小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【イセキ・サーガラに関するレポート 子猫とドラゴン】


「がんもの子供がつみれ?」
「違うよ。つみれはお母さんで、つみれの子供がこんにゃく。
 それとは他人で、がんもとちくわが兄弟。
 他に、はんぺん、きんちゃく、こんぶ」
「わかんねぇよ!」
「実物見ればわかるよ。そのまんまだから」

何の話かというと、野良猫の名前である。
バー街の雑居ビル裏あたりを根城としている野良猫集団で、
茶ぶち猫に誰かが「ちくわ」とつけてから
芋づる式に全員おでん名前になっていったのだという。

「ネーミングなんかどうでもいいんだよ。野良猫がなんだって?」
「がんもが妊娠してるみたいでさぁ。子猫の里親を」
「はぁ?キャンバスで爪とぎされたらどうすんだよ。動物なんか飼えねぇ」
「いくつか部屋あんでしょーが!
 つーか、知り合いでいいから適当に声かけといてっつーの!」
「おお……まぁ、覚えてたらな」

彼はグラスを少し傾けて氷を鳴らし、口をつけずに置いた。
あたしの知る限り、動物じたいは好きなはずである。
とはいえ野良猫を飼ってくれる期待はあまりしていなかった。
人物画を描くのは、人間という動物が一番好きだからだ。


イセキ・サーガラという男は昔から芸術家肌である。
コミュニケーションは下手ではないが世渡りに興味はない。
描きたいものを描けて、わかる人にだけわかってもらえれば充分。
普通の人には理解できない、もしくは思っても実行できないことをしばしばする。
「社会性に欠ける」が通信簿の常連だった、と本人も言っていた。
そうやって先生たちからもてあまされてきたこの男が
いまや先生と呼ばれているのだからおかしい。


もう、十何年も前になるだろうか。
大学の美術部であたしたちは知り合った。
正直あかぬけない人の多かった中でちょっとめだつ美青年。
頬が痩せていて、鼻高く彫り深く、ギリシャ像みたいだった。
ときおり見せるギラギラとした瞳にはっとしない人はいなかったろう。
大学を彼は一年で辞め、美大に入り直し、いま本当に画家で食べている。
「サーガラ」は仏教系説話における龍王の名である。すなわち、ドラゴン。
表しがたいなにかを表す闘いに命を賭ける目をした彼にはふさわしい名だ。


「チサトはその猫飼うの?」
「もらい手がなければ考えてる」
「っつーか、猫とか飼っちゃう状況なの?今」
「……なに?悪い?今は独りですけどなんか悪い?」
「あ、結局別れたんだ」
「うちと提携してるSNSで女作ったんですってよー!
 うーもうドリカ.comさんの仕事したくねー!」
「そう言わず頑張れ。ドリカさんは悪くない」

「あんたは?子猫ちゃんのおかげで最近景気いいみたいね?」

あたしの反撃に、彼はうっとりと遠くを見つめる目をして
歌うように低く呟いた。

「ああ……。あれは、バケモノだよ」

狐とか幽霊に化かされている人に会ったら
きっとこんな目をしてるのだろう。
ということはバケモノという言葉は正しいのかもしれない。


サーガラは女に不自由することなどない。
恋人でも遊び相手でもよりどりみどりだ。
バーやクラブで引っかけたのが50%、モデルが40%、その他。
長いこと友達やってていろいろ見てきたが、
今回のモデルは中でもかなりヒットだったようである。
性別年齢不明の美形モデル『アルル』。
サーガラがアルルを描いた『光』シリーズの絵は世間でも評価が高く、
値段と賞をごっそり獲得している。

あれはすごいぜ。人間じゃないかもってくらい。
俺病気なんじゃないかとか、夢見てんじゃないかって思うよ。
スイッチオンにしたあいつと目が合うといまだに震えるんだ。
あのオーラをなんとか表したいんだけど
まだまだ……描いても描いても足りねぇんだ……。
酔いとうつつの間でそんなことを呟いたこともある。

あたしはサーガラの才能は買っているけど
今回ばかりは……
何がそんなに良いのかよくわからない。

わかりたくないのかもしれない、とよぎったのを慌てて吹き飛ばす。

サーガラはモテたし実際遊び人だが
そのくせ変なところ義理堅いというか潔癖だ。
美術部でも美大でも、卒業してもずっと、外でしか作らない。
アーティスト・デザイナー・クリエイターを絶対に恋愛対象にしない。
クリエイターは「仲間」であって「オンナ」に見えない、と言っていた。
あたしは、そうは思ってない、と言うチャンスを何度か逃がした。


どうした龍王。
最強オーラのバケモノはあんたのはずでしょう。
あんな男か女かもよくわかんないガキ猫ちゃんに骨抜きにされて。
目が合うと震えるだなんて、情けなくて笑い話にもならない。
あんたは大人しく、あたしくらいの
二流ネトゲキャラデザの上で偉そうに君臨してればいいのに。


――すねた言葉をハイボールで飲み込んで、
あたしは「クリエイター仲間」に戻った。
何を言ったって無駄なのだ。
相手が謎の子猫ちゃんであることに妬いたって意味はない。
彼がオトコの目であたしを見ることより、
ドラゴンの目で誰かを見ている彼の横顔のほうに
ずっと魅力を感じるあたしにとって
やっぱりヤキモチなんて大した問題じゃないのだ。


「あーあ、あたしって報われねぇなぁー」
「ん、何が?」
「うっさい。こっち見んな」
「えぇー?」

                _■fin

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