小説『がんばって短編『光』『殺人鬼の…』『この道は…』』
作者:maruzhiye(aaa)

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 え……?最後の声は僕の博士じゃない。
 体にじっとりと濡れた感触がある。いつの間にか雨が降ってきていた。暗い闇の中から確かに男の声がする。泥をかき混ぜるように誰かが歩いてくる。僕はこの暗い路地裏で行き場をうしなった。
「……ねえ、聞いてます?ほんとにめずらしいことですよ。この行き止まりに来る人がいるなんて……」
 男は足を引きずりながら小さなお宮の前に来るとしゃがみこんでマッチに火をつけた。そして、蝋燭に火をともした。
「道にでも迷ったんですか?驚いたでしょう、こんな落書きがしてあっちゃ。このお宮さんわたしが作ったんです、このラクガキもわたしが描いたものです。……ああ、足ですか?ちょっと捻挫しましてね、ひどいもんでしょ、そのうえ車に泥をひっかけられたんですから……」
 僕にはそうは見えなかった。ズボンは焼けて引きちぎれたものだし、ひどい火傷をおっている。けっして泥なんかじゃない。
「どうです、ハッピーターン、ひとつ食べてみませんか?これね、じつはここに迷い込んだ人に食べてもらおうと思って置いているんです。……なかなかうまく描けてるでしょう、アインシュタイン。ハハ……だったら僕の絵を買ってくださいよ!!……ジョーダンです、大きな声出してすみません。絵描きなんてするものじゃないですよね。できてくるものはガラクタばかりなんですから。……さあ、もう、引き返したらどうです?暗いですよ、この行き止まりはとくに……」

 引き返す途中、泥になんども足を突っ込んでしまい、靴もズボンの裾も泥だらけになってしまった。住宅街を抜けると、この季節はカエルの鳴き声が聞こえてくるというのに、今日はとても静かだった。雨が降るとカエルは鳴かない。雨は苗の間に波紋を浮かべ続けていた。僕は泥が入りびしょ濡れになった靴の、ふがいない靴音を聞きながら家に帰った。
 すべての道がローマに通ずるか、否か。答えは単純明快だ。この言葉はローマの隆盛を、歴史のなかのローマを詩的に表現したにすぎない。いまの僕にはなんの意味もなさない。すぐに行き止まりに行き着くような世の中だし。

 あの日から、1週間たった時だった。あの絵描きが自殺したの知ったのは。
 絵描きは暗い行きどまりで死んだのだ。僕と別れたあと、すぐに。一週間だ。一週間だれもそれに気付かなかった。腐臭を嗅ぎつけたのはまず野良犬で、ついで人間だった。においの原因を突き止めることができたときには、骨格でしか人間を判断できないほどに野良犬に喰い荒らされていた。
 絵描きはずっと僕を待っていたんだ。あるいは僕じゃなくてもよかったのかもしれない。あの暗い行き止まりで、僕はとんでもない棺桶付添い人にされてしまった。
 でも、僕は幸福にも戻ることができた。
「ゆきてかえらむ」
 とうとう絵描きは帰ってこなかった。絵描きはなんどあの道を行き来したのだろうか、僕は二度とあの路地裏の行き止まりには行きたくない。けれども、どこにあるのか、どうやってあそこへ行ったのかを僕は知らない。

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