「もう、めちゃくちゃ、悔しいんだけどもっ!!」
沢原が自室で、向かいのソファーに座っている秋本に頭を抱えて言った。
「それは俺も一緒だよ。」
2人は昨日開かれた浅野俊介のイリュージョンショーの事を話しているのだった。
2人とも仕事のため、ショーに行けなかった。それを悔しがっている訳である。
「すごかったんだってな…池の水が全部なくなったと思ったら、また溢れ出て来て、その水がイルカの形になって飛び跳ねたっていうんだからさ。」
「…さっぱりわからない。…噴水とか全く仕込んでないんだろう?」
「そうそう…。プロダクションがやったのは、水を入れ替えただけっていうんだから…。」
「…どうなってるんだろうなぁ???」
「全くわからない…というより、目の前で見たかったよ!」
「そうだよな…」
2人は、はーっとため息をついた。
「アシスタントをした、圭一君すら教えてもらってないっていうからね。」
「あーまたすぐにやってくれないかなぁ…。」
「しばらくはやらないそうだよ。イリュージョンショーはあまり頻繁にやると飽きられるんだってさ。」
「…それは言えてる。」
「今夜、バーに行くか。」
「イリュージョンは見せてもらえないぞ?」
「ま、そうなんだけどさ。何かあの人の笑顔って、男でも引き込まれるものがない?」
「そうだな。」
「彼女には会わせたくないようなタイプだよな。」
沢原の言葉に、秋本が笑った。
「確かに…。あの笑顔にコロリといかれそうだもんな。」
「浅野さんって、彼女いないのかな???」
「いるだろう…あんなハンサム誰がほっとくかよ。」
「…そんな影見えないもんなぁ…」
「賭ける?」
「よし、じゃ俺はいる方。」
沢原の言葉に、秋本が笑った。
「おいおい、さっきそんな影見えないって言ってたの誰だよ!」
「…んーじゃぁ、いない方。」
「俺がいる方ね。」
「負けた方がビール1杯。」
「OK」
沢原と秋本は「さて仕事しよ!」とやっと腰を上げた。
……
「いないですよ。」
浅野がいつものチャーミングな笑顔を見せて言った。
「やった!俺の勝ち!」
沢原が喜んだ。
「えーっ!?まじでいないんですか!?」
秋本が驚いて言った。浅野が苦笑しながら答えた。
「ええ。いません。」
「浅野さんって、僕達より1つ上でしたっけ?」
「そうです。25です。」
「彼女いない歴何年?」
浅野が笑いながら、少し遠い目をして言った。
「…5年かな。」
「世の女はどうしてほっとくかねぇ。」
沢原が首を傾げながら、ビールをひと口飲んだ。
「ほんと…。こんなハンサムを…」
秋本が本当に驚いたように言った。
「ありがとうございます。お2人にそう言ってもらえると、もう少し自信を持つようにしますよ。」
浅野は沢原が奢ってくれた、ビールを飲みながら言った。
「もう少しどころか、どんどん自信を持ってもらっていいですよ。もし浅野さんに彼女ができたら、3組で食事に行きましょう!」
「それはいいですね。」
秋本の言葉に浅野が笑った。
「昨日のイリュージョンショーは大成功だったそうですね!」
「え?…」
浅野は少し困ったような表情をした。
「大成功とは自分では思えなくて…」
「何言ってるんですか!新聞にありましたが、大好評だったらしいじゃないですか。」
「はぁ…何か恥ずかしいですが…」
浅野は指でこめかみを掻いた。
秋本が言った。
「でも、その謙虚さがまた次のショーで生かされるってわけだ。」
「よして下さい。プレッシャーに弱いんですよ…これでも…」
浅野が苦笑しながら言った。
「俺たち、仕事で見に行けなかったから悔しくて悔しくて…」
沢原が言った。
「そうでしたか!…じゃぁ、ちょっとだけお見せしましょう。」
「えっ!?…やった!」
「小さなイリュージョンですが…」
浅野はそう言うと手のひらを上に向けた。また炎が出るのかなと2人は咄嗟に思ったが、手の上に浮かんで出てきたものを見て驚きの声を上げた。
小さな水のイルカが浮かんでいる。映像のように、イルカはくるりと横に1周回った。
「何これ!!映像ですか?」
秋本と沢原が顔を近づけて言った。
「いえ…。指をイルカの口にそっと触れてみてください。」
「俺やっていい?」
秋本が沢原に言った。沢原はイルカを見たまま「いいよ」と言った。
秋本はイルカの口に指をそっと当てた。
するとイルカが弾けて水になり、浅野の手のひらに音を立てて落ちた。
浅野はその手を横にして、その水を秋本の手にかけた。
「うわ、冷た!!…本当の水だよ。」
秋本はおしぼりで手を拭いた。
沢原は固まってしまって何も言わない。
「…亮?」
秋本が沢原の目の前で手を振ると、はっとした顔をした。
「…わからない…イリュージョンだ…」
沢原のその言葉に、浅野が頭を下げながら微笑んだ。
……
「そう言えば、圭一君は?」
秋本がジンを飲んで言った。
「マリエちゃんとデートだそうですよ。」
浅野が言った。
「デートって言っても、圭一君の家なんだろうなぁ…」
「可哀相だよな。外でデートできないって…」
「公表してても、追い掛けられるのわかってたらなかなかなぁ」
「お2人は、いいんですか?」
浅野が尋ねた。
「今日は未希も真美も生放送でね。」
「そうでしたか。何時からですか?テレビつけましょうか?」
「いいよ。しまりのない顔見られるの嫌だから。」
沢原が言った。浅野と秋本が笑った。
「確かにな。」
秋本が言った。
その時、明良と菜々子が入ってきた。
「お疲れ様です!」
浅野が言った。沢原と秋本は思わず立ち上がって頭を下げた。
「あら常務さんたち。」
菜々子が言った。
「お疲れ様です。今日はお2人で水入らずですか?」
秋本が言った。
「ええ。圭一君達がうちでデートしてるから、2人きりにしてあげようって、明良さんがね。」
「なんと理解ある親御さん」
沢原が言った。明良が笑った。
「副社長、奥様、窓ぎわはいかがですか?今日は空気が澄んでいて、夜景が一層綺麗に見えますよ。」
浅野が沢原達の真後ろにある窓際のカウンターを手で指して言った。
「そうね。明良さんは?」
「いいですよ。」
「じゃあ窓際で。」
浅野が菜々子に椅子を引いた。沢原は秋本と一緒に座りながら言った。
「浅野さん、紳士だなぁ」
「女性にだけだそうだよ。」
「へえー」
すると浅野がさっと手を振り、バラを一輪出現させた。
「!!」
菜々子が驚いて、ありがとうと言った。浅野が言った。
「これは副社長から依頼されましてね。今日は奥様と副社長が出会われた日だそうですね。」
菜々子が驚いたように、明良に振り返った。
「明良さんも覚えてたの!?朝から何も言わないから忘れてるかと…」
明良が「ちゃんと覚えていますよ。」と言った。
沢原達が振り返ったまま、拍手をした。
「ありがとう」
菜々子が沢原達に言った。明良も恥ずかしそうに会釈した。
そして菜々子に向いて言った。
「これからもよろしく」
「こちらこそ」
菜々子が少し涙ぐんだ声で言った。
その時浅野が沢原達に向いて、カウンターの中を指差した。
沢原と秋本は何事かと、カウンターに振り返った。
その時「ちゅっ」と、明良達がキスをした音が沢原達の後ろでした。
「やられた…」
沢原と秋本がカウンターに伏せた。
「あほが見ーるー、豚のけーつーってか。」
沢原が伏せたまま言った。
「亮、下品だぞ!」
秋本も伏せたまま言った。
「すんません」
沢原の素直さに、秋本は伏せたまま、つい笑った。
沢原もつられて笑った。
……
「ちょっと待てよ!」
2杯めのジンを飲みながら、何かを考えていた秋本が言った。
「ん?なんだ?」
沢原が言った。秋本はカウンターの中で、グラスを拭いている浅野を見ながら言った。
「浅野さん…半袖だよな。それもTシャツ…」
「そうだけど?」
「バラの花なんて、どこに隠すんだ?」
「!?ほんとだ!」
浅野が笑いながら言った。
「これはお教えできますよ。」
「えっ!?教えて!」
2人は異口同音に言った。
浅野はグラスを置いて言った。
「ただこれは、狭いところで回りにいる人が少ない時に限ります。」
秋本達がうなずく。
「さっき私は、副社長と奥様が入ってこられてすぐに、カウンターの下に用意していたバラの花をある場所に隠しました。」
「ある場所?」
「ここです。」
浅野は後ろを向いて、自分の腰のあたりを指差した。
「!?」
2人は目を見開いた。
「この背中のジーパンのベルトのところにさっとね。」
「あー」と2人は言った。
「そして、誰にも背中を向けないようにして、椅子を引いて…手を大きく振って、バラの花を抜き取る…」
「なんだー!聞いたら単純なことなんだ!」
「その通りです。いかに上手に隠して、いかに早く取り出すか…というだけなんですよ。これなら練習すれば誰でもできます。」
「浅野さん!ありがとう!いいこと教えてくれた!」
沢原が立ち上がって、浅野の両手を取った。
「もういっぱいビールどお?」
「いただきます。」
浅野が笑顔で言った。
……
翌日夕方−
秋本は、プロダクションの前でタクシーを降りた。
昨夜、バーへ行ったので、バイクをプロダクションに置いて、沢原とタクシーで帰ったのだった。
その時、浅野が向こう側の道路を歩いて、こちらに来るのが見えた。
(浅野さんは電車なのか…。)
秋本はそう思った。先にプロダクションに入ろうとした時、横断歩道を手を挙げて渡っている女の子に左折してきた車が突っ込むのが見えた。
「!!」
秋本が思わず「危ない!」と叫んだ。
すると女の子が消えていた。
「!?」
秋本が驚いて辺りを見渡すと、プロダクション側の歩道に、浅野が女の子を抱き上げた状態でいた。
「浅野さん!」
秋本が思わず駆け寄ると、何故か、浅野は気まずそうな表情で秋本を見た。
浅野に抱き上げられた女の子はびっくりした表情で浅野を見ていた。浅野は女の子を降ろした。
「おじちゃん…ありがとう…」
(おじちゃん!?)
秋本は思わずそう思ったが、浅野は全く気にしないように微笑んで「気をつけてね」と言った。女の子は何度も振り返りながら、浅野に手を振っている。浅野も女の子が見えなくなるまで手を振っていた。
秋本が「運動神経いいんですねぇ」と浅野に言った。浅野は困ったように、こめかみを指でかいて頭を下げた。
……
だが、どう考えても、浅野のあの俊敏さは、人間離れしているように秋本は感じた。
しかし、それを突き止めたところで、秋本にも浅野にもプラスになるようには、秋本は思えなかった。
それでも秋本は、そういう超能力とか超心理学的な事を信じる方だ。
圭一の「マッドエンジェル」でもそうだ。秋本は本気で圭一を守る何かが、圭一に降臨していると思っている。
でないとあの目が青く光る現象は説明できない。
(いつか浅野さんから、本当のことを聞く日が来るだろう…。)
その日まで、知らぬ振りをしようと秋本は思った。
(終)