小説『泡沫候補っていうな!』
作者:しょむ研 水野松太朗(しょむ系政治勢力研究会)

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○新党護憲リベラル、平和:市民、憲法みどり農の連帯

 1993年の小選挙区制導入の際、導入に反対した社会党の一部議員により参院会派「護憲リベラルの会」が結成。後にその会派と「大衆党」(旧MPD)を基盤に「新党護憲リベラル」が結党される。所属議員は田英夫、國弘正雄(通訳・翻訳家)、旭堂小南陵(西野康雄、講談師)、翫正敏(真宗大谷派僧侶)、三石久江ら。後に中尾幸則(元参院議員、後に札幌市長選に出馬・落選)と金田誠一(元代議士、元労組活動家)らが加入。政党助成制度には「不平等な制度」と反対していたが、活動資金はもっぱら政党助成金に頼っていた。

 1995年参院選の直前、自社さ連立政権への評価をめぐる対立が表面化。自社さ連立政権を「民主リベラル政権」と捉え、広範な「市民派」政党を志向する田や國弘らの「平和:市民」と、自社さ連立も新進党も「保守反動」と捉え、革新的な護憲派政党を志向する翫らの「憲法みどり農の連帯」に分裂。

 「平和:市民」は田、國弘、阿部知子(徳州会病院医師、「フロント(社会主義同盟)」活動家、後に代議士・社民党政審会長)らを擁立するが田以外落選し、解散。田は椎名素夫(後に「無所属の会」代表)らとの院内会派「参議院フォーラム」代表となり、後に社民党に復党する。中尾と金田は武村正義(元官房長官)や鳩山由紀夫(現民主党代表)らの「新党さきがけ」に移籍。旭堂は引退、三石は無所属となり、吉川春子(元共産党参院議員団長)らに同調するようになる。

 「連帯」は翫や星野安三郎(憲法・教育法学者、立正大学名誉教授)、小林忠太郎(農業経済学者、日本大学講師)、尾形憲(政治学者、法政大学名誉教授)、梅津慎吾(元「青年新党ディスカバリー」代表)、佐々木信夫(元「進歩自由連合」、現「新党地球の福祉」代表)らを擁立したが、日本世直し党やUFO党の得票をも下回る大惨敗だった。その後は翫らと共に、いいだもも(飯田桃、元「共産主義労働者党」議長)と尾形を共同代表に、さらに生田あい(元「共産主義者の建党協議会」)らを迎え、新社会党の支援や護憲・平和・環境保護等を訴える市民団体として活動を続けている。なお、翫は後に新社会党から1996年衆院選にも出馬している。

 「平和:市民」と「連帯」の分裂の際、庄幸四郎(ジャーナリスト)が「週刊金曜日」で「『連帯』は市民派を分断し、結集を妨害した」と主張するなど、特に「連帯」側へ非難が集まった。しかし翫は「政策を右傾化させ自民党に追従した田らにこそ分裂の責任がある」と猛反論した。因みに同選挙では上田哲(護憲新党あかつき元代表)らのいるスポーツ平和党や、小田々豊(「原発いらない人びと」「希望」元候補者)らのいる農民政党「いのちとみどりの市民・農民連合」も市民派と目されており、「市民派4分裂」と言われていた。

 なお、当時社会党内で小選挙区制に反対した議員には、後に新社会党を結党する面々(矢田部理や岡崎宏美ら)や伊東秀子(後に自民党推薦で北海道知事選に出馬・落選)、西岡瑠璃子(その後社会党高知県本部委員長栗原透らと共に離党、98年参院選には「無党派と共産党の共闘」と銘打ち共産党推薦無所属で高知県選挙区より出馬、落選)らがいる。また、93年衆院選で落選した元議員では和田静夫(元副委員長。後に新社会党顧問、自由連合常任顧問を歴任)、馬場昇(元書記長。後に9条ネット世話人)、上田哲(元教育宣伝局長。離党後「護憲新党あかつき」や「社会党」などを結党)、高沢寅男(元副委員長、後に練馬区長選に出馬・落選)らがいる。

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