小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 奥歯がカタカタと鳴っている。
 それでようやく、震えているのだと自覚した。
 目が無いのに、じっと俺を見ているのが解る。そこには何の感情も無い。喩えて言うなら、そう、観察しているかの様な。
 敵意が有るのか無いのか、それさえも解らない。
「動くな……!」
 相手からは何のリアクションも無い。
(くそッ)
 銃を持つ手が震え、照準が定まらない。
 相手が動き出した。床に届く程に細長い腕を、こちらに伸ばしてくる。
 警告はしている。迷っている暇はない。
 タン、と思ったよりも軽い発砲音。
 この距離だ。外す訳がない。
 相手の身体が揺れる。弾は首筋に当たっている。麻酔弾とはいえ、ダメージは大きいはずだ。
 だが。
「……何だ、お前」
 じりじりと相手が近付いて来る。
 さっき当たった弾など、かすり傷とも感じていない様だ。
 既に脇腹が抉れているのだ。今更この程度など、どうという傷ではないのだろう。
 俺は距離を取り、もう一度構える。次の狙いは、足。
 足さえ止められれば。
 引き金を引く。炸裂音、四発。
 弾は白い装甲の隙間にめり込んでいる。
 そして、何のダメージも与えていなかった。
「誰か居るのか!?」
 銃声を聞きつけたのか、警備員らしき人が叫んでいる。
「居ます! 俺はここの研究員です」
「了解した。今からそちらに向かう!」
 良かった。味方に見付けて貰えれば、きっとここから逃げ出せる。
 その安堵が、隙となった。
「! うあぁッ!」
 そいつの腕の先、かぎ爪の様な手が俺の身体に食い込んでいた。
 子供が人形を握り締めるような格好だ。ぎりぎりと力が加わる。骨が折れるか折れないか、それを試している様だ。
 抵抗しようにも腕が動かせない。もがくばかりで、そいつの腕を蹴り飛ばす事も出来ない。
 駆け付けた警備員がそいつの背後に回り、銃弾を浴びせかける。俺のものとは違って実弾だ。
 それなのに、そいつは構わず歩き出す。
 立ちはだかる警備員を邪魔だ、と言いたげに空いた腕を振りかざし、薙ぎ払う。
 軽く触れただけだと思えたのだが、警備員は壁際まで吹き飛ばされ、動かなくなった。
 白い装甲には真新しい、鮮やかな赤。
「化け物め……ッ!」
 後から来た警備員が更に銃撃を加える。
 そいつは鬱陶しそうに警備員を見回した後、更に歩き出す。
 その警備員達の背後には、新たな影。
「ッ……おい、後ろ!」
 必死で警告を放つが、一瞬遅かった。
 狂った様に飛び交う銃弾をものともせず、新たな敵は警備員達を突き飛ばす。
 惨劇、としか言えなかった。
 先程まで生きていた人が、物言わぬ肉塊へと変わり果てて行く。
 殺戮。
 虐殺。
 殲滅。
 悲鳴と、肉が裂ける音、そして血の匂い。
 俺はそれを、ただ見ている事しか出来なかった。


 呆然とする俺を掴んだまま、そいつは何かを探していた。
 展示ケースを確認する様に歩き、そして、止まった。
 そこにあるのは、賢者の石。
 そいつはケースに手を伸ばし、ガラスを砕いた。銃弾にも耐えていたケースは、呆気なく粉々になった。
(こいつ……石が見えているのか?)
 だとすれば、やはり賢者の石を奪うつもりだろう。だが、触れないものをどう奪うのか。
 考えている事が伝わったのか、そいつはおもむろに俺の身体を賢者の石の上に晒した。
 そして、かぎ爪で俺の腕を切り裂く。
「ぁぁあああッ!」
 突いたくらいの軽い動作だったが、俺の腕はざっくりと切られている。一瞬遅れて血が吹き出し、俺を掴む腕 を濡らし、賢者の石へと滴り落ちる。
 流れる血は、そこにある何かの上へ落ちていく。
 薄れていく視界の中で、その形が露わになる。
 血まみれの賢者の石。
 そこに在るのは、箱。
 俺の見た、あの箱。
 それが今、実体となってそこに在った。
 誰かが何かを叫んでいた。
 よく聞こえない。
 目の前が光り、俺を掴むそいつの身体が大きくふらついた。
 次いで、更に数を増した光が降り注ぐ。
 そいつは反撃を試みるが、果たしてそれは叶わなかった。
 俺を持った腕が根本から吹き飛ばされる。
 最後に見たのは、炎に包まれるそいつの姿。
 そこで、俺の意識は途切れた。

-39-
Copyright ©bard All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える