第1章『百代編・一子編』
9話「葛藤」
百代とビッグ・マムとの決闘から数日後。
大和達(キャップとワン子を除いて)風間ファミリー一行は、多馬川が緩やかに流れる土手を歩きながら、学園へと向かっていた。
ちなみにキャップは朝から急に京都へ行くと言い出して、そのまま外出。
ワン子は早朝から走り込みのため、多馬大橋の辺りで合流するとの事である。
「はぁ……昨日もまたフられちまったぜ」
「ガクトも懲りないよね……」
前日に駅でナンパに失敗し、肩を落としながら歩くガクト。モロはその隣で苦笑いしている。
「今日こそカーチャさんに話しかけて、お友達になります!」
『頑張れまゆっち。お前ならできる』
「っていうか、転校してきてから随分経ってるよね」
「京。それは言わないでおこう」
今日の意気込みを胸に、松風と会話をして歩くまゆっち。そんなまゆっちを、京とクリスは遠目で見守るのだった。
一方、大和と百代はというと。
「キャップ、今度は京都だってさ。姉さんはお土産何がいい?今のうちに決めてメールしておくよ」
京都に出かけたキャップにお土産を頼もうと、携帯をいじってメールを送る準備をする大和。
「―――――」
百代は聞こえていないのか、反応がない。ただ空を眺め、見ての通り上の空であった。意識が完全にどこかへ飛んでしまっている。
「姉さん、聞いてる?」
大和は声を少し張り上げ、百代に呼びかけた。すると百代はようやく気づき、大和の方へ視線を戻す。
「……ああ。すまん、大和。えっと……なんだっけか」
「だからさ、キャップの京都土産、何がいい?」
もう一度大和は説明する。百代なら“舞妓さんのねーちゃん土産に持ってこい!”と無謀な注文をするに違いない。冗談ではなく本気で。
しかし、返ってきた百代の返答は素っ気ないものだった。
「……特にないな。別に何でもいい」
「あ……そう」
大和は頷くことしかできなかった。会話が途切れて、気まずい空気が流れる。いくらコミュニケーションの高い大和でも、流石に百代がこの調子ではとても絡み辛かった。
しばらく歩いていると、多くの女子生徒達が百代に向かって走ってきた。百代のファンの生徒達である。
「モモ先輩!今日は私を、お姫様だっこしてください!」
「ダメよ、今日は私なんだから!」
「いやいや、今日こそ私が!」
寄ってたかり、百代に要求をせまる女子生徒達。
百代は気に入った女子を抱き上げてはファンを増やし、男子が羨望(特にガクト)するようなシチュエーションを吟味するという……これもいつもの日常風景だ。
だが百代の表情は無気力で、あまり気乗りするようには見えなかった。
「……悪いな、また今度にしてくれ。今はそんな気分じゃないんだ」
言って、百代は前へと歩き出した。女子生徒達が道を開けて、悲しそうに視線を向けながら、百代の後ろ姿を見送っていた。そんな百代の様子を、大和達も心配していた。ビッグ・マムと戦ってからずっとあの調子で、何をするにも無気力になっている。
(どうしちゃったんだよ、姉さん……)
やはり、ビッグ・マムに負けてしまった事が相当答えているのだろうか……と大和は思う。
無敗の記録が破られ、ついに完敗してしまった百代。だが、それなら百代は自分を負かした強敵が現れたと喜び、今まで以上に闘争心を燃やすはずだ。
それなのに、今の百代にはそれがない。武神としての魂が消えてしまっている。どうしてそうなってしまったのか……大和達には理由が未だに分からずにいた。
多馬大橋に差し掛かり、大和達はワン子と合流する。ワン子はタイヤ付きロープを身体に巻き付け、引きずりながら走ってきた。
「はぁ、はぁ……みんな、おはよー!」
だいぶ走ってきたのだろう、身体中汗だらけだった。が、それでも疲れている様子がないのはワン子が元気な証拠である。
「相変わらず元気だよなー、ワン子は」
ガクトもワン子の活力には感心せずにいられない。ワン子はえっへんと胸を張り、鼻息を鳴らす。
「これくらい余裕だわ!どんどん鍛えて、お姉さまみたいに強くなるの。ね、お姉さま!」
百代に声をかけるワン子だったが、百代は心こここにあらずと言った感じで、ワン子が声をかけられたのことに気づいたのは数秒経ってからだった。
「ん……おお、そうか。頑張れよ、ワン子」
百代の気のない返事が返ってきて、ワン子も調子が狂っていた。いつもなら頭を撫でて褒めてくれるのだが、百代は何もせず、ただ力なく笑うだけだった。
大和達も百代の調子にすっかりお手上げ状態で、何を言ってもこんな感じだという。
(お姉さま……)
虚ろで、まるでガラスのような魂の宿らない百代の瞳。ワン子の目にはそう見えていた。
「―――――」
百代は再び空を仰いだ。この空のどこかにある、答えを探し求めるように。
百代の心にある迷いは、未だ消えずにいる。
授業の内容も頭に入らないまま(元々する気はないが)時間が過ぎ去り、気が付けば下校の時間になっていた。
特にする事もない百代は一足先に川神院へと戻り、自分の部屋へと続く廊下を歩く。すると、
「―――まだ迷っているのか?」
背後から突然声を掛けられる。振り返ると、そこにはサーシャの姿があった。サーシャは腕を組み、壁に寄りかかっている。
「迷ってる……か。きっと、そうなのかもな」
「………そうか」
サーシャはそれ以上何も言わなかった。百代は用がないと分かると、再び自分の部屋へと歩き出す。
――――が、ふと足を止め、百代は再び振り返った。
「……なあ、サーシャ。聞きたい事がある」
「なんだ?」
「お前は……何のために戦う?」
もしかしたら、自分の探し求める答えのヒントになるかもしれない。だから、百代はサーシャに聞き出そうとしていた。戦う理由を。
するとサーシャはその翠色の瞳で、百代を睨み付けた。
「俺に聞いてもお前の探している答えは見つからない。知りたければ、自分で探せ」
サーシャの返答は、とても厳しいものだった。完全に見透かされている……だが道理である。他人に聞いたところで、理由は人それぞれだ。当然答えを得る事はできない。
「そう、だよな……悪い、変な事を聞いた」
「…………」
サーシャは無言のまま百代に背を向けて歩きだすが、途中で足を止めて百代に振り返った。
「百代。お前の心は、震えているか?」
「え………?」
「お前の心が震えたなら……その答えは見つかるだろう」
意味深な言葉を残し、サーシャは遠ざかっていく。
(私の、心……)
自分の胸に手を当てる百代。自分の心臓の鼓動が、手を通して伝わってくる。だが、それ以外は何も感じ取れない。
何もかもが、空っぽに思えた。
「はは……震えてないな、全然」
百代は思わず自嘲する。魂の鼓動が、戦いの本能が、何もかもが失われているように感じる。
もうこれ以上何を求めても無駄という事なのか。それともまだ希望はあるのだろうか。
(それなら、答えは……)
今導き出せる答えは、一つしかない。百代は心の中で決意した。自らのけじめをつけるために。
そして、新たな自分として生まれ変わるために。