ様です!」
そんな浅野の声が聞こえた。…が、浅野が少しぎくりとした表情をした。
(この人、正直〜)
秋本はそんな浅野の表情を見て、心の中で笑いながら「こんばんは」と言った。。
秋本は、誰も客がいないのを確認しながら、カウンターに座った。
浅野がおしぼりを開いて出してくれた。秋本はそれを受け取った。
「今日もジンライムで?」
浅野が言った。
「うん。お願い。」
秋本がそう言うと、浅野がグラスを取るために背を向けた。
(…そりゃ、普段は見えないか…)
浅野の背中を見て、秋本は思った。
浅野は、手早い手つきでライムを切りジンに入れて、グラスをカウンターに置いた。
秋本は「ありがとう」と言って、グラスを取った。
「浅野さん、ビール飲む?」
「あ…はい、いただきます。」
浅野は頭を下げて、ビールを注いだ。
「いただきます。」
浅野は秋本の差し出したジンライムのグラスよりも下にグラスを当て、言った。
「どうぞ。」
2人は一口飲んだ。…しばらく間がある。
何か気まずい雰囲気のように秋本は感じた。
(やっぱり…言うか。)
秋本はそう決めて、口を開いた。
「昨夜さ…」
秋本がそう言うと、浅野の表情が少し固くなった。
(だからなんでそんなに正直に顔に出すんだよ!!)
秋本は必死に笑いをこらえながら言った。
「信じてもらえるかどうかわからないんだけど…。」
「…はい…?」
「これ聞いて…俺を変な人だと思わないでね。」
「…はい…」
浅野が少し目を見張っている。秋本はまたジンを一口飲んだ。
「昨夜ね…。三日月だったじゃない。」
「…はい。」
「…その三日月を見上げるように…背中に羽の生えた青年が空中に浮かんでいたんだよ。」
「!……」
浅野は何も言わなかった。
「…綺麗だった…何か…映画でも見ているような気分でさ…」
秋本の言葉に浅野がまた目を見張った。
「俺はしばらく見惚れてしまってね…。じっとその青年と月を見てた。」
「……」
「でも…何か勘が働いたんだろうな。その青年がいきなり僕の方を見たんだ。」
「……」
「そして消えてしまった…。…悪いことしたな…って思ってね。」
浅野は黙ってうつむいた。
「…あ、ばかにしてる?俺の事…」
「え!?…いえ、そんな…」
「それならいいけど。」
秋本はジンを一口飲んで、遠くを見るような目をして言った。
「また会いたいんだ…彼に。…僕は勝手に「エンジェル」って名前をつけたけど…。その「エンジェル」にもう1度会って…話ができたらなぁ…って。」
「!!…」
浅野はとまどったような表情をしている。
「俺ってさ。昔から「終わらない物語」とか「指輪物語」とか好きでさ。「スターウォーズ」や「スタートレック」みたいなSFもよく見たんだ。ああいう世界が別次元で本当にあったらいいなってね。俺が今いるようなぎすぎすした世界だけじゃなくてさ。」
浅野がもう1度、下を向いた。そして言った。
「会えますよ。また。」
秋本が浅野を見た。浅野が照れくさそうに微笑みながら、顔を上げて言った。
「また会えます。…話ができるかどうかはわかりませんが…そういうお話が好きな人なら…きっとまた会えると思います。」
「そうかな…だとうれしいけど。」
2人は微笑みあって、また軽く乾杯をした。
……
その夜、秋本は夢を見た。
羽の生えた青年がまた月を見上げた様子で、遠く空に浮かんでいた。
「エンジェル!」
秋本が呼びかけると、青年が驚いた顔でこちらを見た。
浅野だった。
だが浅野は今度は逃げなかった。こちらに降りて来て、微笑みながら秋本に手を差し出した。
秋本はその手を取った。
浅野がその秋本の手を強く握ると、また飛び上がった。
「!!えっ!ちょっと…まっ…」
秋本は慌てたが、浅野と同じように体が軽く浮いているのを感じた。
「あさ…じゃなくて、エンジェル!もうちょっとゆっくり!」
秋本がそう言うと、浅野が振り返り、スピードを落としてくれた。
2人はかなり細い月を見上げながら、しばらく黙って浮いていた。
「毎晩…飛ぶのかい?」
浅野が首を振った。口はきいてくれないようだ。
「そうなのか。…じゃぁ、俺はたまたま連日見たんだな。」
秋本がそう言うと、浅野がうなずいた。
「…うらやましいなぁ…空を飛べるなんて…。俺にも羽が欲しいよ。」
秋本が月を見上げながらそう言うと、浅野は困った表情を見せて首を振っている。
「…持ってても、大変だって顔だね。」
秋本のその言葉に、浅野が微笑んでうなずいた。
2人は黙って月を見上げた。
……
秋本が目を覚ますと、まだ夜中だった。
慌てて飛び起きて、窓のカーテンを開いた。
細い月が見え、飛び去っていく浅野の小さな後ろ姿を見送った。
(わざわざ…来てくれたんだな…。)
秋本はそう思った。
(終)