小説『崩壊世界の黙示録』
作者:むぎこ(海辺のバクダンりんご)

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 迷いを振るきるが如く、アシエは地を蹴った。僅かの間宙を舞い、リコスの手の平へ全体重を集めた足裏を接地させる。軍靴で踏めば圧し折れてしまうのではないかと思っていたその細腕は、だが微かに揺らぐことすらもしない安定感を誇っていた。

「うおおおおっ!」

 リコスが雄叫びと共に、少女を空高く打ち上げる。信じられないほどの力で投げ飛ばされたアシエは、熱風舞い踊る中を弾丸の如く突っ切って飛翔していく。目も開けていられない風の抵抗の中でも、どうにか結晶器を持ち構える。
 狙いなど、とても定まりそうに無かった。激しく吹き荒れる風の抵抗と、凄まじい飛翔速度の中でなど。
 それでも、既に高度は竜の腹部を越えて喉元にさしかかろうとしていた。暴風に髪が乱れ、汗が飛散し、それでも尚結晶器を構え続ける。必死に眼を動かして鱗の1枚1枚と睨み合い、逆鱗を見つけようと視線を彷徨わせる。
 そして――遂にアシエは、紅蓮の鱗に混じって金色の光を反射する、特異な鱗を見つけた。咄嗟に照門と照星を真っ直ぐに結んだ照準線の先に、逆鱗を捉える。常に揺れ動く視界の中で、たった1枚の鱗を狙うのはどれだけ高位なスナイパーといえども不可能と断言しかねない。
 だがアシエは、引き金を引いた。一発でも外せばチャンスは無い。確実に当てる、という信念を持って、唯一心に引き金を引いた。
 発砲した瞬間、世界が上下逆転する。地に足を着けていない今では、銃の反動は何倍にも跳ね上がる。気が付けばアシエの体は逆さまになり、地に向けて落下しようとしていた。
 弾道の行方は分からない。果たしてあの結晶弾丸が逆鱗を貫き、心臓部まで達したのか。それともただ空を切り、的外れの場所に当たってしまったのか。
 巨大だった竜の立ち姿が、急に揺らめいた。同時に何処かから途轍もない爆音が轟き、天地をも吹き飛ばすような風を乗せて宙を激昂する。破滅を孕んだ払暁のような回路は、正しく神の桎梏そのものだった。

「ふぎゃっ」
 背中からリコスの素っ頓狂な声が聞こえて、朦朧とする意識の中でアシエは其方に眼を出来る限り動かした。気がつけば周囲の景色は既に動いてはおらず、代わりに瓦礫の山が溢れているばかりだ。
 どうやら無事に落下出来たらしい。
「……アシエ、体重何キロ?」
 再び背中から、今度は苦しそうな彼の声が聞こえる。
「……失礼じゃないの?そういうのってさ」
「あー、そうだね、うん。失礼だ、だから退いてくれ痛い痛い痛いあぁぁぁ」
 今自分が『誰』の上に居て、どういう状況なのか――アシエは、理解こそしていた。
 だが、どうにも体が言うことを利かない。全ての力を使い果たしたように、一切どの部位も動かせない。体制を変えようにも、変えられないのが現状だった。
「ごめん、退かせて。あれだけ上まで私を投げたんだから、退かす位は楽々でしょう?」
「あぁ、それもそうか」
 途端、まるで軽石でも払い除けるかのように軽々とアシエは地面を転がった。自分で退かしてくれとは言ったものの、ここまで適当に退けられる事に心外の苛立ちを感じながらも、アシエは目玉だけを動かして周囲を見やる。
 相変わらず、目に映る全景は凄惨だった。あらゆる建物が破壊され、火炎に焼かれた何かの炭が宙を舞う。焦げ目を帯びた瓦礫の山々が、今までそこに居座っていたものの強大な力を形容していた。
 が、アシエはその凄惨さに混じる一つの希望を見つけることが出来た。瓦礫を押しつぶし、そこに倒れている至極巨大な生き物の屍。それは見覚えのある形であり、更には先刻まで感じていた畏怖の具現。

――竜愚者が其処に死んでいた。破壊の限りを尽くし、甚大なる被害を齎した畏怖が。今や何の脅威も孕まぬ屍となりて、自分たちの目の前で倒れている。

「いやあ、よくやったね。アシエ」
 視界を遮るように、目と鼻の先にリコスの手が差し出される。元気があれば、灰塗れのそんな汚い手など弾いてやるのだが、生憎アシエにその元気は残されていなかった。
「今回は素直にお礼しなきゃいけないことだらけね……今回だけ、帰ったら何か奢って上げる。念押ししとくけど、今回だけだから」
 不満を覚えつつ、アシエは彼の手を取った。そこで初めて、自分の手も灰塗れになっている事に気が付き、微かに笑う。
 物凄い力で引っ張り上げられ、青年の背中に少女は負ぶさった。視界が高くなり、瓦礫という障害物が無くなって初めて、アシエは遠方に聳えている禿山が火を噴いていることに気が付いた。

「あれが、グレイプニルの威力だよ。……全く、機関長もどえらい物を作ってくれる」
 その光景は遠目から見れば、まるで過去の書物に描かれている『火山の噴火』のようにも思えた。山が爆発し、クレーターからは見たことも無い様な量の煙がもくもくと立ち上がっていて、範囲に換算すれば恐らくはマルクト4分の1以上が吹き飛んでいるだろうと思われる。
 もしもあのグレイプニルが竜に直撃していれば、間違いなくマルクトは殆ど焦土と化している事だろう。
「……本当に。あんなものを作って、機関長は一体何をするつもりだったのかしら……それに、まさか自分の区画にそれを打ち込もうとするなんて。切羽詰っていたにせよ、これは普通じゃ考えられない事だわ」
 何時の間にか、朝日が顔を見せ始めていた。山間から出でる燦々とした払暁の光が崩壊したマルクトを照らし、気に降りかかった靄を払ってくれる。
 だがリコスは、その朝日を見て特別深い溜息を吐いた。
「全く、昨日目覚めてから今日の朝まで。忙しすぎるんだよ。もうちょっと寝てればよかったかな」
「ざーんねん。これからも忙しいわよ、復旧作業とかで。……ま、ちょっとくらい休暇が欲しいのは私も同じだけどさ」
 そうして、2人はそれぞれ笑った。溜まりに溜まった心の澱を吐き出すように、存分に声を上げて、涙を流しながら。

 瓦礫の山を縫って進むリコスの足取りは、背負われているアシエにとっては何所か軽くも思えた。




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