小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 玲子と聡美とでは根本的何かが違っている。聡美にとって玲子は完璧な人間に思える時がある。掃除や料理を手早く済ませ、自分の目的をはっきりと持ち、それに向かって努力をし、常に前を見ていた。聡美はつい玲子と自分を比べてしまう。聡美は(人と自分を比べても意味のない事だ)という事はわかるが、あまりに自分が小さく見える。(私は何一つ満足にできない。それが現実なのだ)と感じてしまう。
 はじめの頃は、何も考えずに玲子とつきあえた。学校の成績は私の方がよかったので、優越感のような物を持った事もあった。玲子と会っていれば楽しくて、気持ちも充実していた。しかし、いつの頃からか、玲子と過ごす満たされた気持ちのどこかに、自分にはない空虚な何かが物が自分自身を攻撃しているのを感じ始めた。玲子が変わったとか、刺激がないとかそういう物ではない何かが自分の中にいるのを感じた。自分の中の何かが自分を攻撃しているのを感じた。
「おいしいね、このパスタ。さっきまで食欲なかったのに、食べ始めたら急におなか空いてきちゃった」
と、聡美が言うと、玲子はちょっと自慢げに
「そうやって褒められると、やっぱり。嬉しいなあ。実はいつもよりスパイスを多めにしたんだ」
と、ほんとに嬉しそうに言った。
「最近の聡美はちょっと痩せすぎだから、少しでも食べられればいいなって思って、味付けに工夫してみたの」
 聡美は、こういう所が玲子のすごいところだと思った。私ならそこまで考えられない。私の自己中心でわがままな自分が見えてしまう。(だから、変わりたい)と、強く思うようになったのかも知れない。
 玲子は、
「ほらほら、手が止まってるよ」
と、言った。
「あっ、ごめん。ぼっとしちゃった」
「また、聡美の言う『とても大事な事』を考えてたの」
 聡美は、どう返事すればよいものかと迷っていると、玲子は、
「別に責めてるんじゃないんだから、今は、食事して、そのうち、気が向いたら『とても大事な事』を教えてね」
と、優しく声をかけた。聡美は消え入りそうな声で
「うまくいえなくてごめんね。でも、きっと近いうちに話すから」
と、答えるのがやっとだった。
「無理しちゃだめだよ。時々とてもつらそうに見えるよ」
「うん、ありがとう」
 聡美は、こんなに変わってしまった自分にきちんと向き合ってくれる玲子の気持ちに感謝した。そして、中途半端な気持ちの自分自身に嫌気がした。

 夕食を終えると、二人は今日の成果に手を伸ばした。
玲子は、袋からTシャツを引っぱり出しながら
「今日はあまり買わなかったね」
と、言った。
「そうだね。でも、気に入った物が手に入った結構うれしいな」
「聡美って急に痩せたでしょ。持ってるGパンなんかもうはけないんじゃない?」
「うん。かなり痩せたよ。別にダイエットしてる訳じゃないのに、三月から六キロくらい落ちたもん」
「それだけ落ちれば、何でも着れそうじゃない」
「そうでもないよ。体型は男だから、女性用の服ってやっぱりぴったりこないよ」
玲子は少しためらいがちに
「聡美は女装したいの?」
と、訊いた。聡美は笑いながら、
「なんだか、それじゃあ変態みたいじゃん」
と、答えた。そして、
「うまく言えないけど、女装したいというより、より綺麗なそしてかわいいのを着たいってところね。そうやって選んでいくと女性の服にすてきなのが多いって感じかな」
と、続けた。聡美にとって衣服とは単に躰を包む物ではなく、自分の気持ちを語る大きな要素だと思う。その人の個性のうち衣服から受ける印象は大きいだろう。誰か特定の個人を思い出す時、その時、着ていた洋服も同時に思い出す。人のその中身より外見で判断する事がとても多いのだ。年齢、性別、そして場合によっては思想まで外見で判断してしまう。玲子の外見がが玲子らしくあるように、聡美が聡美らしくあるという事はその外見から判断される物かも知れない。だから聡美は外見にこだわりたいと思う。しかし(聡美が聡美らしくある)と、言う場合の(聡美)とは何を指すのかは、聡美本人にもはっきりとしていない。聡美は、とにかく、自分の外見を繕いたいと思っていた。着てみたいと感じる洋服を着てみたいのである。聡美は、
「でもね、なんだか買ってくる洋服を合わせてみると妙にちぐはぐな感じがするのよね」
と、言った。
「まあ、そんなもんでしょ。だって、私なんか二十年女やってるけど、まだちぐはぐだもん。昨日今日女になろうという人がそんなに急にぴったりはまったら、私はどうすればいいの」
と、玲子は笑った。
「ねえ。ちょっと玲子の意見を聞かせて」
「意見って」
「服の合わせ方よ」
「しょうがないなあ。じゃあ、今ある服を全部出してみて」
 聡美がクローゼットから今ある服をすべて出してみた。玲子であっても見せるのがためらわれるような趣味の悪い物もある。ここ六ヶ月ほどに買った物だから、それほどの数がある訳ではない。ユニセックスなものは女性であろうと意識しはじめた頃に買ったものである。それ以前の男性用の服のほとんどは段ボールに詰めて押入の奥にしまい込んでしまった。
「そうね。まず絶対数が少ないわね。当たり前だけど」
と、玲子は冷静に言った。
 それはその通りである。できるだけ買いにいこうと思うが、女性用の洋服の売場に入る事にまだ慣れていない。まだ、どこかに照れがある。外見を意識しているからこそ、現在の姿の自分が女性用の洋服を買う事に抵抗があるのだ。
「それに、スカートが少ないのはどう考えても不自然」
 本来ならスカートなど持っている方が不自然であるのだが、今の聡美にとってはやはり持っていない方が不自然なのだろう。外見に自身がないから振る舞いが卑屈になり、そして、考え方まで消極的になってしまうのだろう。見た目は大事かも知れない。玲子はそんな思いを巡らしている聡美を気にするようでもなく、
「この黒のパンツにそこの縞のTシャツと上に茶のジャケットっていうのはどう」
と、言った。
 いいも悪いもない。なるほどと思うだけである。
「ふうん。なるほどね」
「あら、なんだか気のない返事じゃん」
「ううん。そんな事ないよ。本当になるほどって感心しただけだから」
 玲子はしばらく考え込むと、
「ねえ、今いくら持ってる」
と、聡美に訊いた。
「銀行に行けば三十万くらいはあるよ」
「あら、お金持ちじゃん。そのうちとりあえず十万出さない。それで一気に揃えちゃおうよ」
「要するに今持ってるのじゃ全然だめって事ね」
「そんな事ないけど、ちょっとずつ増やすより、今はまとめてどんと買っちゃおうよ」
「でもそれだと十万くらいじゃ足りないでしょ」
「古着屋さんとかを回れば何とかなるでしょ。今のままじゃ絶対少なすぎるって。明日行こうよ」
「あら、またまた急な話じゃん」
「早い方がいいって」
「うん。じゃあ明日」

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