小説『[完結]180秒のサイレンス【掌編集】』
作者:九路間 二四()

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第一話 「冷蔵庫の風景」



 ――少し、匂うだろうか。
 ここ最近の慌しさの代償として、荒れ放題になっているアパートの部屋を見渡した。

「珈琲でいいかい?」
 リビングに腰を下ろした静江にそう声をかける。
「――ええ」
 静江は疲れ切った様子でそう答えた。
「春子のことで話があるって言っていたけど――」
 僕はコーヒーカップを静江の前に静かに置いた。
「――ええ」
 静江が手元に視線を落としたまま溜息を漏らす。
「春子が失踪して半年――私なりに彼女の行方を捜してみたの」
 僕はコーヒーカップに口をつけて、「そう……」とあいまいな返事をした。
 熱めの珈琲が食道を通過していくのを確かめて、「それで?」と尋ねる。

「実は……、春子の足取りが掴めたかもしれないの」
「――それで?」
「…………」

 静江はその先を言い淀み、小さめの黒い瞳を左右に泳がせた。
 無理もない、半年前に失踪した春子は僕の彼女だった。

「ごめんなさい。アイスティーにしてくれるかしら?」
 静江は突然、声の調子を変えた。
「ごめん、ないんだ」
「それじゃあ、なにか冷たい飲み物にしてくれない?」
「ごめん、いま、ないんだ」
「――そう」
「…………」

 身体に絡みつくような、重たい沈黙が訪れる。
 静江は鼻の当たりをしきりに指で擦っている。
 ――やはり、匂うのだろうか。
 言いようのない不安が、次第に胸を覆い隠す。

「ちょっと、トイレ、借りるわね」
 静江はおもむろに席を立った。
 するとすばやく身を翻して、キッチンへと走りだし、冷蔵庫を勢いよく開け放った。
「ひいいいい」
 冷蔵庫を開けた静江は絞り出すように掠れた悲鳴を上げた。
「や、やっぱり、貴方が……貴方が春子を――」
 振り返った静江はその先の言葉を口にすることなく、白目を剥いて絶命した。
 僕が力の限りに首を絞め上げたからだ。
 ――やはり半年もたつと、腐敗が進んで少し匂ってしまったのかな?
 冷蔵庫の中で眠るように瞳を閉じる春子の頭を優しく撫でた。

「心配しなくてもいいよ、春子。これからもずっと――ずっと一緒だから……」



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