小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 けれど、とシジマは思う。謝って済む問題ではないという理由で、奈美のした事はやっていい事ではないと。
「は? 何言ってんの?」
 彼女は鼻で笑う。
「あいつ、解っててやってるのよ。部活だって、何度も辞めろって言ってやったのに、意地張って居座ってるし。それに……見たでしょ? あたしが中野君の事を好きだって解ってるのに、横から入ってくるし。あんな疫病神、さっさと居なくなれば良いのよ」
 口の端を歪め、奈美は言い捨てる。シジマは自分の血が逆流しそうな怒りを覚えた。奈美が最後に水崎に吐いた言葉を思いながら、彼は声を荒げる。
「よくそんな事を平気で言えるな。自業自得って言うけど、何で自分が正しいって思い込んでるんだよ。あんなにも追い詰めて……それが原因であの子は自殺する可能性だってあるんだ。罪悪感とか、無いのか」
 彼女はシジマの剣幕に一瞬怯んだが、すぐに調子を取り戻す。
「辞めれば良いだけなのよ。部活も、あたしの邪魔をするのも。そんな簡単な事もしないで、意地張ってる方が悪いのよ。嫌なら逃げれば良いだけじゃない? それで自殺したって、そんなのは本人の勝手でしょ。あたしは関係無い」
 水崎の姿が、かつてのシジマと重なる。
 味方は居ない。誰もが敵で、信用出来ない。たった一人で孤独に耐え続けて、それでも追い詰められる。奈美の言う事も解らない訳ではない。逃げれば良かったのだ。そこから離れるだけでも良いのだ。けれども、竦んだ足では逃げられなかった。だから死を選ぶしか無かった、と彼は唇を噛む。もしも水崎が自分と同じならば、彼女も――。
「お聞きしても、よろしいですか?」
 張り詰めた雰囲気を緩めるように、カクリが柔らかな声で問い掛ける。落ち着かせるようにシジマの肩に手を置き、ベルベットの笑みを浮かべた。
「先程からあなたのお話を伺っておりましたが、どうも気になりまして」
「な、何よ」
 奈美は毒気を抜かれたのか、幾分声を落とした。
「水崎さんは、あなたよりも下の立場なのですか?」
「下って……」
「水崎のくせに、と言われてましたよね。先の帰宅時でしたが、あなたが度々繰り返されていたので」
「下も何も、何度も言うように悪いのは向こうよ」
 飽きたと言わんばかりの調子で彼女は答える。
「だからあなたの要求を聞かねばならないと」
「そんな大袈裟な事は思ってないけど、悪いと思ってるならこっちの言う通りにするのは筋ってものじゃないの?」
「なるほど、そうですか。解りました」
 カクリが目を細めた。彼女の答えに得心したのだろう。
「シジマ、どうだい? そろそろ結論を出すべきだと思うけれど」
 最後の質問をしろ、とカクリが暗に告げていた。シジマは引き結んだ唇を開く。
「あの子が逃げなければ、また同じ日々が続くのか」
「止める理由がどこにあるの? 逃げない方が悪いのに」
「あの子が自殺しても本当に構わないのか」
「言ったじゃない。そうなったとしてもあたしは関係ない、あいつの勝手」
 奈美は一つ息をつき、付け加える。
「消えてくれれば良いのよ。落とされたのが水崎だったら良かったのに」
 頭の芯が熱くなり、急激に冷えていく。
 怒りが飽和した瞬間だったのだろう。激情が僅かな心の葛藤を全て押し流し、彼の頭を冴え渡らせる。真冬の夜空よりも冷たく、余りにもすっきりしとした心持ちだった。シジマはまばたきをして、つとカクリを見上げる。
「決まったのか」
 シジマは小さく首を動かす。左右に、断言するように。
「良いんだな」
 肯定の代わりに目を伏せる。
「解った」
 カクリが彼女に向き直った。酷薄な笑みをそこに浮かべ、奈美をまっすぐに見下ろす。
「藤内奈美さん、審判は下りました。残念ながら、あなたは現世に戻れません。このまま死ぬ事になります」
 奈美の瞳が、驚愕と絶望で見開かれる。声すらも出ないのか、薄く開いた唇がそのままの形で固まっていた。
 そんな彼女に構わず、カクリは机に置かれていた携帯を手にする。それを両手で包み込むと、強く握り込んだ。枯れ木が折れるような、軽く乾いた音。組み合わされた指の間から骨灰が落ち、霧散する。
「お別れです、藤内奈美さん」
 状況を飲み込めなかったのか、奈美はカクリを呆然と見つめたまま動かない。
「どういう、事?」
 やっと紡いだ言葉は震えていた。
「先程も申し上げましたが、あなたはこのまま死ぬ事になります」
「え……?」
 奈美は亡者のようによろめき、立ち上がる。そのおぼつかない足取りで二人の元へと歩み寄った。
「死ぬの? 冗談でしょ?」
「残念ながら違います」
「嘘よ、嘘でしょ? あたしが生きられないなんて、そんな、そんな馬鹿な事は無いわ」
 カクリにすがり、彼女は訴える。
「あたしは生きたいの。やりたい事もあるし、やらなきゃいけない事もあるし。それなのに、殺されるなんて嫌よ」
「存じております」
「だったら生き返らせてよ! 解ってるんだったら生きさせてよ!」
「出来ません。決定事項ですから」
 カクリはそう言い、シジマに視線を落とした。奈美の顔色が変わる。今更気付いたのですか、と彼はせせら笑った。彼女はようやく理解したのだ。審判の鍵を握っていたのが青年ではなく、同年代の少年であった事に。
 奈美はシジマの隣に身を寄せる。ひざまずき見上げる彼女は、主人に許しを請うメイドのような有り様だった。
「ねぇ、あたしが生きたいって、あなたも解ってるんでしょ? 解ってるなら、ね?」
 媚を含みしなをつくり、精一杯微笑む。
「あいつ……あ、水崎……さんの事も、その、やり過ぎたって思ってるわ。ちゃんと謝って、友達にしてあげるし。もうあんな事、絶対にしないから」
 シジマの腕に己の腕を絡め、恋人のように寄り添う。しかし、彼が抱いたのは嫌悪感だった。
「お願いだから! 嫌よ、こんなの嫌よ! ねえ!」
 涙声で彼女は叫ぶ。泣き濡れたその顔には、もはや恐怖しか無かった。シジマは命乞いをする彼女から顔を背け、低く言い放つ。
「自分で言ったんじゃないか。自業自得だって。謝って済む事ばかりじゃないって」
 奈美の顔が引きつる。
「ち、違うの! あれは――」
 扉の開く音が、彼女の言葉を引きちぎる。誰だ、と向けたシジマの視線の先には、カクリとよく似た雰囲気の青年が二人。男女の双子だった。カクリと同じように薄く微笑みを浮かべている。
「これでお別れです。さようなら、藤内奈美さん」
 カクリの言葉を合図に、双子が奈美の両腕を取った。
「何? 何するのよ」
「いきましょう、藤内さん」
「い……嫌よ! 離して!」
「心配する事は無いわ、奈美さん。さあ」
 抵抗し暴れる彼女を軽々と抱え、双子は部屋の外へと向かう。
「嫌、死にたくない、死にたくない! 人でなし! 人殺し! あんたの事は許さないから。あたし、絶対に許さないから!」
 奈美はシジマを睨み付け、わめく。最後は殆ど言葉にならず、嗚咽と絶叫がこだましていた。それが棺の音と共に閉じられると、静寂が再び部屋を満たしていった。

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