第3章/燻る火種……
――かつて存在していた世界、『地球』。
新緑で大地は溢れ、大海原は清浄の青を映す美しき世界。嘗ての色あせた書物には、こう記載されていた。
だが実際、その反面恐ろしくもあった。新緑の裏には破壊が潜み、人々が行き交う街中に思いやりなど存在しない。そこにあるのは執着と、欲に塗れた卑しい悪党だ。
秩序など、存在していても無きに等しいようなものだった。法律と言う規制は残忍な人間1人ですら裁けない現実。私怨と怨恨に塗りつぶされたあの『地球』という世界は、果たして本当に美しかったのだろうか。
青年は問う。自らに、そして世界に。
――俺を独りにしたあの世界は、本当に美しかったのか?
☆
――リコスが昏睡状態に入ってから、おおよそ1月の時間が経った。
運び込まれた時の状態はやはり、既に危険域だったらしい。アシエは後々聞かされたのだが、どうやら手術中に何時死んでしまっても不思議では無い容態だったようだ。
被弾箇所は腹部。対愚者用に研究された≪結晶器≫での一撃は容易くリコスの体を貫通しており、内部の臓器も最早使い物にならない程酷い破損が見られたという。もしかすると、このまま一生目を覚まさないかもしれない――手術に携わった医師達は、口々にそう言った。どれだけ手を尽くしても、あれだけの怪我をどうにかすることはしてやれない、と。
だが――彼の回復率は、常軌を逸していた。
被弾し、破損状態にあった臓器の傷はある日の検診で塞がっていることが分かった。それだけではない、腹部に開いていた穴も僅か一週間程の時間で完全に塞がってしまったのだ。
これには、さしもの医師達も驚愕を露にした。通常ではあり得ない回復速度なのだから、当然といえば当然なのだろうが。しかし傷は塞がれども、リコス自身が目を覚ますことはやはり無い。傷が完治してから既に3週間が過ぎているというのに、彼は静かに息を立てているだけだ。
何時目が覚めるのか、以前に目が覚めるのかどうか。とにかく、彼はそれすらも分からない状態だった。
「はぁ……」
俯けた視線の先に、小さな虫が1匹飛んでいる。ふらふら、ふらふらと宙を危なっかしく飛び回る小指大の黒点の正体は、恐らく蚊か何かだろう。世界が結晶放射に侵される以前は今よりももっと小さかったというが、今となっては手の平で潰そうものなら毒性の血液を分泌させるような凶悪生物に進化を遂げている為、そう簡単に駆除出来ないのも現状だ。
かといって、たった1匹の昆虫の為だけに銃を使うのも馬鹿らしく、またそれも億劫でしか無かった。それに静寂が瀰漫する病室で、轟く発砲音を鳴らそうものなら、すぐさま警備兵がすっ飛んでくるに違いない。
――少女、アシエ・ランスは、彼リコス・ヴェイユの眠る病室に居た。あの事件が起きてからというもの、時折暇なときはこうして彼の横で溜息を吐き、彼が眠りから醒めてくれることを一心に願う事が多くなっていた。
何せ、こうなってしまったのは自分の責なのだ。あそこで素直に逃げていれば、強情を張らないでおけば、或いは彼はこんなことにならなかったのかもしれない。
若しくは、自分がもっと強ければ――