小説『花鳥風月 かまいたち[完結]』
作者:桃井みりお(999kHz Lollipop Records Radio Blog)

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 耕作が知っている花壇も、ベンチも変わらぬままあった。
ただ、記憶より小さく感じるのは、耕作の体があの頃から随分と大きくなっていたからだ。
耕作の記憶の中の公園は、いつも冬だった。

 耕作は花壇の前から、広場を見た。広場では数人の子供たちがサッカーボールを追いかけて
声を上げながら走り回っている。しばらく見ていると、広場の真ん中で小さなつむじ風が起こった。
少年たちは「わぁー」と声を上げた。少し体の大きな少年がボールを蹴りそこね、
ポーンと耕作のほうへ飛んできた。
「すみませーん」と、少年が頭を下げるので少し移動して蹴り返そうとしたとき、耕作とボールの間に
すっと陰が入り、ポンっとボールを蹴り返した。

 その陰は耕作と同じか、少し年上に見える男性だった。
黒いジャケットを着た、インテリな印象の紳士だった。
男は立ち止まることなく、ゆっくりと耕作の前を横切っていく。そのとき、ちらりと胸元の
ワッペンが耕作の目に留まった。よく見えなかったが、蛇が二匹絡みついている紋章。

──この男、あの日の──
耕作は一瞬そう思ったが、20年経ったのを考えればあの日の男はおそらく50絡みの
中年になっているはずだと思い、声をかけるのを躊躇った。あの時顔をしっかり見ておかなかったので、
顔つきでは判断できない。ただ、特徴的なワッペンだけを根拠になんて声をかければいいのかと迷った。

 
「あの、私を覚えていますか?」
耕作は思い切って声をかけた。紳士はゆっくりと振り返った。
向き合う2人の間を、さぁーっと風が通り抜けた。


「この公園で、あなたに会ったことがあるんです」
耕作は相手の答えを待たずに続けて言った。


 長い沈黙の間、紳士はじっと耕作の顔を見つめていた。


「ええ、はっきりと覚えていますよ」
紳士の声は、落ち着きのある優しい声だった。

 耕作は息を呑んだ。言葉の出し方どころか、息の吐き方さえわからなくなったようだった。
紳士はゆっくりと耕作のほうへ歩いてくる。やはりワッペンには見覚えがあった。
あれから、耕作は枝に二匹の蛇が絡みつく紋章について調べたことがあった。

──エルメスの杖──

難しいことは忘れてしまったが、その名前が高級ブランドの名前と一緒だったので耕作は記憶していた。
やっぱり、と耕作は思った。一体この紳士は何者で、何から話せばいいのか耕作には全く考えつかなかった。


「では、あのベンチで話しましょうか」
と、紳士が指差したのは20年前に耕作たちが願いを告げたベンチだった。

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