小説『崩壊世界の黙示録』
作者:むぎこ(海辺のバクダンりんご)

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「私、ナイフなんて使ったことありませんよ……?」
「そりゃあそうだろうね。まぁ、この機会にでも慣れておきなよ、医療の近道にさ」
 まだ看護婦は困り切った表情を浮かべて手元のナイフを見つめていたが、リコスがさっさと歩き出すと、
「あ、もう、待ってください。まだ貴方は患者なんですから」
――いちいち御尤もな意見を吐き出し、追従した。
「しかし……生き残った人間は何処へ消えたんだ」
 廊下に足を着けるたび、軍靴の音が残響を残して消えていく。天上から秩序的に下げられている白熱球の光が、唯一この病院という場所を生きながらせているようにさえ思える静けさだった。
 それに、血痕は所どころに残されているものの、死体は何処にも見当たらなかった。患者や医師、看護師達だけが忽然と姿を消している。
 その光景に、青年は表情を歪ませた。

――これは――。

「多分、大体の人がシェルターへ避難し終わったんだと思い――」
「そうか――そういうことだったのか」
 リコスは突如、立ち止まって先刻の結晶器を看護婦の頭に向けた。その一瞬、看護婦の表情が驚愕に歪む。
「君は何時もそうだったね。こうやって人を騙しては、自らの糧とする。……いい加減、俺を殺すことを諦めたらどうだい?――メンダークス・クドゥス」
「な、何の事――」
 刹那、静寂の院内に甲高い銃声が響き渡った。壁に飛び散った血痕を見ながら、リコスは無情にも床に転がる人形のような屍を踏みつける。何度も、何度も、まるでそれが憎悪の対象であるが如く踏みつける。だが、その表情はあくまで無表情だった。
「俺が気付いていないとでも思ったのか?いや、それともばれないとでも?……どっちでもいいけどね、いい加減演技は止めて、とっとと立ったらどうなんだ」
 ライフルに次弾を装填しながらも、リコスは看護婦を――否、そうであったものを睥睨した。頭に弾痕が残された、血塗れのそれを。
 刹那、虚ろと化していた彼女の瞳が光を取り戻す。弛緩しきっていた口元は、不気味な笑みを浮かべてケタケタと笑いだした。
「……やだなぁ、僕の演技にいちゃもん付ける程君は偉くないよ。折角糞不味い患者達を我慢して喰ったんだからさぁ、次は君の美味しそうなその肉、僕に頂戴よ」
「……断る。機関に行けば、俺よりももっと美味しそうな女の子がいるからさ、そっちを食べてくれないか。それと、もう変装は止めたほうがいい。至極不気味なんだよ、その顔で君の声を発せられると」
「へぇ、随分と言ってくれるね。僕は女の子だよ?デリケートなんだよ?ねぇ、分かってる?リコスさぁーッ!」
 彼女――メンダークスの叫びがこだまする瞬間には、既にリコスは離れた場所へ飛び退っていた。丁度金属板に足裏を接地させた瞬間、今まで立っていた場所にナイフでの一閃が繰り出される。
「君にナイフを与えるのは不味かったかな。……まぁ、君の演技力が助けて俺が気付けなかったんだけどね!」
 メンダークスの動作は、目を疑う程速かった。ほんの1秒前まで床に伏せていたというのにも関わらず、今はもうリコスの目の前でナイフを狂ったように振るっている。おまけに、その1つ1つの動きは適当なようにも見えて、的確な行動だった。
 リコスはその一閃一閃を冷静にかわしながらも、反撃のチャンスを窺う。だが、流石にボルトアクションのライフルだけではどうしようも太刀打ちの手段が見つからない。
「ハッハァ!どうしたのかな!?リィーコォースゥーくーん!ヒャッハァ!」
「チッ……!本当に女だとは思えないね、君の言動は!汚いというか、」
 普段なら携帯ナイフが幾らでもあるのだが、今は生憎病院服だ。何も持っている筈はない。恐らくはこの院内のどこかに保管されているのだろう。
 当然、取りにいく暇など無い。状態は徐々に防戦一方の経路を辿り、
「シィーユゥー!リコスゥッ!」
「くそっ……!」

――次の瞬間だった。

「がっはぁッ」
 吹飛ばされたのは、リコスではない。代わりにメンダークスが、宙を舞っていた。左胸には大きな穴が穿たれ、どす黒い血液を宙に撒き散らしている。
 何が起こったのか分からず、リコスは後ろを振り返った。また何か荒手の人間でもやってきたのか――とにかく、メンダークスが所属する≪黄金の夜明け団≫には、面倒な連中が多い――と思ったのだが。

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