小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 聡美はアイスコーヒーを、そして、玲子はレモンスカッシュを注文した。聡美は玲子が一口水を飲み込むのを待って、
「暑いなんてもんじゃないよね」
と、言った。
「ほんとだよね。全部の教室のエアコン入れてほしいよ」
「試験の調子はどう?」
「今のところはまあまあかな。後期はもう少しまじめにやらなきゃ」
「玲子は家の会社に入るんだから、卒業できればいいんでしょ」
「それはそうなんだけど、ちょっと考える事があってさ、少しは成績を良くしておこうかなって思ってるんだ。それより聡美の方こそ調子はどうなの?」
「自分では頑張ったつもりなんだけど、あまり結果に出ないかも知れない」
「へえ、弱気なんだね」
「うん、でも正直な所ね。後期に期待するしかないかな」
 聡美は煙草に火をつけ一口ふうっと紫の煙を天井に向かって吐き出した。
「ねえ、聡美。ところで夏休みはどうするの?ずっとバイト?」
 聡美は(やっぱりこの話は避けられないなあ)と思いながら
「うん今年はバイトすることにしたの。今年は帰るのよそうかなって思ってる。玲子はどうするの」
と、訊き返した。
 玲子は、
「この間も言ったけど、いつもと同じかな。七月いっぱいはこっちにいて、八月になったら帰ろうかなって思っている。家の手伝いは前から言われてるし。」
と、言った。
「まだちゃんとは考えていないんだけど、これまでと違う事をやってみたいんだ。大学生だからできる事ってあるのかも知れないと思うのよ。じゃあ一体それはなんだと言われると、答えられないんだけどね」
 聡美は、運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲み下して、言った。
「バイトに限った話じゃないんだけど、自分がこれまではしてこなかったような事をしてみようかな、って、思ってる」
「大丈夫なの?。あまり焦っていろいろ手を広げすぎない方がいいよ」
「そうなんだけど、なんだか今の大学だけじゃすごく狭い世界だけしか見ていないように感じるのよ」
「今の聡美はもう十分に他の人が体験しない世界を見ているといると思うよ」
「確かにね。自分の世界を変えてしまったという意味ではそうだけど、自分の周囲を見回した時、大学の中にいたんじゃ分からない事って多いと思うんだ。もともと大学って同じような学力の人たちが同じような受検勉強して入った訳じゃない。年齢にしても、せいぜい五歳位しか変わらないし、育った環境にしてもみんな中流でしょ。それって、とても狭い世界に見えちゃう」
「うーん。聡美らしいと言えば聡美らしい考えね。今に不満を感じているのかなあ」
「別に不満は感じてないよ。不安は感じてるけどね」
「不安?」
「うん。不安だね。今の自分を思うと、来年、リクルートスーツを着て会社訪問しているとは、ちょっと、考えづらいでしょ。だから何か別の方向を見つけたいんだけど、自分の知っている世界の中にはそれがないのよ。だから不安を感じるのね」
「言ってる事は納得できるけど、やっぱり、急ぎ過ぎてないかしら。まだ時間はあるんじゃないのかしら」
「時間がどれくらいあるのかなんて本当の事は分からないけど、いつまでに見つけるかというと、やっぱり卒業を一つの目処にしたいなあ。親の仕送りを期待できるのもそれまでだし、逆にあまりいつまでも仕送りをあてにできないしね。あと一年半。長いと言えば長いけど短いと言えば短い」
 聡美はここまで言うと、煙草を灰皿に押しつけて、アイスコーヒーを口に含んだ。
「ねえ、聡美。なんだか、これまでの自分のほとんどを捨てようとしているように見えるのは気のせいかな。春の頃は、そこまで考えてなかったんでしょ」
「それはするどい指摘かも知れない。あの頃は、漠然と自分が嫌で嫌で仕方がなかった。変わりたいって強く思ってた。そして、玲子にもいろいろ手伝って貰って少しだけど、自分にとって居心地のいい自分に変わってきたんだけど、ここに来て、この先どうなるんだろうって不安があるのよ。変わろうって思ってから、改めて自分を振り返ると捨ててしまわなきゃいけない物がたくさんあって、それらをいったん捨ててから、新しい自分を見つけたいって思うようになってきたの」
「でもそれって無理だよ。もう二十年以上過ごしてきた物を一年やそこらで捨てたり変えられたいできような物じゃないと思うけどな。それになぜ、自分を捨てなきゃいけないの。あんまり根拠ないよ」
「過去の自分にこだわりたくない、という意味で自分を捨てるって事なんだけど……もちろん、いろいろ考えたりした結果、過去の自分のしてきた事がすべて無に帰するなんて事はないと思うけどね」
「でもその判断基準を決めるのは過去を含めた今の自分じゃないのかなあ。ゼロからすべてを作る事ってできないよ」
「うん。そういわれるとそういう気もする。でもね、そもそも、自分が男性として生まれて、男性として育って・・・という前提で考えるから話が混乱するのよ。ことはもっと単純で元々女性で生まれてきていたんだけど男性として扱われてきた。そして、たまたま躰が男性だったと思えば今の私の感じている矛盾というか変な違和感を説明できるのよ」
「男性で生まれてきたのは事実でしょ」
「気持ちの上での話よ」
「ちょっと、待ってよ。でも、そのことに20年も費やす?」
「費やしたものは仕方ないじゃん。だって自分がどう感じていいるかっていう感じ方は人と比較できることじゃないでしょ。私は女性として生まれてきたのよ」
 聡美がそう答えると玲子はちょっとすまなそうに
「ごめん。ちょっと言いすぎた。ただ心配だったから」
と、言った。
「ううん。こんな私にきちんと言ってくれるの玲子だけだから、とても嬉しいんだよ。そうは見えないかも知れないけど」
「あまり、深刻に考えすぎないでね。これでも心配してるんだから」
「ありがとう。本当に」


 聡美がアパートに帰る途中で、玲子からメールが入ってた。
 開いてみると、玲子からの「さっきは言いすぎた、ホントごめん。でも焦っちゃダメだよ」というメッセージだった。(別に謝る事ないのに)と聡美は思った。玲子の気持ちは聡美には痛いほど分かる。聡美にもすぐに玲子に「こっちこそごめんね」と返信しておいた。
 玲子はまるで自分の事のように、聡美の事を思ってくれた。
 聡美には、夏休みをどうのように過ごすがとても重要な事に思えた。たった二ヶ月弱の短い期間だが、自分のこれからの方向を決めるためのとても重要な期間に思った。しかし、山は越えたとはいえ、今はまだ試験期間である事には変わりない。聡美は取り合えず試験が終わるまでこの問題は棚上げにしよう、と思った。

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