小説『崩壊世界の黙示録』
作者:むぎこ(海辺のバクダンりんご)

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「あーあぁ、逃がしちゃったか。でもすぐに悦を与えるよ、最初は痛くて痛くて仕方なくても、少しすればきっと溺れちゃうからさぁ」
「やだ、他を当たってよ。それにしてもまさかメンダークスが一枚噛んでたなんて、ちょっと予想外だね」
 全身を這うじっとりとした視線に鳥肌を覚え、愛理は一瞬身震いする。
「でもまぁ、相変わらずで安心した。どれだけ歳月を重ねても、あなた以上に女らしくない女は見掛けなかったもん」
「あっははは! 嬉しいねぇ、団長。あぁ、空をご覧。何て綺麗なんだろう……きっと世界中のみんなが見てるんだろうなぁ……って言っても、マルクトさんは直ぐに鎮圧されると思うけどねぇ〜ぇ」
「どういうこと?」
 鋭敏な聴覚へ執拗に焼付く彼女の声にうんざりしながら尋ねると、メンダークスは肩を竦めてみせた。
「おっとぉ、グレーゾーンだね。まぁ〜? 僕に君の肉片でもくれるなら別なんだけどォ? 奥さん、どうしますぅ?」
 饒舌に動く口元から滴る唾液が糸を引いて地面へ垂れる様を見れば、今メンダークスが興奮状態にあることは理解できる。手に携えているナイフは敵に苦痛を与える為か不自然に湾曲しており、例えるならエストックという古代の剣にも似ていた。
 それら二つを見れば、敗北の二文字がどれ程までに膨大な重さを課してきたか。もしもの事を考えると、死よりも恐ろしい戦慄が体中を駆け巡り、逆立たせた。
「……自給自足をお奨めするわ」
 それでも燻る火種を掻き消して、愛理は拳銃を構える。元々装弾数は可もなく不可もない九発、残弾は七発しか残っていない。
 愛理が神経を尖らせて敵の一挙一動を伺っている間にも、メンダークスの瞳は爬虫類のようにせわしなく動き続けた。手元の牙が天駆ける破滅の象徴に照らされ、不気味に光っている。

「あー、試してみたことないなぁ……けどそれはきっと、僕が世の中に飽きちゃった時の事だろうねぇ……」

 彼女の長く伸びる舌がべろりと宙を舐めとったかと思った――刹那。

 視界の外から飛来した、黒尽くめの物体。
 それに巻き込まれて消える、メンダークス。
 空気そのものを揺らす、玲の咆哮。

 一瞬で起きた全ての事態を理解することは容易だった。律儀な事に、“止め”の体制に入った玲が、豪速で駆け寄ってきたからだ。

「うぅでぷっしなぁら――世界一ィィッ!」

 訳の分からない事を叫びながら拳を振り上げる彼を止める事もできず、鉄球以上の重量を誇っているであろう拳が標的へ振り下ろされる。緩やかな凹凸だった峠道が一瞬の内に陥没し、周囲に瓦礫を飛散させた。直撃していればまず命はないだろうが、そう簡単に済む事でも無いようで、
「この、化け物が」
 抑揚のない無感情な声と共に漆黒の男が跳ね上がり、空中で姿勢を立て直して着地。巻き込まれた形になるメンダークスは飛散した礫に当てられたのか、血に染まった顔でクレータから顔を覗かせる。
 そこへ、玲の追い打ちが炸裂した。激しい地鳴りと共に大地が裂け、砂煙が周囲に立ち込める。襲い来る風圧と砂嵐に顔を両手で覆いながらも、愛理はどうにか生き残りの姿を探す。
 と、どういった成り行きでか、唐突に黒づくめの男が煙の中から飛来。背後の雑木林に突っ込み、何本かの木をへし折った先で動かなくなる。
 続いて何かが折れるような歪な音とともに、女性らしいか細い悲鳴が上がった。

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