小説『泡沫候補っていうな!』
作者:しょむ研 水野松太朗(しょむ系政治勢力研究会)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 92年、「みどりといのち」「ちきゅう」「原発いらない」の3派は合併し、環境新党「希望」となる。藤本敏夫(農業、元「共産主義者同盟」系全学連委員長、加藤登紀子の夫)を代表に迎え、参院選には藤本や小田々らを擁立するが、大きな支持にはつながらず全員落選した。
 95年、小田々や新藤洋一(後に日本公進党推薦で群馬県吉井町議、1期で引退)ら農民運動・環境保護運動家らを中心に「みどりといのちの市民・農民連合」結党。同時期「平和:市民」(新党護憲リベラル)内の反自民・新進派と農民運動・環境保護活動家らで「憲法みどり農の連帯」が結党。しかし両党とも大きな支持は得られなかった。

 98年、武村正義らの保守政党「新党さきがけ」が環境政党として再出発を表明。後に党名は「さきがけ」となり、中村敦夫(俳優、個人政党「国民会議」代表)と黒岩秩子(フリースペース主宰、後の民主党参院議員黒岩宇洋の母)で参院会派「さきがけ環境会議」設立。黒岩の落選後、2001年当選した高橋紀世子(元参院議員、三木武夫・睦子の長女)が所属し、2002年「みどりの会議」と改称。2004年参院選には中村、小林一朗(サイエンスライター、反戦団体「CHANCE!」主宰)や足立力也(コスタリカ研究家)、藤田恵(元徳島県木頭村長、後に9条ネットより参院選出馬・落選)らを擁立するが、全員落選し、「女性党」にさえも得票を抜かれた。選挙直後に解党し、小林を代表に「みどりのテーブル」が設立。但し、小林は「CHANCE!」時代公安警察と会食し「運動家より警察の方が信用できる」と公言していたことから、代表就任には批判も相次いだ。「テーブル」は地方議員の連絡組織「虹と緑」などと共に2008年11月解散・合併し、環境新党「みどりの未来」となった。

 2007年には黒田恒一(司法書士)が「環境社会主義党」の結党と同年参院選への出馬を表明したが、選挙直前に立ち消えとなった。2009年衆院選には長友清冨(農林業、環境コンサルタント、NPO「森と海の恋人」代表)が「森海党」から出馬、川辺川ダム計画反対などを訴えた。

 なお、現在「緑の党」名義で街頭募金や議会活動をする団体は、環境保護活動とは無関係な毛沢東主義の党派であり、環境政党設立を目指す陣営からは「同一視されたくない」と迷惑がられているという。

-23-
Copyright ©しょむ研 水野松太朗 All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える