第八話 「ジャングルジムは鉄の味」
のっそりと伸びた夏草が風に揺れる。
あの頃の僕等は、路地を練り歩くお神輿にも目もくれず、白熱する高校野球にも目もくれず――ジャングルジムのてっぺんから、陽炎に揺れる景色を眺めていた。
僕は交差点の信号機を見ていた。
君はその向こうにある、高い給水塔を見ていた。
ソフトクリームはじんわりと溶けて、つるりと雫を垂らし、掌を舐めた。
市立図書館で本を読みあさり、駄菓子屋のベンチでラムネを飲み、夜には線香花火をした。赤い泪のような火種がぽとんと落ちると、僕等は静かに口づけを交わしたりした。
そうしてゆっくりと夏は流れ――ある日、僕等は他人になった。
何回目かの夏を重ねて、僕は再び、あのジャングルジムに登る。ぐぎん、と口を打ちつけると鉄の味がした。
陽炎に揺れる交差点の信号機を見る。すぐそばに君の面影を感じる。
同じ方向を眺めていたはずだけれど、君はもっと遠くにある、給水塔を見ていたんだね。
――僕は色々なことを思い出す。
君は夕暮れに熱い甘酒を飲んだ。君は猫の鳴き真似がびっくりするほど上手かった。君はきび団子のように丸まって寝た。
君はよく蚊に刺された。君は腰かける時に「どっこいしょ」と言った。君はよく風邪を引いた。
君は街中で手をつないで歩くカップルを嫌がった。君はご飯にチキンスープをかけて食べた。君は「自分の八重歯が嫌い」だと言った。
君はのど飴を噛み砕くのが好きだった。君は友達が少なかった。君は横断歩道の白い部分を踏まずに歩いた。
君は海老フライが好物なのに海老アレルギーだった。君は怒るとすぐにくしゃみをした。君は「貴方の耳たぶが好き」だと言った。
君は『午後の紅茶』を必ず午前中に飲んだ。君はアマガエルを見つけるとつんつんと触った。君は早口言葉が苦手だった。
君は僕の機嫌が悪いといつもより饒舌になった。君は「遠からず、近からず」が口癖だった。君は『本能寺の変』を詳しく知りたがった。
君は飼い猫に向かって真剣に説教をした。君は大好きな漫画の話を夜通し語った。君はよく思い出し笑いをした。
そして僕等は、夏の路地に横たわる、別々の扉を開いたんだ。
「さようなら、愛おしかった君」
僕の口から零れ落ちたその言葉は、紺碧の空に浮かぶ入道雲になって、やがて君に届くだろうか。
のっそりと伸びた夏草が風に揺れる。
――ありがとう、さようなら、愛おしかった貴方……。
ふいに君の優しい声が聞こえた気がした。
遠くの給水塔が滲んで揺れた。
了