小説『聖痕のクェイサー×真剣で私に恋しなさい!  第1章:百代編・一子編』
作者:みおん/あるあじふ()

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第1章『百代編・一子編』



サブエピソード6「百代の好奇心」


満月が夜空に上り、月明かりが川神院の道場を照らしている。


百代は一人佇み、目を閉じて精神を研ぎ澄ませていた。


勿論、百代が好きでやっているわけではなく、心の修行という一環で鉄心から強要されていた。


(サーシャ……ああ、早く戦ってみたい)


しかし、修行の成果は出ない。むしろサーシャが現れた事により、より一層心が荒ぶり始めていた。


ここ最近、サーシャのような強者に出会った事があっただろうか。


百代に挑戦する者は数秒持たず敗れ去り、満たされない日々が続いていた。


それ故に、サーシャはある意味で“救い”なのかもしれない。


百代にあるこの飢えと渇きを、満たしてくれるかもしれないのだから。


「――――――いい月夜ですね、百代さん」


背後から声をかけられ、意識を引き戻された百代は後ろを振り返る。そこに立っていたのはユーリだった。


「……あなたは?」


百代は不信感を抱く。黒い服に身を包み、右目には眼帯。明らかに怪しかった。


そんな百代の不信感を察し、ユーリは答える。


「決して怪しい者ではありませんよ。私は極東正教会、第四管区巡回司祭・聖ミハイロフ学園付設聖堂責任者、ユーリ=野田です。お話は鉄心さんから聞いていますよ」


無駄に長い自己紹介が、百代の耳から耳へとすり抜けていく。とりあえず分かった事は神父であるという事だけだ。


それともう一つ。聖ミハイロフ学園の聖堂と言う事は、サーシャ達の関係者だろう。


「聖ミハイロフ……確か、サーシャ達もそこの生徒でしたね。お知り合いですか?」


「ええ。まあ、保護者みたいなものです」


ユーリは笑みを浮かべ、夜空を見上げた。本当に良い月ですね、と満月を眺めている。


保護者……容姿的な意味合いで説得力がないが、世の中には色々な人間がいるという事で、百代はこれ以上の詮索をやめた。


(それにしても、全く気配を感じなかった。この人は一体………)


一体、何時からいたのだろう。百代が道場にいた時は誰の気配もなく、一人だった。


しかし、ユーリは百代の背後にいた。いくら精神を統一していたとはいえ、人の気配くらいは察知できる。仮に気配を消したとしても、百代なら微弱な気すら察知できるはずだ。


なのに、ユーリからは一切の気を感じない。あり得ない。


まるで、初めから“そこ”にいないような、虚無の存在のように。


「……おや?」


百代が険しい表情でユーリを見ていたので、気になったユーリが視線を向ける。


「どうなさいました?私の顔に、何かついていますか?」


「あ、いえ。別に……」


百代は慌てて目を逸らした。しかし、ユーリはそのまま問いかけを続ける。


まるで、百代の抱いている疑問を見透かすかのように、答えた。


「それとも……私の気配を感じなかった事が、そんなにも不思議ですか?」


「………っ!?」


背筋が、ぞわりとした。


ユーリの問いに、百代は本能的に身構えていた。警戒をさせてしまったか、と思ったユーリは透かさずフォローを入れる。


「いやあ、どうも私は存在感が薄いようでしてね……周りからもよく言われるんですよ」


言って、百代に苦笑いで返すユーリ。あまりの余所余所しい態度に、百代は身構えていた自分が馬鹿馬鹿しくなり、警戒を解いた。


「……ユーリさん、ちょっとお尋ねしたいのですが」


百代は思った。聖ミハイロフの関係者なら、サーシャの事を知っているかもしれない。


「構いませんよ。できる範囲でお答えします」


ユーリは快く承諾した。百代は早速答える。


「サーシャは、一体何者なんですか?」


――――――――――。


ほんの一瞬、沈黙が走った。だが、ユーリは表情を変えることなく受け答える。


「彼はロシアからの留学生で、飛び級で進学してきた優秀な生徒だと聞いています。それ以外は何も」


「本当にそれだけですか?」


「ええ。私は聖堂を管理しているだけですので、学園内の事はあまり詳しくないのです」


あくまで管理者であると、ユーリは答えた。


どことなくだが、白々しさを感じた百代は、更に追求を図る。


「川神学園のシステムはご存知ですか?」


「確か、生徒の間で揉め事があると、決闘して白黒をつける……そう聞いています」


ユーリの表情は未だ変わらない。百代はついに、今日起きた決闘での出来事を切り出した。


「今日、昼休みに決闘がありましてね。戦ったのはうちの生徒と……サーシャです」


「――――――」


ユーリの表情がほんの僅かに崩れたのを、百代は見逃さなかった。やはり、ユーリは何かを隠している。


「サーシャの並外れた戦闘力。見た所、ただの留学生とは思えません」


百代はサーシャと心が決闘した様子をユーリに説明する。


滑らかな動き、体術。そして、心の鉄扇を破壊したあの異能の能力。観戦していた生徒達の殆どは、手品か何か、もしくは誰も気にしてはいなかっただろう。


だが、百代だけは違った。あれは“普通”の人間が成せる技ではない。そしてユーリもその例外ではないと確信する。


すると、しばらく沈黙を守っていたユーリが、ようやく口を開いた。


「仮に私が知っていたとして、あなたはどうするおつもりですか?」


「理由は特にありません。単なる好奇心ですよ。それに、ユーリさんもただの神父ではなさそうですが」


身構え、戦闘態勢に入る百代。本能が叫ぶ。ユーリを強者と認識し、血が騒ぎ立てていた。


こいつは、強い―――戦って培ってきた武神の勘が、そう告げている。


「はっはっは、考え過ぎですよ。私はどこにでもいる、ただのしがない神父です」


当然、ユーリに戦闘の意思はない。それでも百代は諦め切れなかった。ようやく目の前に現れた強者を、ここで逃すわけにはいかない。


百代の心が、本能に浸食されていく。まるで、闘いに飢える獣のように。


「手合わせ願えますか?私が勝ったら、サーシャの事について教えてもらいます」


「断る、と言いましたら?」


ユーリの返答に、百代はニヤリと笑った。


「―――その気にさせるまでです」


瞬間、百代はユーリとの距離を縮め、正拳突きを放った。拳をユーリの腹にめり込ませ、身体ごと吹き飛ばす。


―――――はずだった。


「―――――!?」


今まで自分の前にいたユーリの姿が、消えている。


百代は動揺した。手応えを感じない上、かすりもしない。まるで幽霊を相手にしているような、気味の悪い感覚に襲われる。


「血気盛んなのは結構ですが―――」


何時の間にか、百代はユーリに背後を取られていた。だがユーリは構えず、両腕を後ろに組んだまま、微動だにせず佇んでいる。


「―――女性が暴力を振るうのは、あまり宜しくありませんね」


完全に舐められている。今まであらゆる敵を倒し、武神と呼ばれた百代にとっては最大の屈辱だった。咄嗟に背後を振り返ると同時に、回し蹴りを放つ。


「はあああぁぁぁぁーー!!」


百代の鋭く、重い蹴りがユーリを襲う。だがユーリは臆することなく、攻撃を難なく回避する。


「まだまだああぁ!!」


百代の攻撃は続く。怒涛の連撃でユーリを圧倒するが、攻撃は一度も当たらない。


まるで、手の内が全て読まれているかのように。


(くそっ……!)


一度後退し、体制を立て直す百代。一方のユーリは涼しげな表情をしたまま、百代を見据えている。


追い詰めているはずなのに、逆に追い詰められている―――百代は焦りを感じていた。同時に生きているという実感が身体中を震え立たせ、この状況を愉しんでいるようにも見える。


百代は今、満たされつつあった。


「………ふふふふふふふふ、はははははははははははははははははははは!!!!」


歓喜のあまり、満月が照らす夜空にまで響くように、高らかに笑う百代。


「いいぞ……これで心置きなく本気が出せる――――!!」


百代は身体中の気を最大限まで引き出し、抑えていた力を解放する。闘気が身体を覆い、大気が、そして大地が震える。


(成程。報告の通り……確かに深刻ですね)


だが、そんな百代に対してユーリは冷静だった。このままでは流石に危険か……今度ばかりは避けられるどころか、命を落としかねない。


「全力でいくぞ……さあ、存分に死合おう!!!」


決断する。止めるしかない、と。ユーリは右目の眼帯に手をかけた。


「―――――私に、この眼帯を外させる気ですか?」



―――――ドクン。



刹那、空気が変わる。百代の本能が危険であると察知した。


それは、死の予兆。百代の心臓が激しく脈打ち、忘れ掛けていた感覚を思い出させてくれる。


(久方ぶりの感覚だ……震えが止まらない!!)


自分では抑えきれないくらい、闘争心が膨れ上がっていた。百代は全力を注ぎ、ユーリに再び挑む。


「川神流奥義!!富士砕――」


「―――やめいいいぃぃぃ!!!!」


百代が拳を突き出すと同時、百代とユーリの間に鉄心が割り込んできた。百代の拳が、ピタリと鉄心の寸前で止まる。


「お前の気を感じて此処へ来てみれば……モモ。これは一体どういうことじゃ!?」


「どけじじい!邪魔をするな!!」


百代には、ユーリという目の前の敵しか見えていない。聞き分けの悪い百代に、鉄心は大きく息を吸い込み、


「―――いい加減にせんか!!!!!!!!」


闘気の入り混じった喝を百代に入れた。百代は我に返り、荒れ狂っていた獣のような心が徐々に落ち着きを取り戻していく。


しばらくして、百代は拳を下ろした。反省しているのか、視線を地面に落としている。


平常心を取り戻したと分かると、鉄心は小さくため息を漏らす。


「……もう良い。モモ、お前は部屋に戻っていなさい」


「……悪い、じじい。少し暴れ過ぎた。ユーリさん、先程のご無礼、お許しください」


百代はユーリに頭を下げて謝罪すると、背を向けて道場から去っていった。


「………孫がとんだ迷惑をかけてしまいましたな。誠に申し訳ない」


「いえいえ、おかげで良い運動になりました」


ユーリは特に気にしている様子はなかった。それよりも、百代と戦闘しているにも関わらず、ユーリは傷一つ負っていないという事実に、鉄心は驚きを隠せずにいた。


「しかし、驚きましたな。モモの攻撃を受けて無傷でいるとは」


「偶然ですよ。私も避けるのがやっとでした」


ユーリは苦笑いしながら答える。


「ふむ……それにしても、このままではいかんのぅ」


鉄心は顔を俯かせながら、眉間に皺を寄せ、独り言のように呟いた。


「百代さんの事ですね」


「うむ、最近のモモは戦いに囚われ過ぎておりましてな。今でも戦いに飢えておる………」


鉄心の心配は尽きない。百代の精神面は危険な状態にあった。このままにしておけば、何をするか分からない。


「その件についてはご心配なく。既に手は打ってあります」


ユーリはこうなる事を予測し、手を回していた。


百代が危険な相手である事は鉄心から報告を受けている。それなら、百代と対等に戦える相手を用意すればいい。


それは、サーシャ達に危険が及ばないようにするのが本来の目的だが、同時に百代を更生させるための手段でもあった。


「――――ほう。それでアタシを呼んだってわけかい」


道場に響く女性の声。鉄心とユーリが視線を向けたその先に、彼女はいた。


修道服に身を包んだ、引き締まった体格の女性。彼女こそ、ユーリが手配した人物であった。


「ええ。厄介な仕事ですが、宜しくお願いします」


女性は拳を鳴らし、息を殺し、百代との戦いを待ち続ける。



――――アトス最強の戦術教官が今、この川神市の大地に降り立った。

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