小説『考えろよ。[完結]』
作者:回収屋()

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 [歴史の汚点と自壊イベント]

 ―――――― やがて時間は過ぎ ――――――

「もう付き合ってられんのだよ、地球(オマエ)には」
 夜の海に月明かりと不気味な静寂が訪れた。海上から船の姿も波の音も消えた。終幕の準備が始まっていた。空爆で破壊されたベイエリアに立つダリア准将は、手の平に皿を一枚乗せ、大盛りの上白糖をスプーンですくって食べていた。PFRS全域に響いていた警報は止み、施設を焼いていた炎は潮風に消されて黒煙だけを残す。そんな中を海上の異変に気付いた者達が集まりだす。重傷を負ってヨタつく者、少し前まで強襲をしかけていた軍属、一様に集合して特定の一方向のみを凝視する。ベイエリアから見る沖合は別次元だった。地球は誕生以来の一大イベントを迎え、歓喜にうちふるえている。もちろん、ギャラリーは大勢いるが、ダレ一人として拍手で歓迎する者はいない。
「こんな事があり得るのか……?」
 エージェント・エンペラーが呆けたように呟く。その一言は、他の生き残ったSP達も心の中で同様に繰り返している。PFRSから5km程離れた沖に誕生した、全長50m前後はあろうかという巨大な怪物体。まるで、海底に封印されていた魔物が覚醒し、海面からその威容を現したような……何と呼称すべきかは分からないが、『地球の自壊』などという妄想が、現実世界に昇格してきたのは確かだ。
(棕櫚……どうして君なんだ?)
 両膝をついて崩れ落ちた蒼神博士は、目を潤ませながら変貌を遂げた息子に問う。
「蒼神博士……」
 義務感からではない。何かを慈しむような気持でエンプレスが彼の傍に立った。
「諸君、心配は無い──などとは言わん。だが、一人を除いてこの状況を期待していた者などおそらくはいないだろう。よって、最終手段を講じる」
 そう言って無線機を手にしたダリア准将が毅然として構えた。
「長官、パイロットにつないでくれ」
<ダリア、貴様のおかげで私は更迭される。ヘタをすれば反逆罪で軍刑務所にブチこまれかねんッ!>
「長官、早くしろ。この世が終わったらマズイ飯すら食えなくなるぞ」
<絶対生きて帰還しろ……査問会の場で道連れにしてやるッ!>
 彼は精一杯の怨念をぶつけてから無線機のチャンネルを切り換えた。
「こちらはストレー・シープ・ダリア准将。パイロット、応答せよ」
<こちらチーム・デルタ。発射予定空域まで後5分です、閣下>
「了解。準備が出来次第そちらのタイミングで実行に移せ」
<承知しました。健闘を祈ります>
 准将は無線機を切り、月明かりに照らし出される巨大な神の設計図(バイタルズ)を再度確認した。
(祈られなくとも健闘する……)
 彼女に後退できる道は無い。沈丁花は行き場を無くし、防衛本庁にも勘当された。しかし、そんな事はどうでも良かった。試験体として生を授けられ、15万年かけて人類を管理・観察してきた。全ては地球の自殺を成功させるために。その結果がもたらすであろう大絶滅のことなど、気にもとめていなかった。だが、彼女は変わった。人格や信念を完全に反転させてしまうような経験をしてしまったから。
「准将、今の通信は?」
 息子の身を案じることしか出来ない蒼神博士が、弱々しい声で問う。
「爆撃機による核ミサイルの投下を行う」
「『核』だとッ!? バカな……この国は戦術核兵器を保有してはいないッ!」
 エンペラーが声を張り上げる。
「ああ、そうだ。この国は……な」
「おいおい、まさか他国のかッ!?」
「この世の終末を前にしては世論も国際規定も関係ないからな」
「よく言うね。事の発端はアンタでしょうが」
 掃滅型から解放されたプリエステスが准将を睨みつける。
「今更言い訳をしても真実味は欠片もないだろうが、自分は最初から惑星の自壊計画を隠滅するつもりでココを襲撃した。しかし、事は予想以上に早くマズイ方向へ進展していた。アノ女のせいでな」
 准将が指差す方に目をやると、無事だったモーターボートが1隻、神の設計図(バイタルズ)に向かっている。
「そんな……! 戻ってください、アンスリューム博士ッ! 行ってはダメですッ!」

 ゴオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ――――──────

 蒼神博士の必死の叫びを掻き消すように、大気と闇の帳が振動し始めた。最後の裁断が着々と近づいている。
「ねえ、プリエステス……」
「何よ?」
「攻撃対象と私達の距離を考えると、ここにいる皆……まとめてブッ飛ぶってことよね?」
 エンプレスの背中をイヤな汗が伝う。
「いや、心配ない。使用するのは爆発力を限定し、放射線を強化したER弾だ。これだけ離れていれば問題はない」
 ダリア准将は全く動じることなく断言した。
「今更アンタの力量を疑っても仕方ないんだが、本当に大丈夫なのか?」
 エンペラーの懸念はもっともだった。人が想像しうる範疇を越えた存在に対して、人の造った兵器がどこまで通用するか。
「ワタシは人類のあらゆる兵器開発の場に立ち会ってきた。今回使用するERBの高濃度の中性子線をまともに浴び、生きていられる生物は理論上、皆無だ」
「でしょうね……ボクの息子は確実に死ぬ」
 蒼神博士の科学者としての知識が、その確実性をどうしようもなく裏付けてしまう。

 ゴォォォォォォォォォォ――――

「来やがった」
 エンペラーがサングラスを外して呟く。ダレもが心の中で同じように呟いたに違いない。爆撃機から発射された筒状の物体が、海上の目標めがけて発射された。

 カッ――――――――――――――────────
 閃光。

 ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッッッ!!
 衝撃。

 海上に超巨大な海水の壁が一瞬生まれ、惑星そのものが呻くような振動が地を伝わって各々の神経を揺さぶった。アンスリューム博士の乗ったボートが大波に呑まれ、転覆してしまう。
「命中を確認」
 准将が冷徹な声で呟いた。
「そ、そんなッ! どうして……そんなッ!」
 蒼神博士は涙を流し半狂乱で取り乱す。流れ作業のように息子の命が奪われた。
「さて、諸君。終了だ」
 准将は海上を覆い尽くす大量の蒸気をバックに、この世の縮図的劇場の幕を降ろした。
「…………」
 そう言われたところで、ダレ一人として嬉々とする者などいない。異常な緊張感が、彼等の呼吸も血の流れも支配しているかのように。
「……うっ、お……げえぇぇぇ!」
 転覆したボートにしがみつきながら、アンスリューム博士が嘔吐した。絶大な力に希望の象徴を破壊され、脳神経が粉々になりそうだった。
「蒼神博士……」
 どうにもやりきれない気持ちで一杯のエンプレスが、蒼神博士に静かな声で囁く。
「息子が消えて無くなっちゃいました」
 彼の目には涙が流れているのに、不思議と悲しみという感覚は生まれなかった。実の親なのにどうしてか。その理由は決して考えてはならなかった……父親として。
「ボクはドコで何を間違えたんでしょうか?」
 自分の息子に会うため沢山の犠牲を払い、やっと会えたその日に息子を見殺しにしてしまった。もしかしたらどうにかできたかもしれないのに……こともあろうか、息子の姿に絶望して逃げた。
「?間違い?という判断は、自分に不利益がもたらされた際の愚痴に過ぎん」
 准将は双眼鏡の倍率を調整しながら、現実的な言葉を冷たく言い放った。
「自分の子供を失った親は愚痴じゃ済みません」
 そう言って蒼神博士は准将を睨みつける。
「ダレもが死にたくはない。地球の思いつきに巻き込まれて自壊の犠牲になるくらいなら、子供の一人を見殺しにするくらい、常識ある人類ならいとわない」
「理論づけをして欲しいんじゃない! 本当にこんな選択肢しかなかったのか……悔やんでいるんです!」
 喉の奥から絞り出された彼の心の声が闇夜に木霊した。
「まだ濃霧がヒドイな。ここからでは海上の様子が確認できん」
 准将は無線機で爆撃機のパイロットに呼びかける。
<了解しました>
 爆撃機が濃霧の中へと突っ込んでいく。と同時に強烈な潮風が吹き、海上を隠していた白い幕が散って……

 ──────────────────────────────メシャッ!!

(…………?)
 聞き慣れない乾いた音がした。無線機からだけではなく、ダレの耳にも聞こえた。
 ガシャ……
 ダリア准将の手から双眼鏡が滑り落ちる。
「神よ──」
 彼女の口から最も似つかわしくないセリフが吐かれた。

 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォ――――――ッッッン!

 爆撃機が空中で爆発する。
「素晴らしいィ!」
 波間を漂っていたアンスリューム博士の口から、歓喜の声が漏れた。晴れゆく濃霧の向こう側にあったのは、残酷な力の道理。ありえないハズの摂理。何事も無かったかのように海上でその身を曝け出す、巨大な神の設計図(バイタルズ)の姿。
「直撃のハズだ……バカなッ! あれだけの中性子線を浴びて、どうして肉体を維持できるッ!?」
 准将は心底恐怖した。永過ぎる年月を経てあらゆる物理体系を体得した彼女は、目の前の理不尽な存在に打ちひしがれた。
「…………」
 真に驚いた時、人は何もできない。皆がその通りになっていた。
「ああ……棕櫚ッ! やっぱり私の息子は選ばれた人類だったッ!」
 一児の母だけは大きく両手を広げ、この光景を心から歓迎していた。

[さて、諸君]

(――――ッ!?)
 声がした。若い男の声だ。耳にではなく、脳髄に直接呼びかけるような。
[さあ、自壊が始まるよ]
 その声に蒼神博士とアンスリューム博士の両名がハッとした。
「棕櫚ッ!?」
 二人は同時に息子の名を口にする。
[やっと解るよ。『死』が解かるよ]
 地球の意志が棕櫚の肉体を利用して声を発している。
「クソ野郎がッ!」
 ダリア准将が毒を吐く。自分がこの世に生を受け、15万年も生かされてきた本来の目的がついに果たされようとしている。反旗を翻すのが遅かったのか、結局はどうしようもなかったのか……いずれにせよ、生体兵器としての人類の存在理由が、ここに極まった。
「棕櫚、聞こえるッ!? 私の大事なボウヤッ!」
 アンスリューム博士の懇願するような声が息子の名を呼ぶ。
[やあ、ママ。アナタの貢献には感謝してもしきれない。これでやっと望みが叶うよ]
「ええ、そうよ。早速、この世界を造り変えてちょうだいッ!」
 彼女の思い描く勝手な想像と我欲が具現化しようとしていた。
「准将、今更で悪いのですが、具体的にわたくし達はどうなるんですの?」
 エージェント・デスが准将の傍らに立つ。ただし、全裸に職員の白衣を羽織り、裸足で現れた。どうやら、えらく中途半端な救助を受けたらしい。
「どのような物理法則が適用されるのか見当もつかん」
 完敗だった。最終手段が無効に終わった現状、無様なギャラリー達に出来る事など何一つなかった。やがて、神の設計図(バイタルズ)の喉がブルッと震え、大量の体液を口から吐き出す。体液は海水に触れて瞬時に固まり、海上に広々とした特設ステージが出来上がった。そして、最後に一体の人間が体液を纏って吐き出され、ステージ上に落下。『彼』はすぐにムクリと立ち上がって、己の四肢をまじまじと見つめた。
「……棕櫚」
 双眼鏡でその姿を目の当たりにし、蒼神博士は息子の名をポツリと呟く。少年は更に大きく育ち、15歳くらいの肉体を形成している。

 ズリズリズリ、ズリズリズリ……

 少年はとても穏やかな表情で薄闇の帳に身を委ね、雲を割って差し込む月光を浴びている。特設ステージにしっかりと足を下ろし、地球の意志とリンクしていく。やがて、神の設計図(バイタルズ)の胸元がパクリと割れ、巨大な心臓がズルリと転げ落ちてきた。

 ズリズリズリ、ズリズリズリ……

[ゲノム、解読完了。アップデート、開始]
 自然淘汰の原則のもと、優性遺伝子同士の度重なる掛け合わせで生じた『棕櫚』という人類。生体兵器の一種として、その存在理由がとうとう試される。

 ズリズリズリ、ズリズリズリ……

「よいしょっと」
 さっきからズリズリと何か重い物を引きずる音がしていて、茜と吉田さんが大きなテーブルを持ち出して来た。茜はイブニングドレスだし、吉田さんは燕尾服だし。

 カチャカチャ、カチャカチャ

 テーブルの上にレースのクロスが敷かれ、食器が調えられ、燭台に火が灯された。白磁の皿の上に寿司が並んだ。
「いっただきま〜〜ッす☆」
 パイプ椅子に腰かけた茜と吉田さんがディナーをはじめた。
「おいおいおい、おいおいおい」
 現状を知ってか知らずか、この期に及んでえらい悪フザケだ。周囲はおしみのない失笑とツッコみ。
[ああ……スゴイよ。星が人類の血で侵されていくよッ!]
 棕櫚の手が神の設計図(バイタルズ)の心臓に触れる。やがて、海が震えだした。波ではない。痙攣だ。地球が反応している。15万年の蓄積の末に完成したゲノムという『毒』が、ついに放たれた。
「さて、柏木茜。これで貴様の過去も跡形なく消えて無くなるワケだが、何か言い残したい事はあるか?」
 准将が茜の背後に立ち優しい声で囁いた。
「ええっとねェ……右のストレートがドゴオオオオ! ──だと思う」

 ガラガラガラッ──

 吉田さんが衛星放送受信中の大画面テレビを、台車に乗せて運んできた。モニターには神の設計図(バイタルズ)と、成長を遂げた棕櫚の姿が鮮明に映っている。
[感じるよ、ものすごく感じるよッ! 地球がかつてないほどの毒に穢されはじめたんだよッ! これが……これこそが『死』の予兆なんだねッ!]
 地球にとって初めての体験に、媒介となった棕櫚の肉体は打ち震えていた。恍惚とした面持ちで、自らを抱きしめていた。そんな時……

 ポンッ――

 彼の肩に手が乗せられた。ごく自然の反射として後ろを振り向く。そして、その目に映った物体──世界はソレを『拳』と呼ぶ。

 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッッッ!!

 右ストレートが棕櫚の顔面に炸裂した。

「なああああああああァァァァにいいいいいいいいィィィィ────────!?」
 テレビめがけて一同、総ツッコミ。
[ええッ!?……あ、アレっ……!?]
 豪快にフッ飛ばされ、ステージ上につんのめる。少年は呆然として見た。?ソレ?を。

「お元気いいいいいいいいいいいいいいィィィィィ――――――――ッッッ!?」

 汐華咲、出撃。

  

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