小説『泡沫候補っていうな!』
作者:しょむ研 水野松太朗(しょむ系政治勢力研究会)

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○大日本愛国党

 赤尾敏(元代議士)らを中心に結党。当初赤尾は左翼思想に傾倒していたが、逮捕をきっかけに右翼に転向。出獄後右翼団体「建国会」設立。翼賛選挙では大政翼賛会非推薦候補ながらも当選。第2次世界大戦前から親米反共を主張し、対米開戦に反対した。

 公職追放を解除された1951年、愛国党結成。赤尾は総裁に就任。後に浅沼美智雄(元社会党杉並区議、後に「大日本愛国団体連合・時局対策協議会」(時対協)最高顧問)を参与に迎える。その後数寄屋橋での街宣活動とともに、国政選挙および都知事選に多数出馬。主張は戦前と変わらず親米反共路線であり、韓国にも友好的だった。また、参院不要論を唱え、参院選では自身への投票も許さず棄権するよう訴えた。泡沫候補扱いされることには怒りを露にし、政見放送で「誰が泡沫だ!この与太者!」と一喝した。

 数寄屋橋での街宣活動は毎日欠かさず行なわれた。選挙出馬は選挙期間中にこの街宣を途切れさせないためだとも言われる。お笑いグループ大川興業は演説をする赤尾の前で彼らを讃える踊りを披露したが、党員に拳銃を突きつけられたことがあるという。

 浅沼稲次郎(美智雄の親戚、当時の日本社会党委員長)刺殺事件の犯人山口二矢、嶋中事件(中央公論社社長嶋中鵬ニ宅に侵入し、社長夫人および家政婦を死傷させた事件)の犯人小森一孝も元愛国党党員だった(両者とも犯行直前に離党)。これらの事件に関連し赤尾も逮捕されている。また、松岡利勝(元農水相)も高校生時代に愛国党への入党を志願したという。

 赤尾の死後、愛国党は総裁長男派、書記長派などに分裂。近年は選挙への出馬もなく、活動は縮小傾向にある。

 赤尾の弟と長男は警備会社のテイケイ(帝国警備保障)や不動産会社など、いくつかの会社を経営している。テイケイは労働争議や学生運動への弾圧活動でも知られる。

 つまみ枝豆(お笑い芸人)も所属歴のある右翼団体「防共挺身隊」は、愛国党および右翼団体「防共新聞社」の青年部隊的な組織だったが、挺身隊が山口組系暴力団との関係を深めていくことに愛国党ら側が反発。現在は対立関係にある。

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