【Report:1 賢者の石】
「それ」には、形容すべき言葉が無かった。
というのも、見る者によって全く違うものに見えるからだった。
「赤く光った石」という者が居れば、「丸く透き通った水晶玉」という者も居る。
果ては「もやもやした霞か霧みたいなのしか見えない」「何もなかった」と言う者まで居た。
見たという者は一様に「石」と例えた事から、「それ」は「賢者の石」と呼ばれるようになった。
見える者は畏敬の念を込めて、見えない者は嫉妬とある種の軽蔑の念を込めて。
その「賢者の石」は今、博物館のガラスケースの中に飾られている。
『「賢者の石」が何かは定かではありません。
如何なる手段を用いても撮影することも分析する事も不可能だからです。
持つ事も出来なければ、触る事も出来ません。
伝承では、魔法使いやシャーマンの様な存在の人物がそれをここに置いていったと言われています。
この博物館は、この「賢者の石」の謎を解くための研究施設として、そして皆様方がどのような形を見ることが出来るか、そのために建設されました』
数分置きに流れるナレーションに耳を傾けながら、子供達がスケッチをしている。
彼らは引率の学芸員から、こう言われているはずだ。
「そこに何が見えるか、ありのままに描いてください」と。
無論、研究のためだ。俺は一心不乱にスケッチを続ける子供達をじっと見ていた。
小学生くらいだろう。社会見学か何か、そんな理由でこの博物館に来たのだろう。憐れむ様な、労る様な、複雑な心境だった。
この子達は研究に利用されているとも知らず、ただひたすらに絵を描いている。
その無邪気な光景を、俺達は利用しているのだ。
「今日の収穫、見るか?」
閉館後の見回りを終えて併設された研究所へ戻ると、同僚が大量のスケッチを抱えていた。
俺は無言で受け取り、目を通す。年相応の、稚拙だが真っ直ぐな絵がそこにあった。
ビー玉みたいな絵、ダイヤモンドのような宝石の絵、コンクリートの破片の様な絵、ただの石ころのような絵……どれもこれも違ったものが描かれていた。
スケッチをファイルに納め、俺は同僚に訊いた。
「お前には何が見える?」
「あ? 絵の事か?」
「違う。あの「賢者の石」っていう……」
同僚は腹を抱えて笑って言った。
「ぜーんぜん、何にも。裸の王様みたく実は何もないんじゃないかって思ってるくらいだ」
「そうか」
軽い失望と、案の定という気持ちを隠し、俺は研究室を出た。
灯の落ちた博物館。その「賢者の石」は何に納められる訳でもなく、ガラスケースの向こうに在った。
俺には見えている。そこに、何かがある。
俺が見ているのは、箱。
小さな柩の様な、宝箱の様な、箱。
小さいときに親に連れられてきた時からずっと、俺には箱が見えていた。
その箱には錠前が付いていた。
開けたら何が入っているのだろう。或いは、何も入っていないか。
俺は、それを開ける鍵を探している。今もずっと、そして多分これからも。
それが「答え」になる。確信めいた想いが、俺を支配している。
名前を呼ばれた気がした。ケイジ、と。ケイジ・カノミ――そう、俺の名を。
引き寄せられる様に、俺はガラスケースの前に立った。
「鍵は、今何処にある……」
何かに憑かれたように俺は呟き、無意識に手を伸ばしていた。
ひやりとしたガラスがそれを阻み、俺を現実へと引き戻した。
さっきまでの衝動が消えていく。
それでも、俺の中にはまだ残っている。「鍵を探さなければならない」という、確信めいた想いが。
だかしかし、それは遠い昔に誰かと交わした約束の様な、そんな懐かしい想いだった。