小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 俺が勤めている研究所兼博物館には、毎日多くの人が訪れる。社会見学の子供は勿論、家族連れや別の畑の研究者らしき連中まで様々な人がやって来る。
 当然ながら案内のために学芸員が配置されているのだが、時折手が足りなくなる事もある。
「ええ……そうですね。まだ研究段階なので、我々も答えを探している途中です」
 故に、比較的手の空いている研究員が案内役となる事も多い。俺も駆り出されるはめになった。
 そして駆り出される時は決まって「賢者の石」のコーナーだ。俺の担当する研究だから、致し方ない事ではあるのだが。
「もしお時間がありましたら、見えたもののイラストを描いていってください。今後の研究資料として活用させて頂きます」
 今日だけで同じセリフを何度繰り返しただろう。愛想笑いもそろそろ引きつってきた。
「しかし、何で今日はここまで人が多いんだ?この前は見学が続いていたが、今日はそんな予定聞いていないぞ」
 観覧者が少し引いたところで、俺は一緒に案内をしていた後輩にこぼす。
「所長が何かやったんですよ、どうせ。キャンペーンでもやったんじゃないんですか? ほら、この前もスタンプラリーとか何とかやってましたし」
「やれやれだな。今日は徹夜で資料整理になりそうだ」
「お疲れ様ですねぇ」
 軽く笑った後輩が、ふっと俺の手元に視線を落とす。それと同時に、袖口が引っ張られる。
 相手は幼い少女だった。
「どうしたんだい?」
「おじさん、賢者の石の人?教えて欲しい事があるの」
 おじさん、に吹き出した後輩を睨み付けて黙らせる。
「そうだねぇ……お兄さんに解ることなら教えてあげるよ」
 心持ち、お兄さん、を強調する。まだ三十前だ。
 少女は解ったのか解っていないのか、ガラスケースの前まで俺を引っ張っていく。
 そこに見えるのは、やはり「箱」。だが、自分に見えたものを来場者に伝える事は許されていない。研究所の見解として捉えられてしまう事を避けるためだ。
「聞きたい事は何かな」
 少女の視線まで腰を屈める。ガラスケースが近い。
「この中には、何が入っているの?」
 指差したのは、ガラスケース。
「賢者の石って呼ばれているものが入ってるんだ。まだ調べているところなんだけどね」
 できるだけ丁寧に、そして優しい口調で俺は答える。
 しかし、少女は怪訝な顔をしている。
「でも、何が入っているかはよく解っていないんだ。石っていう人が多いみたいだけどね」
「石? この箱の中に?」
「箱……って、このガラスケースの事かい?」
「違うよ。ここに置いてある箱」
 ぞくり、と背筋が震える。
「……箱?」
「そうよ。ねぇ、この箱の中身が賢者の石なの?」
「そうかもしれないね」
 心臓が早鐘を打つ。
 俺は今までに幾つもの資料を調べてきた。だが、これを箱と言った資料に巡り会った事は無い。
 だがこの少女はこれを「箱」と言っている。
 俺と同じものが見えているのかもしれない。少女の腕に巻かれている入場タグを素早く携帯端末に読み取らせ、俺は注意深く少女に訊く。
「君が見ている箱には、鍵穴は有るかい?」
「有るよ」
「どんな箱に見える?」
「うーん……小さい棺桶にも見えるし、宝物が入ってる様にも見える」
 やはり、彼女は俺と同じものを見ている――俺はそう確信する。
「ユキノ、どこにいるの?」
「あ、ママだ! ……じゃあね、お兄ちゃん。またね」
「ちょっと、君は……!」
 両親に呼ばれた少女――ユキノはあっという間に走り去ってしまった。その後ろ姿を、俺は見えなくなるまで追っていた。
「カノミ先輩? どうしたんです?」
「えっ……あ、いや、別に……」
 後輩の声で我に返る。
「何かぼんやりしてましたけど……また団体さんが来ます。そこに居ると押し潰されますよ?」
「あ、ああ」
 タグの情報が保存されている事を確認し、端末を閉じて壁際に退く。
 同じものを見ていたかもしれないユキノ。
(主任に報告するべき、だな)
 場合によっては、追跡調査の許可を貰わねばならないだろう。


 「賢者の石」については、驚く程に何も解っていない。
 ただ一つ解っているのは「誰一人として同じものを見ていない」という事だ。
 石と形容し続けた人々も、同じ石を見ていた訳ではない。輝く宝石を見た者も居れば、何の変哲もない石ころだと言う者も居る。
 だからこそ、あの少女……ユキノは希有な存在なのだ。
 主任――アルベルト・バーナー主任――に相談すると、しばし考えた後にこう言った。
「タグのデータは有るんだな?」
「はい」
「来館者記録を探って、申請書を提出しろ。所長の許可が下りれば訪問してみろ」
「良いんですか?」
「同じものが見えたとしたら、賢者の石の研究もはかどるかもしれん」
「解りました。最善を尽くします」
 賢者の石を調べる。そのために、俺はここに居るのだ。

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