小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 聡美がそういうと、玲子は思い出したように
「そういえば今日、高校の同窓会のはがきが来てたわよ」
「あ、そう。じゃあ私の所も来てるかなあ。いつやるって?」
「八月十日だったかな」と言いながら、机の上のはがきを手にした。
「そうそう、八月十日」と、言った。
「通知のはがきってなんだかいつもぎりぎりに来るね」
「仕方がないよ。みんな忙しい中でやってんだから」
「去年の同窓会はたいへんだったね」
「みんなやる事が過激だもん」
「玲子は出るの?」
「ううん。今年はバイトだってするつもり」
 聡美は「そう」とだけ答え、押し黙ってしまった。高校の頃から二人がつき合っていた事は同窓生は皆が知っている事だった。聡美が出ないで、玲子だけ出席したら、聡の事が話題に上るだろう。かつての級友がどこまで今の聡美の事を知っているか予想できなかった。もし、知ってるとしたら格好のスキャンダルだろう。もし、知らなければ、今どうしているか訊かれるに決まっている。玲子にすれば、説明もしたくないし、分かってももらえないだろう。
 何本目かの缶ビールを開けたところで玲子は言った。
「昨日の電話で何か様子がおかしかったけど、どうしたの」
 聡美は、自分の顔から表情が消えた事が自分でも分かった。
「誰と電話してたの?」
 重ねて訊く玲子に、聡美はできるだけ平静を装うとしたが、無駄な努力だった。表情がこわばっている、と自分でも感じた。
「奈津美からの電話だったんだけど、あんまりいい話じゃなくて」
 聡美はうつむき加減だった顔をぐっと持ち上げて続けた。
「うちのお母さんが、私の事をどこかで聞いたかも知れないの。それを奈津美の所に確かめようとして電話してきて、奈津美もずいぶん困ったみたいだけど、奈津美の問題じゃないし、どうするのかって私に電話してくれたんだ」
 玲子は腕組みをして
「やっぱりそういう話が来たか」
と、言った。
「聡美のお母さんは、どこまで知ってるのか訊いたの?」
「あまり詳しくは知らないみたい。でも、何かおかしいって思ってるみたいね」
「あまり無責任に言えないけど、いつかは、ばれるんじゃないの」
「そうね。でも、いきなり、スカートをはいた息子が目の前に現れても、ショックでしょ。それで、どう説明しようかって考えているんだけど、何も浮かんでこないのよ。自分でもまだどこかにわだかまりを持っているし、かといって、今更引き返せないし。で、どうしようかなって思っているって訳よ」
「お母さんに、急に理解しろって言ったって無理な話よね。ショック死しかねないもの」
「そうなのよ」
「お父さんは、知ってるの?」
「きっとお母さんから聞いているんじゃないかな。怒り心頭らしいから。でも、うちのお父さんなら最後は分かってくれそうな気もするんだ。根拠ないけど」
 聡美は玲子に話しているうちに、だんだんと気が楽になってくるのを感じた。玲子なら何かいい知恵を出してくれそうな気がした。
「はは、何か分かるような気がする。あのお父さんって、人に迷惑かけなきゃ何でもやってもいいって感じだもんね」
 玲子は明るく笑いながら言った。聡美は、この玲子の笑顔にいつも救われているような気がしていた。何も言わなくても、明るく笑ってくれるだけで、心が晴れやかになっていく。
玲子は
「でもいつまでも隠しておけるような事じゃないね」
と、言った。
「やっぱりそう思うでしょ。何か焦っちゃうよ」
「焦っても仕方ないと思うけど、どうしようね」
「取り合えずは、この夏休みは帰らないで、これからどうするか考えてみようと思うんだ。多分、まともに就職する事はできないし、かと言っていつまでもこのまま親の仕送り当てにしていられないし。自分でどうしたいかまだ分かってないから、親にも分かってもらえないでしょ」
「こんな事を言っていいかどうか分からないけど、前のように戻る事はできないの?」
「うん、それも考えないではないんだけど、多分、ダメだと思う。もう後戻りできないね」
と、消え入りそうな声で聡美は答えた。
「そうだよね。そこから始まったんだもんね」
「もしよ、もしも、玲子が私だったらどうする?」
「その質問自体を却下する。でも、そう聞きたくなる気持ちは分かるわ。聡美は今はまだはっきりとこうしたいとか、なぜこうなっているかが見えてないんでしょ。だから私はもう少しゆっくりとやっていいんじゃないかなって思うんだ」
「ゆっくりしてたら、何年かかるか分からないもん。今は現実的な生活を考えるべきじゃないのかも知れないけど、生きていかなきゃいけないし、そのメドを立てるのは学生という特権が使えるうちじゃないかしら」
「ちょっと厳しい言い方をすると、学生生活の期間が特権を使えるっていうのはその通りかしら。確かに責任とかを取らない割りには、一人前のような顔をしている。でも、それって無責任という事で、特権じゃないと思うんだけどな」
 聡美は「うーん」とうなってから
「確かに特権だと勘違いしているだけのような気もする」
と、言った。
「聡美が何をめざしているのか良く分からないけど、結局何なんだろう」
「そうなのよ。まさしくそこが問題なんだけど、何となくしか答えられないのよ。前も言ったけど、元々女性だったんじゃないかっていう思いはどんどん強くなる。女性願望とはちょっと違うかな」
「なぜだろう」
「なぜかしら」
「ねえねえ、お願いだからしっかりしてよ。私も恋人が急に女友達になって結構混乱してるんだから」
と、玲子は冗談まじりに言った。
「そうよね。ごめんね」
「ごめんはいいから、まず、そこから始めてみない?」
「男性が汚く見えたって所の事?」
「そう。そこから」
 玲子もかなり酔いが回ってきたようだ。話し方がぶっきらぼうになってきた。そんなところは、聡が聡美に変わる前から、ちっとも変わっていない。
「もともとはなんだったの?」
「いきなり、そういう所から来るの。もう少し、それまでの状況とか、昔話をするとかはないの」
「そこから行ってもいいけど、二人とも分かってるじゃない。それとも私の知らない聡がいたの?」
 玲子はマリネをほうばりながら言った。前期試験の鬱憤がよほどたまっていたのか、玲子は完全に食欲には走っている。
「玲子の知っている聡しかいないから、それでもいいんだけど」
と、聡美ははっきりしない返事をしていると、玲子は、ワインの封を切りながら言った。「要するにはっきりしてないから、順番に話していって整理したいって事ね」
「まあ、身も蓋もない言い方だけど、その通りよ。でも、理屈じゃないということは分かったわ。元々が女性だったのよ」
 玲子は食器棚から新しい小さめのグラスを二つ出して、ぶとう色のワインを注いだ。聡美は、視線を天井に向けながら話した。聡美が
「どこから話せばいいか良く分からないけど」
と、言ったところで、玲子は
「初めて男性を汚く思えた時から始めて今日までを順番に話すのよ」
と、事も無げに言った。
「じゃあ」と聡美は一息ついてから話し始めた。
「実は何が最初のきっかけか分からなくなってるんだ」
 聡美には本当に正直に話した。玲子なら少しくらい辻褄が合わなかったり、変な部分があっても許してくれそうな気がした。きっと玲子がまとめてくれる。
「玲子とは心はもちろんだけど、躰もとても好きだった。とても幸せだった事を覚えている。玲子には素敵な所や、尊敬するところがいっぱいあった。そんなとても幸せな時期に、ふと、玲子の心の中を少しかいま見たような気がした時があって、今はそれがいつどんな時だったか忘れちゃったけど、玲子のすごさを感じたの。そして自分と比べてみて決定的に違う物があると思ったわ。ただ性的なパートナーという事じゃなくて、本当のパートナーになってほしいと本気で思ったの。でも、自分はと言えば、行き当たりばったりで、何かしっかりした物があるわけじゃない。だんだん玲子とセックスをするたびに、そういう気持ちが強くなってきて焦りみたいな気持ちが出てきたの」
 玲子は、空になった聡美のグラスにワインを注ぎ、自分のグラスにもワインを満たした。
「私にとって玲子をセックスの相手として見ている時は、いつまで経っても私の劣等感は消えないと感じたわ。男性であれば、女性を性の対象と見る事はあるわ。それは、愛してる事と関係なくね。女性がセックスに対してどういう事を感じているかなんて、私には分からない。でも、少なくとも男性は、恋とか愛とかと関係のない部分でセックスをする事はできるわ。玲子という存在との関係は裏切りたくない、その一方で、セックスにとらわれている自分を感じた。それは、男性であるという事に起因しているような気がする。だから、私はセックスという物と関係のない世界で生きてみたいと思ったの」
 聡美は今の自分の考えをうまく言えたと、少し満足を感じた。
 それに対して、玲子は、
「セックスって、聡と私の関係のうちとても重要な一部だったわ。そして、聡が、聡美として生きていく事にやっぱりショックを感じた。何か私に落ち度があったんじゃないかって、真剣に考えたわ」
と、言った。
「そう感じさせてしまったのは私だし、玲子に何の問題もないの。すべては私のわがままから始まってて、玲子にはただごめんね、としか言えない。本当にごめんね。でも私は玲子との関係をもっと良くしたい。玲子とだけじゃなく、自分とかかわる物に対して自分の位置をはっきりとしてみたかったの。そうする事で少しでも、良くなればいいなって思った」
「でも、その事と男性をやめようとする事は関係がないんじゃないかなあ」
「男性であるから女性とセックスをしなくてはいけないという変な先入観があったのかも知れない。男性であるという事って、ある程度女性を性の対象かどうかという価値判断をしていると思う。その事が、人としての関係を抑えてしまうような気がするの」
「それを言えば女性も同じじゃないかな。女性であるという理由で責任を逃れたり、よりいい相手と付き合えるようにいろいろ取り繕ったりするし」
 聡美は、思いを巡らすように
「とすると性愛が人との関係と比べて、上にあるのかなあ」
と、言った。
「そういわれると何となく違うような気もするけど、人とのかかわりというものと性愛は、別々にあるんじゃないかしら。結果的に、同じ人で両方を満たされれば最高だけど」
「それってセックスは独立しているって事なの」
「そう言われると何だか変だけど、男性の性的な欲望は自然な事だからある程度止むを得ないのじゃないかって事よ。もちろん、自制は必要よ。でもそう感じてしまう事自体は仕方がないんじゃない。男性の汚さという事とはちょっと違うのかもしれない」
「玲子の言っている事の方が正しいのかも知れない。でも、そうだとすると、今私がやっている事って、間違っているのかしら」
「それは私には、なんとも言えないけど」
「私はどうすればいいのかしら。結構今の成り行きに心は落ちついているんだけどね」
「なんだか混乱させちゃったね」
 聡美は「ううん、そんな事はないよ」と答えたが、自分の中に自分でもはっきりしていない何かを感じていた。言葉で表現できない違和感があるのを感じていた。聡美は(このもやもやを何とかしなきゃ、何も始まらない)と、思った。
 玲子は
「今の聡美はセックスをしたいの?」
と訊いた。
 聡美は
「誰とも何もしたくない」
と、あっさりと答えた。
 (自分は女性として生まれるべきだったんだ)だけでは済まされないもっと先のものを見据えなければいけないと聡美は感じた。

-31-
Copyright ©高岡みなみ All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える