小説『泡沫候補っていうな!』
作者:しょむ研 水野松太朗(しょむ系政治勢力研究会)

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○風の会

 1992年、全右翼勢力の結集を目指して設立。代表は河野一郎(元建設相)宅放火事件や経団連会館襲撃事件等で知られる野村秋介(新右翼団体「大悲会」代表、愚連隊出身)。衛藤豊久(当時の「日本青年社」会長)らは全面支援を表明した。

 横山やすし(漫才師)も候補者の1人となり話題となった。主な政策は「国際会議等での日本の表記を『Japan』ではなく『Nippon』に改めさせる」など。しかし山藤章二(イラストレーター)から「週刊朝日」連載内で「虱(しらみ)の党」と揶揄される。結果は全員落選。落選会見で横山は「国民が、アホや!」と激怒した。

 翌年の1993年、野村は朝日新聞社社屋内で抗議のピストル自殺。没日である10月20日は「群青忌」と呼ばれ、追悼イベントが開かれている。

 野村は鈴木邦男(「一水会」顧問)らと並ぶ新右翼活動家の大物だったが、「右翼」と呼ばれることを嫌い、「民族派」「新浪漫派」を自称した。また、安重根(伊藤博文を暗殺)を「憂国の志士」と讃えたり、獄中で看守に虐待されていた在日韓国人受刑者を助けたり、「黒シール事件」(石原慎太郎の公設秘書兼鹿島建設社員が、朝鮮籍から帰化している新井将敬を中傷するシールを選挙ポスターに貼り現行犯逮捕された事件)では石原に直接抗議したりするなど、朝鮮に対し一定の理解を示してもいた。

○平成維新の会

 大前研一(経営コンサルタント)らにより設立。当初は議員の政策格付け団体であり、既存の政党所属の候補者に推薦を出すようにしていた。事務総長に茂木敏充(現自民党代議士)、事務局長に長島昭久(現民主党代議士)、事務局長代理に長妻昭(現厚生労働相)、事務局次長に風間直樹(現民主党参院議員)、顧問に岩國哲人(元民主党代議士、元出雲市長)、横路孝弘(現衆院議長、民主党系)らがいた。政策スタンスは新自由主義であり、「企業活動の規制を全て撤廃し、政府の活動を徹底的に制限する」夜警国家的な社会を理想としていた。スローガンは「生活者主権」。

 議員格付けが党議拘束により上手くいかなくなったため、1995年参院選には比例区より独自に出馬。三浦雄一郎(スキーヤー)や長妻らを擁立するも、1人も当選せず解党。その後大前は政治家養成機関「NPO法人・政策学校一新塾」を設立、渡嘉敷奈緒美(元自民党代議士、元杉並区議、薬剤師)ら、議員の輩出に力を入れている。

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