小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 ラボの入り口で、後輩が俺を待っていた。
 ユキノを保護している部屋へ行く道すがら、彼から経緯を聞き出す。大半は連絡時に言っていた事と変わらなかった。警備員が見付けて保護をしている、と。
「で、今の状態は?」
「別段取り乱す風でもなく……かなり落ち着いていますね。迷子ならば、もっと泣いたり怯えたりするものですけど」
「俺に会いに来たって言ってたんだろ」
「ええ。今も同じ事を言ってます。先輩が休みだって事は理解してくれたみたいですけど、先輩が呼んだという主張はまだ続けています」
「主張って……相手は子供だろ。その言い方じゃ、厄介なクレーマーみたいじゃないか」
「すみません。ですが、その……何だか普通の子供とは思えなくて」
「……なるほどね」
 保護者はまだ来ていないという。俺と同時が少し早く出たとしても、ここまでは少しかかるだろう。
「報告ご苦労さん。保護者にはもう連絡してあるから。後は、俺の方で面倒見るよ」
「解りました。持ち場に戻ります」
 俺とユキノが初めて会った日、この後輩も一緒に居たはずなのだが、どうやら彼はユキノの事を覚えていなかったらしい。特段これと言った反応も示さなかったし、見覚えがあるとも言ってこなかった。
 致し方ないだろう。彼にとっては、あの日接した何百人の子供の一人でしかないのだから。
 だが、俺にとっては特別な出逢いだった。
 彼と俺との違いは、ただそれだけの事。
 おはようございます、と少し戸惑った同僚の声を背に、俺はユキノが保護されている部屋の扉を開けた。


 そこは中々に快適そうだった。
 ジュースにケーキ、軽いお菓子。これが休みの日であれば、優雅なティータイムが楽しめるだろう。
「あ、お兄ちゃん」
 ちょっとした騒動になったというのに、状況をまるで理解していないのか、ユキノは屈託のない笑みを浮かべている。
 その隣には、アリシア。
「考古学ラボに居るんじゃなかったのか」
「予定では……午後からね。それに、聞いてない? この子が私の傍から離れなくて、私が付き添う事になったの」
「そうか」
 引き留めたのはアリシアに懐いたから……という理由だけでは無さそうだ。ユキノは俺を呼び出している。関係は知らなくとも、アリシアに何かを感じた可能性は否定出来ない。
 聞きたい事は山ほどあった。指先は、無意識にボイスレコーダーのスイッチを入れていた。
「とりあえず、ユキノちゃん。どうして俺が呼んでいるなんて言ったんだ?」
「だってお兄ちゃん、あたしを呼んだでしょ?」
「呼ぶって……俺は今日お休みだったんだよ? ユキノちゃんも学校がお休みなのに、お友達を学校に呼んだりしないだろう?」
「うん。でも、お兄ちゃんはあたしを呼んでたよ」
 話が通じていない。
 口を開こうとした俺をアリシアが制する。
「……何だよ」
「苛々しない。相手は客人なんだから」
 任せて、とアリシアが言う。
 そっとユキノと同じ目線まで屈み込み、ゆっくりと話しかける。
「ねえ、ユキノちゃん。ケイジ……お兄ちゃんは、何て言って呼び出していたの?」
「何てって……お兄ちゃんが言ってた事?」
「そう」
 ユキノの目が、記憶を探る様に彷徨う。
「色々。どれくらいもつのか、とか。シレイブを呼び出せとか」
 それは呼び出すというよりも指示や命令に近い言葉だ。シレイブは恐らく司令部の事だろう。しかし何故、こんな言葉が出てくるのか。
「……どういう事?」
 アリシアも怪訝な表情を浮かべている。
 ユキノの瞳が、真っ直ぐにアリシアを見据える。
 あの瞳。車の中で俺を見た、あの瞳だ。全てを見透かす、冷たい瞳。
「動かなくなっちゃったんだ、あたし。思い出したの。ジャミングを受けて、あたしは動けなくなった。だから、お兄ちゃんは逃げられなかったの。脚も壊れちゃったし」
 刺す様な声。
「逃げたかったって、あたし解ってた。でも、あたしが駄目だったから。立て直そうとして、お兄ちゃんはあたしを呼んでたから、だからここに来たの」
 抉る様な言葉。
「あたしがもっとしっかりしてれば良かったんだ……。ごめんね、お兄ちゃん。あたし、お兄ちゃんもマスターも守れなかった。お兄ちゃんが呼んでたからって言ったけど、本当はね、謝りに来たんだ。だって」
 屈託のない笑み。
「あの人も、マスターも見付けられたから。だから、やっと謝れるって解ったの」
 そして、もう一度アリシアを見つめる。
「あなたを探していました、マスター」
 張り詰めた空気。息をする事さえ、忘れそうな程だ。
 ユキノの言葉は何一つ意味が解らない。アリシアも呆然としたまま動けないでいる。
 夢と現実を混同している、とも思えない。ユキノは以前、俺が箱を見ていると言い当てているのだ。
 ならばこの確信は、一体どこから来ているのだろうか。
 脳裏をよぎったのは、俺の見た夢。
 動けない。脚が壊れた。
 あの荒唐無稽な夢に出て来たシチュエーションと合致する。
 嫌な符合だ。
「ケイジ……この子は……。この子は一体、何なの? 何を言っているの?」
 アリシアの問い掛けにも、俺は応える事が出来なかった。

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