小説『アイドル相澤励25歳の恋(1)』
作者:ラベンダー()

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「さっさと帰って!」

その声に、相澤は驚いて振り返った。

「励さん、ごめんなさい!気にしないで!」

相澤の隣に座っているホステスが、手を合わせて言った。

相澤は自分の事務所の社長と一緒に銀座のクラブにいた。
ホステスは、今も立ち上がって怒っている。

相澤はくすっと笑って「あの子、何て名前?」と、隣のホステスに尋ねた。

「亜希子ちゃん。気が強いの。」
「ふーん…でも今のは客の方が悪いんじゃないの?」

相澤は亜希子というホステスが怒る前から、後ろが気になっていた。
結局、亜希子に怒られた客は、へらへら笑いながら帰っていった。


社長とクラブを出る時、相澤は亜希子を探したが見つけることはできなかった。

……

翌日−

相澤は昨日行ったクラブに行き、亜希子を指名した。

亜希子が驚いていた。相澤励と言えば、まだ弱冠25歳のアイドルである。
正直、こんな高級クラブにくるような年ではない。

「亜希子です」

亜希子が、笑顔で相澤の席に来た。心の中では不審に思っている。

「相澤です。よろしく」

相澤が亜希子に頭を下げた。何か初々しくて、亜希子は笑った。

もし今日相澤が料金を払えず、ツケになった場合、亜希子が立て替えなければならない。
亜希子は相澤の顔を見て、それでもいいかと覚悟を決めていた。

「テレビでよく拝見しますわ。」

亜希子が言った。

「そう?最近は出てないけど。」

相澤はビールを飲みながら、そう言った。
亜希子がむっとして尋ねた。

「どうして私を指名されたの?」
「昨日、お客に怒鳴ってたでしょう?」

相澤が亜希子の顔をちらりと見ながら言った。

「やだ…昨日いらっしゃってたの?」

亜希子は口を手で覆って言った。

「あなたの真ん前にすわってました。だからあなたがどうして、あのお客に怒鳴ったのか、知っていますよ。」

相澤が言った。

その時、若いホステスが2人、失礼しますと言って、相澤の席に来た。
多分店が気を遣ったんだろう。

相澤が迷惑そうな顔をした。

「悪いけど…今日は亜希子さんだけで。」

そう相澤に言われ、ホステス達は戸惑った表情をした。
亜希子が相澤に言った。

「相澤さん、この子達もお願い。」

相澤は驚いた顔をしたが「あなたがそういうのなら」と言った。

若いホステス達は、キャーと声を上げて、相澤の両隣に座った。だが、相澤は怒ったように立ち上がった。

「ごめん。今日は帰ります。」
「相澤さん?」

亜希子がホステス達と顔を見合わせて、困ったように言った。

「あまりこういうところのルールって僕はわかりませんが、僕は今日亜希子さんと話がしたくて来たんです。これじゃ話せない。帰ります。」

相澤はリストに向いて歩きだした。

ボーイが驚いていたが、料金を計算し、紙に書くと相澤に差し出した。相澤はその金額を見て、財布から現金を出し払った。

亜希子が慌てて、出口まで見送りにたった。

相澤がそれに気づいて、亜希子に振り返った。

「名刺あります?」

相澤にそう言われ、亜希子は持っていたポシェットから名刺を出し、相澤に渡した。

「メールアドレスがありますが、出しても構いませんか?」
「え、ええ、もちろん。」

相澤は、亜希子に名刺をかざして見せて、帰って行った。

……

翌朝、亜希子は相澤からメールが入っていることに気づいた。

「昨日は失礼しました。あなたと二人だけでお話したいのですが、お店では無理なんでしょうか?僕は喫茶店でも飲み屋でもどこでもいいのですが、外では会ってもらえないと思うので、あなたからお店に2人きりで話せるようにセッティングしてもらえませんか?」

亜希子はどうしてそこまでして自分と話をしたいのかわからないが『VIP席なら2人になれる。ただし、高い料金を払わねばならない』と返信した。

すぐに返事が帰ってきた。『細かい料金を教えてほしい』とあった。

亜希子は料金を返信した。

すると『今夜19時頃行きます。予約できるならしておいて下さい。』とあった。

亜希子は了承した。

……

約束通り、相澤は19時きっかりにクラブに現れた。

店長が「昨日は失礼いたしました。」と相澤に言った。
相澤は「いえ」と言って、財布を出した。店長が不思議そうな表情をすると、

「不安でしょうから、まずこれだけ先に渡しておきます。足りなくなったら、また声をかけてもらえますか?」

店長は相澤からまとまったお金を差し出され、驚いた表情を見せたが「確かに」と受け取った。

「領収書は?」
「一応いただきます。」
「宛名はどうされます?」
「相澤で構いません。」

相澤が言った。店長は「了解いたしました」と言い、VIPルームに案内した。

VIPルームに、亜希子が入ってきた。
また昨日と衣装が違う。

「昨日は失礼をいたしました。」

亜希子が相澤に頭を下げた。

「いえ。今日はゆっくり話せそうですね。」
「ええ。」
「衣装は毎日変わるんですか?」

相澤が尋ねた。亜希子は面食らって答えた。

「ええ。365日変わるわけではありませんが」
「そうでしょうね。びっくりした。」

ボーイがピッチャーに入ったビールを持ってきた。亜希子がそれを相澤のグラスについだ。独りでピッチャーに入ったビールをたのまれたのは、初めてだった。
相澤はビールを飲んだ、そして領収書を受け取って、内ポケットに入れた。

「会社払いですの?」
「いえ、自前です。気をつけないと、どれだけ使ったか、わからなくなるから。」
「まぁ」

亜希子は、案外しっかりした人だわ…と思った。

「あ…あなたもビールでよかったんですか?他のを飲まれるのでしたらどうぞ。」
「私は構いませんけど…でもボトルにされた方が安くすみますよ。相澤さんの飲み方ですと…。」
「俺、ビールしか飲めないですから。」
「そうですの…じゃあ私がボトルにしますわ。ちょっとは安くなるでしょうし。」
「でも、ドリンク代もあなたに入るんでしょう?」
「ええ…まぁ…」
「どちらでもいいですよ。亜希子さんが飲みたいものを…」
「じゃあ…ウィスキーをもらいますわ。」
「どうぞ。」

亜希子はボーイをよんで、ウィスキーのボトルを頼んだ。相澤が恥ずかしくないように安すぎず、かといって、高すぎないランクを選んだ。

「相澤さん…」
「励で。」

亜希子はごめんなさいと言って、

「励さん…最近、テレビに出てないっておっしゃってましたけど、今日夕方に出てらっしゃいましたよね?」

と言った、相澤の顔が驚いた表情になり、とたんに目を反らして顔を赤くした。
今まで無表情だっただけに、亜希子はどきりとした。

「見たんですか…あれ」
「生放送じゃなかったですよね?」
「ええ、録画です。撮ったの先月じゃなかったかな…」
「まあ、そんなに前に?」
「あれから仕事はないんです。」
「え?そうですの?」
「情けない話です。パートナーの明良(あきら)は、歌がうまいからバラードで繋いでますけど…。俺は踊ることしかできないから、最近一人の仕事がないんです。」
「そうですの…。」
「ああ、すいません…愚痴など言って…」
「いえ…お客様の愚痴を聞くのが私達の仕事ですから。」
「へぇ…。ホステスさんて、大変なんですね…。失礼な客は怒って追い出さなきゃならないし…」
「あ…」

その相澤の言葉で、亜希子は思い出した。相澤は何か笑っている。

「おとつい、私の前の席にいらっしゃったって…」
「ええ」
「全部聞こえてました?」
「ええ…。後ろだったので、声しか聞いていませんが、何かあなたに、これ欲しいだろ?とか言うようなことを言ってましたね。これっていうのは、音からして、多分札束なんじゃないかなって。」
「……」
「まさか頬じゃないとは思うけど、パシパシいってたから…」
「私の膝です…」
「……」
「帯がついたままの100万円の札束を…」
「それで怒ったんだ。」
「確かに、お金を稼ぐためにホステスしていますけど、でも何をしてもいいわけじゃないでしょ?頭にきちゃって…」
「お客帰った後、あなたはいなかったけど…」
「店長に怒られてたんです。」
「どうして怒るんですか?」
「ホステスはそれを耐えるのも仕事だって…。だから売上が悪いんだって…」
「悪いんですか?」
「ええ、最下位ですの。今日は励さんのおかげで最下位にならずにすみますけど。」
「それはよかった。」

相澤が微笑んだ。

・・・・・

二つ目のビールのピッチャーがなくなりかけていた。相澤一人で飲んでいるのに、相澤は顔色が変わらない。
時々トイレにも行くが、しっかり歩いている。


亜希子はビールのピッチャーを頼みにフロアに出てボーイを呼んだ。ボーイが驚いて、亜希子をVIPルームの方へ押しやった。

「どうしたの?」
「中川さんがきてるんですよ。」
「えっ!?」

亜希子は血の気が引くのを感じた。
中川とは、今、相澤と話していた客だった。いつも亜希子を怒らせ、それを楽しんでいる。ある意味、変態に近い性格を持っていた。
また独占欲が強く、客が重なると癇癪を起こす癖がある。そのために亜希子の客が減ったのは確かだ。
それでも、大きな会社の役員で、無碍にはできなかった。

「亜希子さん、休みって店長いっちゃったものだから…」
「掛け持ちはいやだわ」
「VIP優先ですから、大丈夫ですけど…とにかく、フロアには出ないで下さい。」
「わかったわ。じゃ、アイス(氷)とビールのピッチャー持ってきて」
「わかりました。」

ボーイは慌てて厨房に入っていった。

……

「何かありましたか?」

亜希子の顔色が悪いのに気づいたのか、相澤が尋ねた。

「いえ…何も…」

そう亜希子が言った時、フロアから怒鳴り声がした。

亜希子はその声を聞いて、両手で口を抑えた。相澤が何かを予感して、咄嗟に亜希子を自分の背中に隠すようにした。

「亜希子!いるのか!」

酔っ払った中川がVIPルームに入ってきた。

「お前か!亜希子を独り占めしてるのは!」

中川は相澤の顔を見て、怒りをつのらせた。

「こんなガキを優先するなんて、どういうことだ!」

相澤は黙って中川を見上げている。

「おい!金をやるから、こっから出て行け!」

100万円の札束をテーブルに投げた。

相澤は札束には目もくれず、ただ黙って中川を睨んでいる。

亜希子は観念して、相澤の背中からでようとした。
だが、相澤が腕を後ろに回して、亜希子の体を抑えた。

「励さん…危ないわ」

亜希子が相澤に囁いたが、相澤は小さく首を振った。

「出て行けと言っただろう!」
「お断りします。」
「ガキのくるところじゃない!」

相澤はだまって、中川を見上げている。

「こうなりゃ、力ずくで…」

中川が相澤の胸倉をつかんだ。

「相澤さん!」

亜希子が咄嗟に叫んだ。
次の瞬間には、相澤が顔を拳で殴られていた。
相澤は抵抗せず、ソファーに倒れ込んだ。
亜希子の何かが切れた。
次の瞬間には、亜希子が中川の頬を叩いていた。

「!?」
「最低!二度と来ないで!」

亜希子が叫んでいた。

中川は頬に手を当てたまま「覚えてろよ!」といい、VIPルームを出て行った。


亜希子がソファーから起き上がった相澤に声をかけた。

「相澤さん!大丈夫?」

相澤の頬が赤くなっている。
相澤は芸能人である故に、一般人に手を出せない。
亜希子もそれはわかっていた。

「相澤さん…ごめんなさい…」

亜希子が相澤の顔を覗き込んで言った。

「すいません…。」

相澤が謝っているのを聞いて、亜希子は目を見開いていた。

「あの方常連さんですよね。」
「そうですけど…」

亜希子がそう心配そうに相澤に行った。

「帰ります。」

相澤がそう言ったのを聞いて、亜希子は驚いた。

「どうして!?」
「常連さんを怒らせたからです。」
「!?」

相澤が切れた唇に手を当てながら言った。

「ありがとう。いい思い出になりました。」
「!?」

相澤はそういい、VIPルームを出た。亜希子は相澤の背中を追った。

「相澤さん!まだ時間…ありますから…」

相澤からは、先払いで料金はもらっている。
まだ相澤はその料金を使い切っていなかった。

「今日限りのつもりで、お金持って来てたから…。」
「!?」
「ありがとう。」

相澤はそう微笑んで、クラブを出て行った。

「相澤さん!待って!」

亜希子がエレベーターに乗ろうとする相澤の腕を引っ張った。

「行かないで!お願い!」

亜希子が涙ぐみながら、相澤に言った。

「…亜希子さん?」
「もうお金いらないから…お願い…行かないで…」

相澤は涙声でそう言う、亜希子の表情を驚いた表情で見ていた。


…だが相澤は、店には戻らず結局帰っていった。
パートナーの北条(きたじょう)明良を携帯で呼んで迎えにこさせ、明良の運転する車に乗って帰って行った。

……

明良が、後部座席でぐったりしている相澤に言った。

「先輩…何があったんですか?殴られたようですね。」

相澤は黙っている。

「ホステスさんが泣いてましたけど…。あの人をかばったんですか?」
「忘れるよ。」

相澤が言った。

「俺のことなんて…すぐに忘れる。」

明良は意味がわからなかったが、運転しながら相澤の顔を見た。

(先輩は、しばらく忘れそうにないな。)

明良はそう思っていた。


……


「先輩!」

明良が事務所ビルの玄関を飛び出た。

「…待っててって行ったのに…。」

ダンスのレッスンの後、明良は相澤に一緒に帰ろうと言った。だが、相澤はロビーにいなかった。明良は辺りを見渡しながら言った。困ったように立ち止っていたが、やがて相澤の家の方向へ向かって走り出した。

……

明良は相澤の家の呼び鈴を押した。
インターホンから、百合の声がした。

「明良ですけど…先輩、帰ってます?」
「え!?」

明良は悪い予感が当たってしまった事を知った。

「…まだなんですか?」
「まだ帰ってないわよ。」
「そうですか…じゃ、行き違いになったのかもしれないんで、事務所に戻ります。」
「ごめんなさいね。」

明良は、事務所に向かって走り出した。

……

明良は、ビル街の途中で立ち止まった。
ビルとビルの隙間の奥に何かが見えたような気がした。

明良は後戻りして、隙間に入ってみた。

「…!…先輩!?」

明良はうつぶせに倒れている相澤の体を仰向けにして抱き上げた。

「…先輩!」

相澤は顔をしかめている。
顔に痣があり、Tシャツから覗いている腕や体にも痣が多数ある。

「!!先輩!しっかりして下さい!今、救急車を呼びますから!」

相澤がその明良の手を止めた。

「…頼む、誰にも言うな…。」
「でも…」
「誰にも言うな!!」

そう言って相澤は顔をしかめた。

「先輩…」

明良は、一呼吸置いてから行った。

「…先輩…。先輩が黙っていても…これでは終わらないと思います。」

相澤が目を見開いて明良を見た。

「…亜希子さんが…!?」
「亜希子さんっておっしゃるんですね。」

明良はゆっくり相澤の上半身を起こし、座らせた。

「亜希子さんの家に行った方がいいと思います。」
「!?…」
「亜希子さんの家をご存知ですか?」

相澤は首を振った。

「…じゃ、とにかく店に行きましょう!…先輩、事務所まで走れます?」
「走れる…!!」

と言って、相澤が立ち上がろうとしたが、またうつ伏せに倒れた。

「…無理みたいですね。」

明良が苦笑しながら言い「こっちに車を回します!」と言って、走りだした。


……


相澤は明良の車に乗せられ、亜希子の店に行った。

もちろん店は開いていない。
だが、店長がいた。

「!相澤さん?どうしたんですか?」

店長は、相澤の顔に痣が増えていることに気付いた。

「すいません…亜希子さんの家を教えてもらっていいですか?」
「!?…」

店長は亜希子の家を教えてくれた。


……


「亜希子さん!」

相澤がドアを叩くが、返事がない。
インターホンも何度も鳴らしたが、反応がなかった。
しかし、しばらくして、カチャっという音がした。
相澤がドアを開けると、服をボロボロにされて、その場に座り込んでいる亜希子の姿があった。

相澤は、慌てて亜希子の体を抱きしめ、明良に「見るな!」と言った。
明良はとっさに背を向けドアを閉めた。

「先輩、聞こえますか?」

明良は廊下に人がいないのを確認しながら、ドア越しに小声で言った。

「聞こえる」

中から相澤の声が帰ってきた。

「警察と救急車は?」

しばらく間があった。

「呼ぶな。」

亜希子が嫌がってるのだろう。

「では、僕の知り合いの医者を呼びます。先輩も診てもらわないとだめですよ。」

返事がなかった。

明良はドアから離れようとした。

「明良!」

明良はびっくりして、ドアに耳を当てた。

「何です?先輩…」
「…ありがとう…」

明良は、ほっとして笑った。

「先輩には借りがたくさんありますから。」

明良はそう言って、ドアから離れ、駐車場に向かいながら、携帯を開いた。

……


2週間後ー

相澤は亜希子が今日からクラブに出ると聞き、クラブに行った。
手には薔薇の花束を持っている。
相澤が入ると、店長が迎え出て丁重に頭を下げた。そして目配せした。
中川が来ているらしい。
相澤がうなずいた。
亜希子は中川の接客をしていた。中川は満足そうにしている。

相澤は、店長に案内されるままVIPルームに向かった。

「おい!何でそいつがVIPルームなんだ!」

中川が立ち上がって言った。

「…大事なお客様だからです。」

店長が言った。

「なんだとっ!?さっき、予約があるって言ったのは、そいつのためか!?」

相澤が店長を驚いて見た。店長が微笑んで相澤に言った。

「必ず来られると思いましてね。」

相澤が「ありがとう」と言った。
亜希子が立ち上がった。

「…亜希子?」
「VIPルームが優先ですので…失礼します。」

亜希子がそう言い、相澤の傍に来た。
相澤は薔薇の花束を亜希子に手渡した。

「…復帰おめでとう」
「ありがとう。」

亜希子が花束を受け取った。

「古典的なのね。」
「嫌いでしたか?」

相澤が笑いながら言った。

「いいえ。大好きよ。」

亜希子はそう言うと、相澤が亜希子の腰に手を回し、VIPルームへ向かった。

「亜希子!!戻ってこい!」

中川が叫んだが、亜希子は中川に手を振って、VIPルームに入って行った。


その時、ドアが開いた。
男性が2人入ってきたが客ではないようだ。ボーイに黒いものを見せ、囁くように話している。
ボーイが店長を呼んだ。店長がその男性に頭を下げて、立ちあがったままの中川を手で指した。中川が驚いた表情をしている。
刑事2人は中川に近寄った。

「中川健三さんですね。」

中川はとっさにうなずいてしまった。

「詐欺容疑がかかっています。」
「詐欺!?」
「えーと、後、暴力団とのつながりについても聞きたい事もありましてね。ご同行願えますか?」
「どっちも身に覚えがない…」
「そうですか…ならば、同行いただいても問題ないですよね?」
「!!!」
「署でお話をお聞きしたいのですが…」

中川は足が震えてしまい、座りこんだ。

「飲み過ぎのようですな。手をお貸ししましょう。」

刑事がそう言って、中川を立たせた。中川は何も言わず、刑事に連れられてクラブを出て行った。


……

相澤と亜希子は何も知らされず、ビールで乾杯をしていた。

「本当にもう大丈夫なんですか?」

相澤が亜希子に尋ねた。

「ええ…顔も体の痣もすっかり消えて…。北条さんが呼んで下さった、お医者様のおかげです。相澤さんもすっかり消えたみたいですね。」
「俺は男ですから、構わないのだけど…。」
「北条さんに、お礼を言いたいんですけど…。」
「んー…でも、あいつ酒飲めないし…ここには来ないと思うけど…」
「そうですか…。じゃぁ、北条さんのお電話番号教えていただけません?」
「…どうして?」
「お礼を言うためですわ。」
「…それだけ?」

亜希子が笑った。

「それだけです。」
「やっぱり…僕から伝えておきます。」
「??」

亜希子は意味がわからないようだ。

「…あいつに惚れられても困る。」
「…!…嫌だわ。相澤さん。」

亜希子が笑った。相澤も照れくさそうに笑っている。


相澤が帰る時、亜希子は店長に言われて、一緒にエレベーターに乗って相澤を見送ることになった。
エレベーターに乗ってから、亜希子は相澤に頭を下げた。

「今日はありがとうございました。…またいらして下さいね。」
「…もう…いつになるかわからない…。」
「!…そうですか…」

亜希子が寂しそうな表情をした。相澤は、亜希子の背に手を回し、唇にチュッとキスをした。

「!!」

亜希子が驚いて口に手を当てると、エレベーターのドアが開いた。

「さよなら」

相澤はそう言い、背を向けたまま歩き出した。

「励さん!待って!!」

亜希子がドアが閉まりかけたのを、手で押しあけて相澤を追った。

だが、その時はもう、相澤はタクシーを掴まえ、乗ってしまっていた。
亜希子が駆け寄るのも待たずに、タクシーは発進した。
相澤は亜希子の方を見ることもなく、去って行ってしまった。

亜希子は口に両手を当てて、涙を堪えていた。


……


「…先輩…」

明良が番組のリハーサル中に、相澤に声をかけてきた。

「…亜希子さんに、メール出しましょうよ。」
「…店に行けないのに、メールだけ出すなんてできないよ。それに…あんな高級店のホステスさんがいつまでも僕のことなんて…」
「あのね、先輩…。」

明良が相澤の肩に手に乗せて、諭すように言った。

「先輩は「相澤励」なんですよ。」
「???」
「芸能人の「相澤励」なんです。亜希子さんからだって出しにくいじゃないですか。それこそ向こうも営業メールだと勘違いされたらどうしようと思ってます。」
「……」

相澤は悩んでいるようだ。

「もう…じれったいなぁ…」

明良は相澤のポケットから携帯を取り出した。

「!?…おい!やめろ明良!!」

明良は逃げながら、携帯を開きメールをうちだした。

「亜希子さん…お元気ですか…と…」
「明良っ!!わかった!自分でやるっ!自分でやるからっ!!」

明良は笑いながら、相澤に携帯を返した。
相澤がメールをうつ。その横から明良が覗きこもうとした。

「…見てもいい?」
「だめっ!!」

相澤は袖の隅まで行って、黙ってメールを打ち続けた。
明良はくすくすと笑いながら、その相澤の背中を見ていた。


それから、亜希子からすぐにメールの返事が来たという。
お店でなくてもいいから、会いたいとあったらしい。

(僕の役目は、一旦これで終わりかな。)

明良はほっとしながら、そう思った。

(終)

-1-
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