小説『鬼畜の宴』
作者:ウィンダム()

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私は気を改めようとタバコを出すと、

  あの、ちょっと、タバコいいですか?

するとX氏は気にしないといった感じで、

  ええ、どうそどうぞ、気が付きませんでして、私もタバコを吸いますからご遠慮なさらず。

私はタバコを吸いながら質問を続けていく。

  Xさんは、集団ストーカーを『鬼畜の集団』と断罪するかのようですが、
  なぜそこまで言えるのでしょう。

するとX氏は即答する。
 
  それは連中が人間以下だからですよ、人間以下というより動物以下ですね。
  人間や動物というものには本能というものがあり、その本能の中には禁忌と言うものがある。
  特に人間には禁忌というものが他の動物よりも強く備わっています。
  そうした禁忌は『やっていいことと悪いことの』の分別を齎す。
  こうした禁忌を考える際、例えば『村八分』ということを考えてみれば判りますが、
  村と言う共同体から排除されたとしても、それは完全排除を意味しない。
  排除したとしてもそれには限界というものがあります。その限界こそは禁忌に基づく。
  だが、集団ストーカーはそうじゃない!
  人間、いや他の動物ですら本能的に持っている禁忌を平然と乗り越えてくる。
  判りますか? 禁忌を平然と乗り越えてくるということがどういうことか?

そう問われた私にはそれがどのようなことかが俄かには判らない。
 
  禁忌を平然と乗り越えてくる集団ストーカーの実態を知った時、
  それがどれほど恐ろしいものかかが判ってくるはずです、
  と、同時にその在り様にこれ以上のない蔑みの念すら湧き起ってきます。

X氏はタバコを一服すると立ち上る紫煙を眺めながら、

  なぜ私が『人間以下の鬼畜』と言っているかは、いずれ一条さんにもご理解できるときがきますよ。

ここまでのX氏の話から、私は冷静に見える彼の心の中に集団ストーカーに対する言いようのない憎悪を持っていることが判ってきた。
だが、なぜこれほどの憎悪を持つのかがいまひとつ実感として判らない。
もっともそれは無理からぬことだ、私には集団ストーカー被害の体験がない。
判っていることは実際の被害者を取材して知り得たことだけにしか過ぎない。
私はX氏がどれほどの憎しみを抱いているかを今後の参考のために訊いてみた。

  Xさんは、かなり集団ストーカーを憎んでおられるようですが・・・。

私の問いかけにX氏は険しい表情でタバコをもみ消す。

  憎んでいるなんてものじゃない!
  私は集団ストーカーを全員叩き殺してやりたいとすら思っていますよ!
  叩き殺すというよりも、集団ストーカーを一人残らず殲滅しこの世から絶滅させたいと考えています。

叩き殺す! 殲滅! この世から絶滅!

冷静に見えるX氏の口から出る言葉とは信じがたい激しい言葉に単なる憎悪ではなく、集団ストーカーへの『呪い』のような印象すらうける。
X氏をしてこれほどまでに『怨嗟』の念を抱かせる集団ストーカーというものに私は改めて関心を抱く。

  ははぁ、そうですか・・・。
  なるほど、Xさんが集団ストーカーに対して激しい怒りの感情を持っていることはわかりました。
  ところで、Xさんは集団ストーカーを研究しておられるということで、
  よろしければそれをお聞かせ願いないでしょうか?

するとX氏の険しい表情が笑顔に変わると快諾する。

  ええ、いいですとも! 
  できるならばあなたの雑誌に全文を掲載し世の中に一石を投じて欲しいと思います。

快諾してくれたX氏だがその要望に応えかねるため、私はやんわりとお断りを入れる。

  いや、申し訳ありませんが、それについては私の口からはなんとも・・・。
  記事の掲載については偏執部が決めることですので。
  ですが、編集部にできうる限り働きかけようと思います。
 
  そうですか、いや、いいんです、そうして頂けるだけでも私にとっては、いや、
  私を含めた夥しい被害体験者にとっても朗報になるものと考えます。
  なんといってもジャーナリズムの世界に身を置く一条さんが、
  この問題に関心を持っていることだけでも素晴らしいことですよ。
 
感無類といった感じのX氏は語りだす。

  私は別に集団ストーカーを研究しているつもりはないんです。
  私自身、この糞忌々しい所業の数々を身を持って体験し、そして多くの被害体験者に会い、
  なんとかこの問題、いや、この『犯罪』を解き明かし、そして立証しようとしてきただけですよ。
  なぜ集団ストーカーが存在するのか? それはいつから、そしてどこから来たのか?
  こうしたことを自分なり調べていくことにより、
  徐々に集団ストーカーがなんであるかが見えてくるのです。
  しかし、見えてくると言っても、それは実証することができない、ただ、ひとつの仮説に過ぎない。
  この仮説からひとつの全体像を抉り出していくしかありません。

  ふむ、で、どのようなことが見えてきましたか? 仮説でも大いに結構です。
  未知の事象を解き明かし実証させていくには仮説が必要なります。
  これはジャーナリズムに限らず、犯罪捜査、それにサイエンスの世界でも同じこと。
  ですからXさんが見出したことを是非お聞かせください。

私の問いにX氏は快く応じると語り出す。

  そうですね、まず、最初に集団ストーカーというものを考える際、
  それは決して単独で成り立つものではなく、概ね三つの構成要素に分解できるということです。

三つの構成要素? どういうことでしょうか?

  ええ、その構成要素とは以下に示す三つのものです。

  (1)集団ストーカー実行部隊あるいは実行組織

  (2)集団ストーカーのクライアント

  (3)集団ストーカーの加担者

  概ねこの三つに分類できます。

集団ストーカー実行組織? クライアント? 加担者?
初めて聞く話のためか私は俄かに理解できない、たが、X氏の仮説に興味を感じた私は問いかける。
 
  ほほう、なぜそうした分類ができると考えます?
 
私の問いにX氏はニコリと笑みを浮かべて説明する。

  なぜこのように分類できるかということよりも、
  集団ストーカーはこの三つの構成要素から成り立っていると考えなければ説明できないからです。

  ふぅむ・・・、といいますと。

考え込む私にX氏はひとつの事例を持って説明する。

  これを理解するためには抽象的な話をするより、実際の事例をサンプルとして考察してみることです。

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