小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 玲子と飲んだ数日後、午前中は授業、午後はバイトという忙しい日だった。朝出かける支度をしていると妹の奈津実から電話があった。何かよくない知らせかとびくびくしながら電話に出たが意外にもあっさりしたものだった。
「夏休みはねぇ、お父さんはちょっと不機嫌だったかな。でも思うんだけど、お兄ちゃんがどう生きていくかとか、これから先どうすかかなんてお兄ちゃんのものよ。しょせん親は先に死んじゃうんだもん。今度ゆっくりかけ直すね」
 短い電話で助かったがやはり父親の存在を無視して、進むことはできないと再認識させられるものでもあった。
 聡美は気乗りしないまま支度を済ませ大学へと向かった。今日はガーゼのふわっとしたスカートにカットソーを合わせてみた。

 三時からのバイトは楽なものだった。
 高橋は
「毎日がこうだとうれしいんだけどね。」
と、笑いながら話しかけてきた。そして
「もしよかったら、終わってから食事でも行かない」
と、聡美を誘った。聡美には特に断る理由もないし、なんと言っても直属の上司である。また、なぜか安心できる人でもある。
「おごってこれるんですかー?」
と茶化しながら聞くと、高橋は
「なんでもとは言えないけど、そこそこならね」
と応えた。

 八時に予備校を出て西新宿方面に少し行くと
「ここなんだけどいいかな」
と、こぢんまりとした店を指した。小料理屋とはちょっと趣の違う和風ダイニングという感じのお店だった。正直なところ高そうである。
 聡美は少し恐縮しながらも「はい」とだけ応えた。
 入ってみると奥行きのある店で、思った以上に広い。
「聡美さん、日本酒大丈夫?」と訊かれたので「多少なら」と応えておいた。高橋はとりあえず・・ということで、日本酒をベースにした創作カクテルを二つ注文した。
「僕ねぇえ、とりあえずビールって嫌いなんだよね。確かにおいしいけどおなかがいっぱいになっちゃうし、後から出てくる料理の味が分からなくなる気がしてね。まぁ、気のせいなんだけどさ」
 カクテルは高橋がタバコを一本吸い終わると同時に運ばれてきた。
「じゃ、乾杯」「はい、乾杯」グラスの当たる音が心地いい。
 運ばれてくる料理はどれも美しくとてもおいしかった。
 一時間ほど大学の話しや世間話の後、高橋は
「ところで、聡美さんは卒業したらどうするの?」
と、訊いた。
「そうなんですよ。いろいろ考えて入るんですけど今は目の前のことで精一杯です」と、酔った頭で応えた。
「そうかぁ、それはそうかも知れないね。考えなきゃいけないことも多いでしょ。・・・今の聡美さんをご両親は知っているの?」
「一応知ってます。でも、問題だらけで。実家の方でも色んな噂が流れちゃったみたいで、帰るに帰れないですよ」
「確かに、卒業後どうするか考えてる余裕はないか・・・でも、来年になったら嫌でも考えなきゃいけないでしょ」
「正直なところ就職は無理かもしないなぁとも思ってます」
「えっ、なんで?」と高橋は意外そうに言った。
「だって、私こんな宙ぶらりんな存在なんですよ。かといって、私が髪を切って七三に分けて就活してるのって想像できます?」
「うーん、確かにね。でも、今の状態でも働ける場所はあるんじゃない?」
「そうでしょうか?」
「僕はねぇ、これでも人を見る目はあるつもりなんだよ。聡美さんの働きぶりを見ていると採用したくなるけどね」
「問題はスタートラインに立てるかどうかですよ」
「うん、それは言えるかも」高橋はタバコに火をつけながら言った。それにつられるように聡美もタバコに火をつけた。
「そうでしょ。わたしなんか、そう簡単に面接までこぎつけるかどうか」聡美は次第によいが回ってきたせいか、どんどんと敬語が減っていく。
「そんなことより、高橋さんはどうしてシングルなんですか?もてそうなのに」
 聡美は頭の片隅で(立ち入りすぎたかな)と思いながらも(言ってしまったものは仕方がない)と続けた。
「ほら、高橋さんって仕事できるじゃないですか。優しいし、清潔感あって。女性にもてそうなんだけどなぁ」
「聡美さん、酔ってきた?」確かに飲み物はカクテルから日本酒に変わっておしゃれな瓶が何本か運ばれてきた気がする。
「僕は女性にはもてないよ」
「それよりさぁ、僕の友達の知人に聡美さんと同じパターンの人がいるんだけど、話を聞いてみたくない?」
と、高橋は唐突に言った。聡美は一瞬意味が分からず「へっ?」っとまのぬけた声で応えてしまった。
「それってどういうことですか?」
「いやね、あまり親しい知り合いじゃないからはっきり言えないんだけど、男性から女性に変わった人がいるんだよ。たぶん四〇前だと思うけどね」
 聡美としてはかなり興味深い話しだった。聡美は(店に入ってすぐに言ってくれれば、酔いの回った頭を必死に回さなくてすんだのに)と思った。
「是非よろしくお願いします」と、頭を下げたと同時に額をグラスにぶつけてしまった。

 店を出ると、少し蒸し蒸しするものの真夏の空気とは一変していた。聡美は、ぐるぐると回る頭で
「今日はありがとうございました」と頭を下げたとたん、ぐらりと前によろけ、高橋はようやく抱き留めることができた。
「ちょっと飲ませすぎちゃったかなぁ。」という声が頭の上から聞こえる。しかし、高橋に支えられていることがとても気もよく、すっかり身を預けてしまった。
「聡美さん、帰れる?」
「わかりませーん」聡美は高橋に甘えている自分に気づいた。高橋を男性として意識している。タクシーに乗れば帰れるかも知れない。しかし、もっと高橋と長くいたかった。
 高橋は「コーヒーでも飲んでこうか?」と訊いてくれたが「静かなところに行きたいです」と答えた。
「じゃぁ、仕方がないか、うちにおいで」と、高橋は言った。
「うん、そうする」
聡美は(もしかしたら私は高橋さんを好きなのかも知れない)と思いながらタクシーに乗り込み、高橋に寄りかかった。

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