小説『鬼畜の宴』
作者:ウィンダム()

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  既に言及したように集団ストーカーにはいろいろなものが関わっているはずです。
  広域カルト以外でしいてあげるならば、やはり闇社会でしょう。

  闇社会と言いますと、やはり暴力団関係ですか?

  それはなんとも言えないですね、理由は闇社会=暴力団とは限らないからです。

  といいますと?

  そうですね、例えば昔のグリコ・森永事件を思いだしてください。

  グリコ・森永事件というと、例の怪人21面相ですか。

  ええ、そうです、あの事件の全てを暴力団関係だけで説明できるのか? という疑問。
  むしろ既存の暴力団とは異なる別種の犯罪組織の仕業ではないでしょうか。
  同じことは赤報隊事件にも言えます。

  すると暴力団とは別種の犯罪組織のようなものがある、ということですか?

  そうなるでしょうね、もっともそういったことはプロのジャーナリストの方たちのほうがお詳しいと思いますが・・・。
   
X氏に一本取られた私は苦笑する。

  暴力団とは異なる犯罪組織、あるいは反社会的組織の代表的なものにテロ組織が存在しているわけですから、
  ほかにもヤクザとは性質の異なる犯罪組織が存在していることは十分考えられることです。
  もっともそれが何かはわかりませんが。
  集団ストーカーは闇社会と関係があるが、しかし、それはヤクザとは異なる別種のもののように思えます。

  なるほど、ほかには?

  そうですね、イジメといったものも関係があると観ています。

  イジメ? ほう、それはまた変わった観方ですね。

  イジメに関して、私はかねてから或る疑問、というか疑念をもっています。

  イジメの疑念、といいますと?

  それは、イジメと言うものが純粋に子供の問題と言い切れるのか? という疑念です。
  学校でのイジメというものを考えるとき、
  それはハンバなものではなく相手を生き地獄に落として自殺へと至らしめる・・・。
  こうしたイジメの在り様はどう考えても異常でしょう。
  こんなことが子供の頭で考えだせることなのか? こうしたイジメに教師が加担している実態。
  さらに、イジメの問題が起きると決まって学校側の責任ばかりがクローズアップされる。
  イジメる子供の親と言うものがただの一度もクローズアップされていない、これは少しおかしいと思いますね。
  子供の問題は親の責任であり、イジメの被害はイジメる親の責任でしょう。
  さらにイジメはイジメられる側にも責任があるなどという屁理屈、というより盗人の論理に等しい考え方、
  そんなものがまかり通っている。
  どうにも現在のイジメを考えるとき、なにかが意図的に欠落されている、
  というより何かが巧妙に隠蔽されているように思えてならない。

  ふふん、なるほど。

  ここでちょっと考えてみましょう。

     イジメはイジメられる側にも責任がある

  この論法をよく考えてみます。
  これはどう考えても正当な思考の産物ではない、これは誰が考えても盗人の論理です。
  つまり悪党の論理です。
  こうした論理が正しいなら、

     犯罪被害はその被害を受ける側にも問題がある

  と言わなければならない、そしてこうした論法を極端化させると、

     殺されるのは殺される側にも問題がある

  という論法へと行きついてしまう。
  イジメというのは精神的肉体的虐待による明らかな人権侵害でしょう。
  その人権侵害に対して、

     人権侵害は人権侵害される側にも問題がある

  と言える人間がいますか? いないはずです。
  もしこんな悪の論理を認めれば人権などなくなってしまう。
  とろがなぜかイジメにはこの悪の論理がまかり通っている。
  これはどう考えてもおかしい。

  ふぅむ・・・。
 
  子供の間に生じるイジメ、その陰湿極まりない手口による生き地獄、そして自殺へと至らしめていく・・・。
  私は思いますが、これは子供の頭で考えだせることではなく、子供の背後に隠れるオトナが考えだすものですね。
  オトナガ考える虐待方法を子供の頭に吹き込む、これがイジメの背後に隠された実相なのではないかと思えてならない。
  そしてこの実相が巧妙に隠蔽されている。

  すると、イジメは子供を使った一種の嫌がらせ・・・、ですか?

  いや、嫌がらせを通り越した、一種の『見せしめ』ではないかとすら観ています。

  『見せしめ』ですか、ゾっとする話ですね。

  ええ、ゾっとする話です。
  イジメは子供の間の話ではなく実はその背後に隠れるオトナの陰湿な人権侵害行為と考えるとき、
  イジメの問題と言うのはかなり判りやすくなってきます。
  たとえば、仮にAという人がいて、そのAがBという人が気に食わない、そこでBをなんとか叩きたい、
  しかし、直接叩くための当な大義名分がない。
  仮にあったとしても相手と直接諍いを起こせば、周囲から大人げないと思われてしまう。
  それに世間体も悪い。
  そこで子供を使って相手の子供を攻撃させる・・・。
  そうすればこれは子供の間の話と言うことで世間の目を欺くことができる。
  ですから私は思うのです、イジメに関してはその親をつぶさに観察する必要があると思います。
  特にイジメる子供の親、その親は人間としてとしてどのような人物か? 
  どのような人権意識を持っているのか? 
  制度の上に胡坐をかき、虎の威を借りる、そしてふんぞり返った性質の悪い人間なのか? 
  あるいはカルト構成員の疑いはないか?
  他人を自分の支配下に置きたがる人間か? 
  こうした親の在り方というものを考える必要があると思います。
  こうして子供のイジメを注意深く見ていくと、集団ストーカーとよく似ていることが見えてきます。

イジメの背後に大人がいる・・・。
X氏の指摘はひとつの盲点を突いていると言える。
確かに今のイジメは尋常ではない、果たして子供の頭で考えつくものかどうかを問われたら、誰も即答できないだろう。

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