小説『崩壊世界の黙示録』
作者:むぎこ(海辺のバクダンりんご)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>






――懐かしい空気。
――懐かしい匂い。
――懐かしい光景。
「……ただいま」
 気が付けば、アシエはそんな言葉を呟いていた。何年以来に帰った家の雰囲気に、気が抜けてしまったのか……と自嘲する。
 何処を見ても、出て行く前と何1つ変わっていない。机の隅に置かれた1冊の本も、カーテンレールに乗った空調機のコンセントも。全てが全て、覚えている光景のままだ。

――あの騒ぎから、1週間。それまでの間は忙しなく街の復旧作業に当たっていたアシエだったが、その命令は唐突に発令された。
 休暇を貰ったのだ。今回、あらゆる面において迅速な判断を労する、という理由で。
 幸い、街の東南部に位置するアシエの家は何の被害も受けていなかった。だからこそ、久しい自分の家に帰ろう、と思ったのだ。この数年間の疲れを存分に癒す為にも、疲れきった気分を晴らす為にも。

「はぁ……っくしゅん」
 果たして、その判断は正しかったようだった。汚れた服でベッドに横たわるのは気が引けたので、取り合えずは仰向け姿勢で床の絨毯に倒れこむ。何年も掃除していなかった所為で溜まっていた埃が風圧で舞い上がり、思わずアシエはくしゃみを誘われた。
(――取り合えず、お風呂でも入ろうかな)
 思い立ったが吉日。そのまま寝転がっているだけの心地よさに後ろ髪を引かれながらも、渋々アシエは立ち上がって風呂場へと歩みを進めた。家自体が1人暮らし推奨の物件だったが故、広さはさほどでは無い。部屋から風呂までの移動も、5秒程で完了してしまう。
 モザイク硝子の扉を開くと、直ぐ前にあるバスタブ上部に取り付けられた蛇口を捻り、左右の温度器を調節しながら水道の温度を確かめる。最初は肌を切るように冷たかった水が徐々に温もって行くに連れ、やっと『生活感』というものがアシエの中に戻り始めた。蛇口から出る湯が適温に達し、湯船底部分の栓を閉める。
 お湯を溜めている間、先刻購入してきた材料で何か料理でも作ろうか――そう思い立ち、風呂場を後にして台所へ向かう。と、ここでリビングの机に置いていた通信機が、鳴動し始めた。
 珍しい休日には手に取るのすら億劫な代物だったが、取り合えず相手だけでも確認しようと思い、アシエはそれを取って画面に目をやる。その電子モニターには、はっきりと彼――リコスの名前が表示されていた。
「何よ。今私はね、何年ぶりかに帰宅した家で寛いでるの。機関長命令ならともかく、あなたなんかの招集は受けないわよ。断固拒否するから!」
 回線を繋ぐと、相手に何か言われる前に怒鳴りつけてやる。まだリコスは自分の指揮下であり、命令を聞く必要は無いのだ。例えどんな事を言われようとも、今の少女には家から出て行くつもりなど無かった。

――最も、返ってきたのは予想外の言葉だったが。

「そんなことよりさ、鍵開けてくれないかな?後ろがつっかえてるんだ」
「……へ?」
 思わずアシエは素っ頓狂な声をあげ、更には状況把握まで少々の時間を要することとなった。基地での業務から離れた瞬間から、弛緩し切っていた思考をどうにか動かして現状を整理する。
 だが、その答えを導き出す前に、扉がノックされていることに気がつく。否、それで理解できたのかもしれない。
「え?ちょ……あなた、何で今なの?っていうか、何で私の家知って……」
「扉の前に居るのに通信機越しとは、『隊長』も随分と用心深いお人だ。あと、君の家はセキュリティベースにハッキングして盗み見た。おーけー?」

――有り得ない。

 少女は彼の言葉に、思わず絶句した。確かにハッキングなどという姑息な手を使う事も、許されざる行為ではある。
 が、彼は今何と言っただろうか。『隊長』とは、一体誰を誰と間違えているのだろうか。皆目見当が着かない。

-40-
Copyright ©むぎこ All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える