私は逃げようとする女医にさらに問いかける。
なるほど、それもそうですね、しかし、それにしても相変わらず問題を起こしていますね。
例えば最近、某会関係者らによる個人情報の不正入手と横流しが発覚し司法から断罪されていますよね。
すると今度は打って変って落ち着き払うかのように、
そうですか? それで、そのことが今回の取材報告とどのような関係がありますか?
女医の論点ずらしに私は苦笑ながらさらに問う。
いや、つまり、被害者らの多くがその奇怪な被害体験の原因として、
某会にその原因を特定させているわけですよ。
そうですか、しかし、そうであればその証拠が必要になります、誰が考えても疑う余地のない証拠が。
ですが被害者のお話を聞く限り、一様に警察から門前払いされているようですね。
それは証拠もないのに一方的な嫌疑を警察に持ちこむからでしょう、
それでは警察のほうが困惑するはずです。
じっと私の目を見る女医は、
そうしたことを勘案すれば、被害者の方たちは一度診察を受けるべきと考えます。
私は女医の結論づけに納得できない。
ちょっと待ってください先生!
某会による組織的な付き纏いや嫌がらせは実に多くの被害例がありますし訴訟沙汰にもなっています。
また、企業においては社内イジメや、上司による地衣を傘にきたパワハラがあります。
こうした社会的な背景、あるいは要因を考えれば、
被害者らの言い分を一方的に妄想扱いすることはできないと思います。
すると女医はこう言う。
社会的な要因? そんなこと無意味です。
私たち精神科医にとってそんなことは考慮の範疇外です。
私たちが注意を払うのは、あくまでも患者の訴えです。
患者の訴えに耳を傾け、そして患者の精神のどこに問題があるかを探り出す。
そして適切な治療法を施すこと。
それ以上でも以下でもありません。
私は思わず耳を疑う。
社会的な要因を一切考慮しない?
なんなんだこれは?
社会的な要因をまったく考えないで何が判るんだ?
この女医の頭の中はどうなってるんだ?
私は精神科医という者の思考回路に強い疑念を抱く。
社会的な要因は無関係と言われますが、しかしですね・・・。
と私が言いかけると、
私は医者です、患者を治すことが私の務め。
社会的要因など社会学者かジャーナリストが考えればいいことです。
と一蹴してくる。
私は精神科医の思考が極めて特異で狭量であることに呆れる。
なにか社会的な背景や要因を考慮に入れることを回避しているかのような印象を受けるだけでなく、どこか無理やり症例とやらに合致させようとしているかのようだ。
社会的要因や背景を考慮に入れてしまうと精神科医の論理が破たんするのだろうか?
もし、そうだとするなら被害者全員が統合失調患者にしか見えなくなる、というか統合失調患者に決めつけていくだろう。
私はこれ以上この女医の話を聞くことに意味がないと悟ると、後は編集長に女医の相手をしてもらうことにした。
編集長とのやりとりの後、女医は最終的な見解を編集長に述べると、所要があるということで先に帰っていく。
応接間に残った私と編集長は暫く沈黙すると、気分転換に外で一服することにした。
私と編集長は自動販売機で缶コーヒーを買うと、それを飲みながら喫煙所で一服する。
外はよく晴れていて気温も少し高い。
遠くを眺める編集長に私は問いかける。
どう思います? 編集長・・・。
うん、なにがだね?
私は苦笑いしながら、
いやぁ、さっきの女医さんのことなんですけど・・・。
すると編集長もフッ、と笑いながら、
ふふん、女医さんがどうかしたかい?
私は躊躇いがちに答える。
こんなこと編集長の前でいうのもなんですが、あの女医のものの考え方に疑問があるんですよね、
疑問? 例えば?
ええ、私と女医とのやり取りを聞いていらしてお分かりかとは思いますが、あの女医さん、
自分の考えにとって都合の悪い材料は一切無視するようなところがありますね。
なんていうか、自分の頭の中にある知識や論理が絶対で、
それに現実を無理やり合致させようとするかのようです。
精神科医というのはみなあの女医さんみたいな考え方が身についているのでしょうかね?
編集長は笑いながら答える。
フハハハハ、さぁな。
しかし、正直言って私も少々肩透かしを食らったよ。
どうやら編集長もあの女医に失望したらしい。
ほう、といいますと?
うん、私としては、被害者の心のケアについて考えてほしかったんだが、どうやら当てが外れたようだ。
あの女医、どうやら被害者を頭から妄想患者と決めつけているようだ。
残念だよ。
心のケア? すると編集長は・・・。
うむ、私も自分なりに集団ストーカー被害と言うものがどのようなものかを調べてみたが、
一言でいえば、これは組織的な虐待だな、それも精神的な虐待だ。
判りやすくいえば『大人のイジメ』だな。
こうした虐待やイジメに晒されたときの心理的なトラウマは相当のものだろう。
人はおろか世の中が信じられなくなる、そうなるとあらゆることに猜疑心が働き出す。
たとえぎ、善意の人が現れても、そういう人すら疑わしく考えていく。
集団ストーカーの正体がなんであるかは判らない。
だが、ともかく社会の広範囲に渡って『大人のイジメ』とも言えるような出来事が
起こっていることは間違いなさそうだ。
私は編集長がこの被害が実在していることを認めていることが判った。
一条君、この問題を解き明かし立証することは容易なことではないだろう。
明確な物証がなにひとつない、あるのは夥しい被害者の訴えだけだ。
こうした問題を世の中に認知させていくには長い時間が掛かる。
君はどうするね? これからもこの問題に取り組むのかね?
はい、これからも取り組んでみようと思います、そこで私はX氏に取材してみようと思います。
そうか・・・、分かった。
なにか掴めたら、また報告してくれ。
今の私は、この問題が他愛ない都市伝説と考えていたことを浅はかだったと今では内心反省している。
実際に被害者を取材して初めて事のなんたるかが判ってきたからだ。
十数名に取材し大凡のことが判ってきた私は例のX氏を取材するためアポをとることにした。