―素直になれない巫女と天狗のお話―
博麗霊夢は奇妙な人間である。
これは幻想郷に住む者の総意とさえ言っても良い。
人でありながら妖怪に好かれ、しかしその本質に触れられそうになれば距離を取る。良くも悪くも、誰にでも平等な態度を貫き続けるのが、博麗霊夢という少女である。
そう、彼女は平等なのだ。
嫌になる程に。
「霊夢さーん!
遊びに来てあげましたよー!」
「呼んでないからとっとと帰れ馬鹿天狗」
先程まで掃除をしていた霊夢が築き上げた落ち葉の山を豪快に吹き飛ばしながら、射命丸文は神社の境内に降り立った。
悪態に耳も貸さずに縁側に座り込んだ文を一瞥して、霊夢は大きな溜め息をついた。
「ったくあんたは……」
そう言いつつも霊夢はいつの間にか神社に置いてあった文専用の湯呑みを取り出して茶を淹れた。
「ほい」
「ども」
淹れたての茶を受け取りながら並んで縁側に腰を下ろした文は、お茶を一口すする。
「美味しいですねぇ……」
「そうねぇ……」
縁側に座って目を細めながら、お茶を啜る二人は長年連れ添った夫婦のように見える。
尤も、それを本人達に言えば直ぐ様否定するだろうが。
「で?今日は何しに来たの?」
「ですから遊びに来たんですよ」
「……本当に?」
霊夢からの再度の質問に文は心底嫌そうに眉をしかめながらため息をついた。
「……一応聞きます。
どうしてそう思うんですか?」
「勘、よ」
「……ほんっと霊夢さんには嘘がつけませんねー
嫌になりますよ」
大きくため息をついてごろりと縁側に横になると、だるそうに唸りながら霊夢に話しかける。
「霊夢さんー。
今日一日泊めてくれませんー?」
「んー………別に良いわよ」
霊夢はやや悩んだ風を見せたがあっさりと許可を出す。
それを聞いた文はこれ以上ない程に驚いた表情で目を見開いた。
「……いいんですか?
理由も聞いてないのに?」
「話したく無いんでしょ?
んでもって出来れば聞かれたくも無い。
だったら無理強いまでして聞く訳には行かないでしょう?」
あんたの布団出して来るわね、と言い残して神社の中に消えていく霊夢の背中を見ながら、文は自嘲するように笑みを溢した。
「本当に、嫌になりますね。」
そんな文の呟きはどこか諦めの色を含んでいるようであったが、誰の耳にも届く事はなかった。
「文ー、お皿取ってー?」
「えっと……これですか?」
「そうそう、それそれ」
太陽が仕事を終えて暫く経ち、霊夢達は夕食の準備を初めていた。
「ほい、出来たわよ。
持ってってー」
「はーい」
器に盛られた焼き魚や味噌汁、野菜炒め等が卓袱台の上に並び、文は子供の様に目を輝かせた。
「いやぁ、美味しそうですね!
早速頂きま……」
「ちょっと待ちなさい」
突然霊夢からかけられた声に、文は野菜炒めを取ろうとしていた手を止めて不満げな表情を浮かべる。
「で、なんでうちに来た訳?」
しかし突然投げ掛けられた質問に、文は思わず箸を取り落とす。
しかし二人は、そんな事を気にも留めずに無言で見つめ合っていた。
「………え、ちょ、え?
聞かないんじゃ無かったんですか?」
「そうね、聞かないつもりだったわよ。
いつも通りに何かの気紛れか、そうでもなかったら問題でも起こしてうちに来ただけだと思ってたから。
でも違うんでしょ?
何か理由があって来て、それを誤魔化そうとしてるんじゃないの?」
文は何も言えなかった。
それは霊夢の言葉が的外れだったからでは無く、霊夢の言葉が全て正しかったから。
そして、霊夢が自身の質問がどれ程残酷な事かを理解していなかったから。
「……別の理由が有ることは認めます。
けれど、それを話す訳にはいきませんね。
女性は秘密がある方が魅力的だと言いますからねぇ?」
「……どうしてそうも意固地になるのよ。ただ理由を話すだけよ?
そんなに私が信用出来ないの?」
貴女を信用しているから。
思わず口から出かけた言葉を、文は何とか飲み込んだ。
一度溢せばきっと止められなくなると分かっているから。
「……ごめんなさい。
言えない、です」
「……そう」
「……もう、帰ります」
席を立ち、部屋を出ていく文を見送った霊夢はすっかり冷めた二人分の夕食を見て溜め息を溢した。
「一人で二人分なんて食べられる訳無いじゃない……あのバカ」
射命丸文は奇妙な妖怪である。
これは幻想郷に住む者の総意とさえ言っても良い。
妖怪でありながら人間を好み、しかしその本質に触られそうになるとのらりくらりと受け流す。良くも悪くも、誰にでも平等な態度を貫き続けるのが、射命丸文という少女である。
つまり、彼女たちは似た者同士だったのである。
見慣れた自分の家の扉を乱暴に開き、部屋の中に敷きっぱなしになっている布団の上に倒れ込む。
駄目だった。
また、駄目だった。
何度も何度も諦めようとしたのに、心のどこかで諦めきれずに、彼女に会いに行こうとする自分がいる。
彼女は平等なのだ。そんな事解っている。
彼女は平等で無ければならないのだ。そんな事も解っている。
彼女自身はただの人間だ。
しかし、彼女は博麗の巫女だ。人間と妖怪の間に立つべき存在だ。
だからこそ、どちらかに傾いてはいけない。
だから、悪いのは彼女を愛してしまった私なのだ。
この悲しみも、こんな愚かな私に対する罰なのだ。
伝えてしまえば、優しい彼女はきっと動揺してしまうから。声には出せず、行動にも出せない。
今日は少し危なかったけれど、何とか誤魔化せた筈だから。
また明日も彼女を騙しきって見せる。
他ならない彼女の、霊夢の為に。
あいつが帰った後、私は一人で夕食を済ませた。
すっかり冷めてしまった上に量も多いそれらを何とか食べきって、今は布団に入って今日の事を思い返していた。
「何が『女性は秘密がある方が魅力的』、よ。
あのバカ」
狡い、と思う。
秘密なんて有っても無くても、私はあいつに夢中なのに。これ以上、人を虜にしてどうするつもりなのだろうか。
本当に、狡いと思う。
そこまで人を虜にしておいて、私から告白する勇気を奪い去るあいつは本当に狡い。
文はどんな奴にでも平等に接する。
これは天狗にとってはあり得ない事だ。
大半の天狗は人間を見下すようにして接するのだから。
だからだろう、文は天狗内での評判はあまり良くない。
あからさまに嫌われてはいないようだが、天狗内で仲が良い奴もあまりいないらしい。
もし、そんな嫌われ者が人間なんかと恋仲になったら文は本当に、天狗としての地位を失ってしまうかもしれない。
でもあいつは、優しいから。きっとそれを受け入れる。
一度人間を愛したら、その為に天狗に嫌われる事さえもあいつは受け入れてしまえるだろう。
そんなのは、駄目だ。
あいつは天狗だ。
いくら平気な顔をしていても、同胞から嫌われる事はあいつにとっても辛い筈だ。
そこまで考えて、馬鹿な事を考えたと首を振る。
私とあいつが恋仲に?
そんな事、あり得ない。
あいつにとって、全ての人妖は、平等に取材対象でしかない。
今日の様に私に接してくるのも、博麗の巫女という名前があるからで、『博麗霊夢』に会いに来てくれた訳じゃない。
勘違いしちゃ、いけない。
これは私の一方通行な感情だから、あいつに気づかせちゃいけない。
私が勝手に愛して、私が勝手に傷ついた。
それだけでいい。
私が傷つくだけで済むのなら、私は喜んで文を騙しきって見せる。
他ならない彼女の、文の為に。