こんな時に限って、誰も来る気配はない。
普通ならば話の邪魔が入らなくて良いと思うのだが、今は違った。
解放されたい。早く、この空間から逃れたい。
ユキノは相変わらず訳の解らない事を言っているし、アリシアはそのせいで混乱している。俺は俺でどう対処して良いのか全く解らない。
何なんだこれは。
小さい子供が突拍子もない事を話す、そういった事があると聞いた覚えがある。夢や妄想と現実の区別がつかず、ごちゃ混ぜになってしまう。結果的に、本人にとっては至極真っ当な事を言っていても、大人にとっては訳の解らない事となるのだ。
だがそれがあるのは、せいぜい五歳程度だろう。幼児、という年齢ならば解る話だ。
ユキノはもう十歳になる。
普通に学校にも通っているし、そこまで現実との区別が付かないとは思えない。
だとすれば。
PIPSであった事を思い返す。
どうやら俺が「寝てしまった」らしい時の事。夢とも幻覚とも付かない中で、ユキノと話をした事。実験後、ユキノはそれを覚えていて、俺の体験と合致した事。
(これは偶然の一致で片付けられるものなのか?)
偶然だとすれば、凄まじい確率だ。有り得ないと言い切っても良いだろう。
ボイスレコーダーが作動している事を確かめ、俺はユキノの隣に屈む。
「……君の言うマスター、とは誰?」
尋問だと問われない様に、口調に気を付けて訊く。
何かを言いかけたアリシアを制する。聞き咎めたいのは解るが、今はこちらを優先する。
「マスターは、あたしのマスターの名前は、アリシア・テイラー」
自分の名前が出たことに、アリシアが身を震わせる。
「そのマスターは何をした人?」
俺は努めて平静を装う。
ユキノだけは、何も気にしていない様だった。
「あたしを造った人」
「造った? 君を?」
「そう」
そんな馬鹿な事が有るわけ無い。ユキノには両親が居る。それに、自分を「産んだ」というならまだしも「造った」等とは表しない。
「産んだ……つまり、親って事?」
「産んだんじゃない、造ったの。親って言われればそうかもしれない」
意図して言い換えたのだが、あっさりと訂正されてしまった。つまり、ユキノはその言葉の意味を理解している事になる。
質問を変える。
「君の言ったアリシア・テイラーとは、ここに居る人の事?」
「そう」
「同じ名前の他の人、別の、似た様な顔の人とは違う?」
「違う。この人。間違える訳ないよ」
ユキノが探していた「あの人」。それがマスター。アリシア・テイラー。
信じられる訳がない。
大きく息をつく。
「君はさっき、自分が動かなくなった、と言っていたね? それは怪我や病気でって事?」
「違うよ。言ったじゃない、ジャミングだって」
ジャミングなんて単語を十歳の子供が使うだろうか。ゲーム等で知っていたとしても、意味を解って使っているのだろうか。
「ジャミングって、どういった状況だったか解るかい?」
「だから……えっとね、敵に囲まれて、敵から攻撃されて、逃げようと思ったんだけど両脚が壊れちゃって。それで、脱出しようとしたんだけど、あたしが駄目で、動かなくなって、逃げられなかった」
先程までの淀みない口調から一転、たどたどしくなる。恐らく、自分でも言っている内容がよく解らないのだろう。
だが、俺には何となく解る。
やはり、俺が見た夢と大体同じだった。
ユキノも同じ夢を見たとでも言うのだろうか。それこそ、質の悪い偶然だ。
それともこれが、あの荒唐無稽な夢の続きなのだろうか。俺はまだ夢を見ているのだろうか。
思考のループをインターホンが断ち切った。
ユキノの母親が迎えに来たのだ。
「ユキノ! 一人で出て行っては駄目だと言ったでしょう!」
母親に怒られてしゅんとしているユキノは、普通の子供だった。恐らくこれが、いつものユキノなのだろう。
だとしたらあれは。
あのユキノは、何だというのか。
「ケイジ」
「あの子の事か」
「それと、ケイジ。何か普通じゃなかった」
「だろうな。……ああいう事言われちゃ、普通じゃ居られないだろ」
「そうだけど……それにしても、あの子は一体……?」
「俺に解る訳、無いだろ。少なくとも親の前じゃ普通の子供だ」
そう納得するしかない。言外にそう伝える。
「すみません。本当にご迷惑をおかけ致しました」
「いえ、とんでもありません。無事で何よりでした」
恐縮しているユキノの母親に、そう返すのが精一杯だった。
横目でユキノの様子を伺う。
叱られたのが堪えたのか、酷く落ち込んでいた。
その様子は、どこにでもいる、普通の子供だった。