小説『鬼畜の宴』
作者:ウィンダム()

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X氏のように、こうした自分なりの判断基準を持つという姿勢はとても評価できる。
少なくともこうした判断基準を明確に持つ人は、世評やあらぬ噂に付和雷同するなどということはないだろう。

  それからもうひとつ、戦前の日本の全て一切合財を『悪』と見做すものの観方考え方、
  これも私は一種のカルト的な要素が潜んでいるものと観ています。

  ふむ・・・。

戦前の日本の是非になると話が飛んでしまいかねないため、私はこのことには触れないようした。
その理由は、それを言い出すと収拾がつかなくなってくるからだ、それに本論と無関係な話しでもある。

  戦後の日本においても一般社会におけるカルト的な要素はいくらでも観られます。
  例えば、自分の家族を犠牲にしてまで企業に尽くす、これもカルト的な要素が極めて濃厚でしょう。
  所謂『滅私奉公』という言葉を巧みに利用し勤労大衆を酷使する。
  本当に『滅私奉公』の精神があるなら、日本と言う国は私有財産を否定した共産主義濃こそふさわしいはずです。
  ですが、こんなこと誰も望んでいないわけです。
  特に与党系の政治家や財界、そして役人たち、これらの人々は共産主義など真っ平ごめんなはずです。
  それに『滅私奉公』が本当に正しいならば、財界や企業経営者などの資産家は率先して『自らの欲望を滅ぼす』、
  そしてしその持てる私有財産の全てを『公に奉じる』べきでしょう、いかかですか?
  こうしたことがなされていますか? なされていないでしょう。
  そのくせ国民大衆にだけ『滅私奉公』を唱えるならば、とどのつまりは『滅私奉公』が一部の人間たちによって都合よく、
  言い換えれば、いいように利用、というより乱用されてきた『カルト』であるというこが判ってくるはずです。
  そう思いませんか?

話を振られた私は否定できない。
  
  誤解のないように言いますが『滅私奉公』それ自体がカルトなのではなく、
  そうしたことを自分たちの権力と利益のためにだけ人々を利用する、そうしたあり方が『カルト的』であると言うわけです。
  これは『宗教』も同様、カルトの定番たる『宗教カルト』は、こうした『宗教』を自分たちの野望や欲望のため、
  『宗教』を利用もしくは乱用し、大衆を唆し利用し酷使するわけです。
  こうしたカルトのなかでも『宗教カルト』ほど性質の悪いものはありません。

  ふぅん・・・、確かそうですね。

  宗教カルトの性質の悪さで最も悪いことは人々を幻惑させていくという子です。

  といいますと?

  たとえば政教分離に対するカルト側の言い分、これこそは国民大衆を幻惑させること以外のなにものでもにないですね。

  ほほう、政教分離の幻惑ですか。

  そう、幻惑です。
  ちょっと思考モデルを使って考察してみましょうか?
  ここに或る宗教団体があるとする、その団体は自己の一部を分離して政党となる。
  そしてその政党が国政で与党になり政治上の権力行使をしたとする。
  これは憲法20条に定めた政教分離規定に抵触するか否か? どう思いますか?

  うむ・・・、ちょっと難しいですね、宗教団体がダイレクトに国政参加し政治使用の権力を行使すれば、
  それは明らかに憲法20条違反となる。
  たが、政党となればそれは憲法違反とはならない・・・。

私の意見にX氏はニヤリと笑う。

  そう思いますか? もし本当にそう思うならば、これこそカルトに幻惑されています。

  え? なぜです?

  まず『宗教団体が自己の一部を分離し政党となる』ことをよく考えるべきです。
  このような政党のメンバーが全て当該宗教団体のメンバーである場合、
  言い換えればそのような政党から当該宗教団体のメンバーを全て除去した後、なにも残らない政党である場合、
  この場合は政党というより、その実態は宗教団体政治局です。
  そのような実態的には宗教団体政治局としかいいようのない政党が、当該宗教団体から支配されているような場合、
  このような政党が国政に参加し与党となり政治上の権力行使を行うならば、
  これは実態的には当該宗教団体による政治上の権力行使と見做せるばずです、いかがです?

  うぅ〜ん・・・、確かにそう言われてしまえばそうですね、しかし、憲法は結社の自由を保障していますが・・・。

  フハハハハ、それもカルト側が切り出す減らず口ですね。
  よく考えてください、いかに結社の自由と言っても、そこには自ずと限度というものがあります。
  条文で文言化されていなくとも、法の精神と言うものに立ち返ることによって理解できます。
  民衆の生命や財産を奪い破壊する犯罪組織やテロ組織を憲法は認めていますか?
  認めているというならば、憲法前文が無意味となるばかりでなく、そもそも憲法としての体をなしていない、
  いや、それ以前に法律というものを蔑にした『盗人の論法』でしかない。
  こんな『盗人の論法』を憲法が認めていると、一条さんは本気で考えますか?

  いや、それは・・・。

  でしょう?
  たとえば宗教でカモフラージュした国家乗っ取り集団のような連中を想定してみましょう。
  この連中が、
  他人の投票用紙をかっぱらい何食わぬ顔で剣替え玉投票する。
  気に入らないことを書くジャーナリストの出版を妨害する。
  気に入らない政党の委員長宅に盗聴器を仕掛ける。
  組織的な付き纏いや嫌がらせを行う。
  他人の通話記録を平気で盗みす。
  挙句の果てにはヤクザを使って気に入らない民衆を叩く。
  こうした数限りない反社会的行為や犯罪を繰り返すような団体を結社の自由とやらで認めますか?
  一千万歩譲って認めるとするならば、宗教法人法は意味をなさなくなります。

  (解散命令)
  第八十一条  裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、
  所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。
  一  法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。


  この宗教法人法第81条がなんの意味もなさないことになるわけです。
  そんなバカな話があるはずがない。
  それとも、他人の投票用紙をかっぱらい何食わぬ顔で剣替え玉投票する、
  気に入らないことを書くジャーナリストの出版を妨害する、気に入らない政党の委員長宅に盗聴器を仕掛けたり、
  組織的な付き纏いや嫌がらせを行い、他人の通話記録を平気で盗みだしたり、
  挙句にはヤクザを使って気に入らない民衆を叩く、そのくせ口では人権だ世界平和だと、尤もらしいことを説く、
  こんな戯言を吐きながら数限りない反社会的行為や犯罪を繰り返すような有り様をも、
  宗教上の『神聖なる行為』として法律が認めてますか? 
  もし、そうだというなら、この国は完全に狂い腐っていることになります、いかがですか?

問われる私は反論できない。

  しかもですよ、こんなロクでもない団体が、宗教法人格を得て課税特権を受けているなら、
  それこそデタラメの極致です。
  さらにそれをも正当化するならば、それそこ『カルトの幻惑』以外のなにものでもない。
  こんなことに正当性が微塵でもあるなら、同じことを海外でやってみればいいわけです。
  そんなことをしたらどうなるか? 
  間違いなく強制解散されるのがオチでしょう。
  どうですか? 
  ここまで見てきて『カルトの幻惑』といものがどのようなものかが、ご理解いただけると思います。

なるほど、X氏の言うとおり、まさに『カルトの幻惑』であり、その幻惑に多くの国民大衆が惑わされている。

政治はこんなこと百も承知だろう、そんなことより政治はそんなカルトの票が欲しいばかりに、その存在を許容しているにすぎない。

多くのまっとうな有権者がこんなものを認めるわけがない・・・。

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