小説『崩壊世界の黙示録』
作者:むぎこ(海辺のバクダンりんご)

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「は?エニスが居ないって何、どういうこと」

――隊長就任パーティーの翌日、休暇を終えたアシエは、再び半壊したマルクトの復旧作業に当たっていた。あれだけ破壊し尽くされていた街並みも、色々な人間が尽力した御陰で、今や以前の状態に戻りつつある。
 だがそこで、彼女は気になる情報を小耳に挟んだ。
 それが、『エニスの離席』である。
「いやぁ、どうやらお前の隊長就任を決めた日、既に機関長は居なかったらしいのな。そんで、復旧作業サボって遊んでた奴らの話によるとよ、夜中にぞろぞろと大部隊を引き連れてどっかへ言ったらしいのよ。何処に行ったかはしらねぇけど」
 瓦礫を山ほど積んだ貨物車のハンドルを切りながら、ティラは面白そうにげらげらと笑う。汗臭さと湿っぽい臭いで饐えた様になっている車内の空気に咽ながら、アシエは尋ね返した。
「大部隊?どこの隊かしら」
「んー、親衛隊らしいぞ。それにえらく武装を固めてたらしい。まるで戦争行く前の兵隊みたいな装備だったってよ、昨日俺がとっ捕まえたサボり野郎が言ってた訳よ」
「……ま、どうでもいいけどね。多分、何処かの区画に用でもあったんでしょう」
 所詮、探ったところで大した意味は無い。以前に、アシエは先刻からずっと気になっている事があった。
「それより、あなた目的地分かってる?」
 アシエ達が廃材の瓦礫をトラックに積んで、処理場へ発車したのはまだ日も昇りきっていない頃、朝の筈だった。勿論便利上目的にへもそう離れては居ないので、概ね1時間程度車を走らせれば到着している筈だ。
 が、今はどうだろうか。助手席の汚れた窓から天を見上げれば、太陽は真上へと移動している。それにハンドル付近に取り付けられているガソリンメーターに目をやると、発車以前にはほぼ満タンを指していた黒針も、随分とガス欠状態へと近づいていた。
「んー、あー……俺が悪いんじゃない、ここいらの道が入り組んでるから悪いんだ」
 ティラはバツが悪そうにしかめっ面を浮かべると、あろうことか責任転嫁の言葉を吐く。
 とはいっても、今走っている道は竜に破壊された所為で見晴らしもよく、迷うことなど無い筈なのだが。
「はぁ……ハンドル貸しなさい、運転代わるから。もうリコスたちはとっくに着いてるわよ、きっと」
 アシエは深く溜息を吐くと、助手席から腰を上げ、身を屈めた状態で運転席へと移動した。代わりにティラが助手席へ移動し、その巨体をどっしりと座席シートへ預ける。
「がっはっは、隊長さん、こりゃ失礼」
 狭い車内の空間に、ティラの大笑いが反響する。普通に聞いても騒音に近い笑い声は、最早騒音を通り越して爆音の域に達していた。
「そう思うなら、自分が住んでる街の地形くらい覚えときなさいよ」
 ぶつぶつと呟きながら、アシエはハンドルを切る。アクセルペダルを踏み込み、すっかり荒廃しきった街並みを悲観しながらも進んでいく。
 改めて見渡すと、今回の襲撃事件がこのマルクトにどれだけの被害を齎したのかを理解させられてしまう光景だった。瓦礫の除去が始まってもう3日以上経つと言うのに、道端にはまだまだそれが山積みになって放置されている。
 家を失い、生活の場を無くした者達は所構わず寝そべり、風呂に入ることも出来ない体には薄汚れた虫が飛び回っていた。
 未だ何の解明も成されていないこの事件の真相――一体、誰が何のためにこんな悲劇を引き起こしたのか。愚者には集団で1つの街を襲う知恵など無いのだから、何者かが関与している可能性は高いと見ていいだろう。
 そして、機関長が下したあの判断。グレイプニルによる、竜愚者の破壊。もしもあれが成功していたら?マルクトの被害は、これだけでは済まなかった筈だ。当然、エニスにも市民からの責めが襲ってくるに違いないのにも関わらず、どうして彼はその判断を下したのだろうか。
 加えて、リコスが見せたあの馬鹿力と誰も知りえなかった知識。何故機関長すら知りえない知識を、彼が知っていたのか――?

 分からないことだらけだった。真意を掴もうとしても、それはまさに霧の如く逃げていく。そしてその霧は何時の間にか思考一杯に溢れ、結果、何も理解できぬままに時間を過ごす事しか出来ない。
「着いたわよ、ちゃんと道覚えときなさい」
 悔しくはあった。だが、今は現状をどうにかするしかない。所詮自分1人の疑問を解決する為に時間を浪費する事など、上に立つ人間が行ってはならぬことだ。
 それは傲慢であり、エゴ。だがそれを理解しているからこそ、アシエは歯がゆくて仕方が無かった。目の前に転がっている餌を待ち続け、誰かの言う事に従って芸をしなければならない。
 故に、余計に分からない。何故エニスがあれまで自由奔放に、思い描くプランのままに行動することが出来るのか。ましてや、下の者に内密にしてまで成すべきことなど。
「おぉ、あんがとさん隊長。じゃあとっとと終わらせて、昼飯にしようぜ」
「……そういえば、貴方も勝手ね。もう、じゃあさっさと働きなさい」
 ドアを開くと、車内とは違う新鮮な空気が肌に触れてきた。冷たく、爽やかで、それでいて優しい。
 新鮮な空気を目一杯吸い込みながら、アシエは処理場の前へ降り立った。何となく入り口から少しずれた位置に目をやると、見慣れた彼の姿が目に映る。目が合うと、彼は笑顔を取り繕って手を振った。
「何よ、アイツ。人の気も知らないで」
 文句を呟きながらも、何故か少女は安堵の気持ちに襲われた。思わず浮かびそうになった微笑をすぐさま打ち消し、気持ちと相対して彼に睥睨を送る。
 最近の悩みには、この不可思議な出来事も含まれていた。彼、リコスと話したりすると浮かび上がる理解不能な感情。経験したことも無ければ、知りもしない感情だった。落ち着くようでもあり、だが昂るようでもあり。
「おい、隊長ー。何やってんだ?」
「え?あぁ、ごめん……直ぐ行く!」
 何時の間にか放心状態になっていたらしいアシエは、ティラの呼び声で現実へと引き戻された。急速に感覚が肢体へと戻り、危うく転倒しそうになる。
「もう、大丈夫ー?」
 そこに、パルトの心配そうな声が届いた。どうにか蹈鞴を踏んで持ちこたえ、苦笑いを返す。
 果たして自分は今、どんな環境に居るのか。どうしてもそれが、少女には分からなかった。否、分かり得なかった。
(幸せ、なのかな)
 心の中で、ポツリと呟く。ティラの背中を追いかけながら、アシエは考えた。

 幼い頃から、両親はいない。引き取り手も無く、軍隊の施設へ預けられた。
 童話やおやつ、娯楽など一切与えられない生活。血反吐を吐いても、泣き喚いても、結局待っているのは教官による厳しい躾だけだ。褒められたことなど、一度も無かった。
 そしてやっと学校と言う施設で教養を学び、友達も出来ると思ったのに。そこで待っていたのは、孤独と幽寂が漂う寂しい日々。笑ったことすらない少女は、この時まで愛想笑いの仕方すら知らなくて。
 卒業して、軍に配備されるようになってからもそれは同じだと思っていた。誰にも見向きなどされず、唯与えられた任務をこなすだけの毎日がそこにあるのだと。
――けれども。

「おっちょこちょいだと、隊長らしさがまるで無いよー。気をつけなさいな」
 そう言って、パルトが肩を叩く。叩くと言うよりは撫でる、と言った優しさの手は振り払う気になれず、アシエは素直に笑った。

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