しかし玲は、その滑稽な屍の中の『ある一点』に視線が釘付けとなった。
――竜の肘関節内側、丁度窪みになっている所が、小さくはあるが明らかに自然な形ではなく削がれていた。鋭利な刃物や弾丸による損傷とは違い、何かに無理やり引きちぎられ方のような痕――。
ふと玲は、数年前、メンダークスがまだ夜明け団に居た頃の光景が脳裏に浮かんだ。調査だの味見だのと言いつつ、討伐した愚者の屍を食い荒らす彼女の姿が。
その脇に転がっている、蟷螂愚者の屍。その体の一部が、やはり同じように削がれている。メンダークスに齧られた痕だった。
「……あいつ、やりやがったな」
脳裏に浮かぶ愚者の傷と、今目にしている傷の完全な一致に気づくと同じく、玲はある1つの事を確信した。
メンダークスは、自らが摂取した生物の形質や遺伝子を完全に複製し、自分の細胞に記録していく能力を持つ。その用途は実に様々で、声や容姿を真似るだけでは無い。
例えば、彼女は大きさが余りに一致していない生物の姿を完全に真似ることは出来ない。例えば有りもしない器官を持つ愚者や、大きさそのものも一致しない生物などがそれに当たる。
だが、やはりそれらの生物でも『容姿が真似できない』というだけであり、声や肌の質感・フェロモンまでもを真似することは可能なのだ。
竜愚者は、自分の子供に対して恐ろしいほどの執着を持つ。例え何千里離れていようとも親は子のフェロモンを嗅ぎ付け、それが助けを求めていれば何処まででも駆けつける。
つまりメンダークスは、1度この洞穴で竜の幼生を齧り、そのフェロモンを複製した。そしてマルクトまで赴き、助けを求める振りをして親であるあの竜愚者を呼びつけたのだ。
(――くそ、でもそうなると、他の愚者に指示を出した奴は誰だ?そんな能力、夜明け団以外には備わってなんか居ねぇ)
メンダークスという存在以外にも、この事件にはもう1人の誰かが関わっている事、そしてそれが夜明け団の誰かであることは間違い無かった。幾らメンダークスとはいえ人外であり、知能もさして高くは無いとされる愚者達を纏め上げることは不可能だ。
だからこそ、そのもう1人の存在が浮き出てくる。何故、どういった目的でマルクトを襲ったのかは分からなくとも、その誰かが分かりさえすれば尋問も可能だろう。
玲にはそれが誰かなど思いつかなかったが、それが判明しただけでも十分だと考えた。自分で分からなくとも、第6区画にある夜明け団の集落――そこに居るの創設者、に頼めばどうにかなると。
「ったく、どうなってやがんだ?」
探れば探るほど、謎が出てくる。その裏に居る最終的な人物が誰なのか、今は想像することさえも叶わない。
だが玲は、体の何所かで嫌な何かを感じていた。冷たい水底に沈む、静かな脅威には、知ってはいけない何かがある気がして。
「……嫌な予感は当たるもん、か……」
呟くと、玲は洞穴の出口へと帰路を辿り始めた。
背後から竜愚者以外の何者かが、視線を注いでいることも知らずに。