第1章『百代編・一子編』
23話「憎しみの果てに」
激闘の末、実の姉である百代に手をかけてしまったワン子。憎しみが消え、正気に戻ったワン子だが、負の感情は元素回路の影響によって身体に残留したままだった。
鉄心やルー、修行僧達に手を掛けた事。仲間に刃を向けた事。学園の生徒を傷付けた事。
――――そして、百代。姉であり、自分の目標。これまでしてきた事への罪悪感が、ワン子を苛ませていた。
「あ……あ、アタシ……お姉さまを……あ、どうして、こんな……あ、あああああああああああああああああああああああああ……!!!」
思考がぐちゃぐちゃになり、負の感情に押し潰されそうになる。頭を抱え、ワン子はただひたすらに叫んでいた。
ワン子の身体を纏った黒い闘気は消える事はなく、膨れ上がる一方である。
怒り、憎しみ、悲しみ……罪の意識はさらなる溝を呼び、確実に彼女の精神を狂わせていた。
このままではワン子が”壊れて”しまう。ワン子を救うため、サーシャ達と、クリス達は彼女の下へと駆け出した。
(まずい……サーキットが暴走している!)
くそ、と舌を打つサーシャ。
ワン子の胸に装着されている元素回路が、バチバチと音を立てながら火花を散らしている。
――――元素回路の暴走。恐らく、ワン子の精神状態が不安定になってしまい、ワン子の身体とリンクしていた元素回路自体が、壊れかかっているのだろう。
元々破壊が目的である為に好都合だが、同時にワン子の身体にも影響する。一秒でも早く元素回路を取り覗かなければ……サーシャはワン子に向かって突進する。
「うおおおおおおおおおおおぉぉ!!!」
ワン子を必ず救い出す……百代と交わした約束の為に、サーシャは大鎌を振りかざした。ワン子はサーシャの存在に気づくと、怯え切った表情で血塗られた薙刀を振るう。
「いや……いや、こないで……来ないでえぇぇ!!!」
ワン子の振るった薙刀から風が巻き起こる。ワン子の放つ気は、精神のバランスが崩れ、纏まりがなく綻びだらけであった。
――――だが、それ故に危険。それ故に、脅威。
不安定な精神が起こした闘気は暴発し、荒れ狂う暴風となってサーシャを襲う。
「くっ―――――まだだ!!」
風は容赦なくサーシャの身体を切り刻んでいく。しかし、サーシャは怯まない。分銅突きの鎖を錬成して投げつけワン子の薙刀に絡ませて身動きを封じる。
「――――いくぞ!」
「――――参ります!」
更にクリス、まゆっちの連携攻撃。左右から攻撃を仕掛け、挟み撃ちをする。
気絶させる程度でいい……本当なら、ワン子に刃など向けたくはない。
だが、ワン子をここで止めなければ助けられない。そう、迷ってなどいられないのだから。
「来ないで……来ないで、来ないでぇ!!」
何度も繰り返すように泣き叫びながら、ワン子は力付くでサーシャの鎖を引き千切った。そして左右から来るクリスに蹴りを、まゆっちには正拳突きを放って二人を突き飛ばす。
「――――ごめん、ワン子!!」
しかし、まだ彼女たちの攻撃は終わらない。続いて遠方から京の援護射撃。ワン子に狙いを定め、意識を集中しながら弓を引く。
この一撃で、ワン子の動きを止める事が出来れば……京の放った矢が、ワン子目掛けて加速した。ワン子は直ぐに反応し、素手で矢を払いのける。
「いや……見ないで、そんな目で、アタシを見ないで!!」
感情のコントロールを失ったワン子には、もう仲間は目に写ってはいない。
自分は百代に手を掛けた。自分は汚れている……彼女の目に写るもの全てが敵であり、恐怖の対象である。ワン子は京に向け、薙刀を槍のようにして投げつけた。
ワン子の投げた薙刀は、京の弓のスピードと同等――――否、それ以上だ。いくら動体視力のある京でも、これは流石に避けられない。京は思わず目を瞑った。
「―――――ママ!!」
次の瞬間、カーチャの呼び声と共にアナスタシアの複数の銅線が伸びる。それが盾となり、京の正面を包み込んだ。
飛来した薙刀は銅線の盾を貫通したものの、加速を失って京の寸前で止まる。
「味わいなさい―――――女王の憂鬱を!!」
カーチャが反撃を開始する。アナスタシアがカーチャを抱きかかえて飛翔し、大量の銅線をワン子に向けて放った。銅線はワン子を捕縛しようと四肢へ伸びていく。
「やめて……近づかないで!こないで、放っておいて!」
近づく銅線の一本一本を、素手で払いのけていくワン子。銅線で肌が切り裂かれていても、もはやワン子は気にかける様子もない。彼女は恐怖によって、精神が極限まで追い詰められていた。
ワン子は身を守る度にボロボロになっていく。恐らく自分の身体がどんなに傷付いても、がむしゃらに無謀とも言える防衛を続けるだろう。このまま戦闘を続ければ、ワン子の身体が持たなくなる。
「どうしよう、このままだと一子ちゃんが……!」
ワン子が死んでしまうと、戸惑いを見せるまふゆ。
(くっ………!)
サーシャは思考する。何か、何か手はないだろうか……ワン子を止める方法を探るも、あのパワーとスピードはそう簡単に止められない。かと言って、傷付けるわけにもいかない。
(くそ……どうすれば!)
サーシャは、目の前の命を救えない自分を呪った。自分の力は、たった一人の人間さえも、守る事ができないのだろうか。
何て、無力……そう思った時だった。
「――――ワン子を四方から囲んで、同時に攻撃を仕掛けろ!」
突然声を上げたのは大和だった。サーシャ達は、大和の声に耳を傾ける。
「ワン子はスピード重視の戦いをするタイプだ。なら、囲んで一斉に攻撃をすれば、いくらワン子でも逃げきれない!」
ワン子を取り囲み、一斉攻撃をして動きを止める。それが大和の導き出した策であった。
風間ファミリーの軍師大和。仲間をよく知り、特徴も捉え、状況に応じた対応力……軍師と呼ばれるだけあって、その判断は的確であった。
「頼む、ワン子を救ってくれ――――サーシャ!!」
倒れてしまった百代を介抱する大和、キャップ、モロ、ガクト、忠勝。彼らの願いは、サーシャ達に託された。
「――――京、まゆっち、クリス、同時に攻撃をしろ!!」
サーシャは京達に指示を出すと、京達は頷き、再びそれぞれ武器を構えてワン子に攻撃を仕掛ける。
「――――いくよ!」
「――――はいっ!」
「――――心得た!」
三人が同時に動き出す。京は遠距離から弓を、クリスとまゆっちはもう一度左右から攻撃を繰り出す。
――――三方向からの同時攻撃。ワン子は京の放った矢をはたき落とし、クリスとまゆっちの攻撃を迎え撃つ。
「―――――カーチャ!」
サーシャはカーチャに向かって叫んだ。彼女らの攻撃で、ワン子は身動きが取れずにいる。だが、それも一瞬。長くは持たない。
「命令しないで――――ママっ!」
カーチャとアナスタシアが動き出した。アナスタシアは上空からワン子に向けて銅線を放つ。
三方向、そして上からの捕縛攻撃。アナスタシアの銅線はワン子の四肢を完全に捉え、ワン子の身体を空中へと引き上げた。
「いや、離して!いやあああああああ!!」
身体の自由を奪われたワン子はもがき、泣き叫び続けていた。
だが、これでワン子を救える。ワン子を負の感情から解放できる。元素回路を破壊するため、サーシャは受けた傷口から血液中の鉄分を操作し、深紅に染まった剣を形成した。
”鮮血の剣”――――サーシャの第四階邸の力が生み出した、必殺の剣である。
「――――まふゆ!」
「――――うん!」
サーシャとまふゆが攻撃態勢に入る。まふゆの左腕から紋章が浮かび上がり、眩い光を放ち始めた。
「元素回路励起(サーキットエンゲージ)――――!」
まふゆの持つ、剣の生神女の力―――”剣の乙女”が具象化する。まふゆはサーシャの頬をにそっと口付けをした。サーシャは剣の生神女の加護を受け、鮮血の剣がルーンを帯びていく。
剣の生神女の属性は”切断”。始原の回路の一つである。
分子結合の強制解除。今のサーシャは、ナノ単位の精密な裁断をも可能にする。
そう、それはつまり―――――。
体表に食い込んだ、元素回路を引き剥がす事も可能になるという事である。まふゆの加護を受けたサーシャはアナスタシアの銅線を伝い、ワン子に向かって飛び上がる。
「うおおおお―――――!」
サーシャは奔る。ワン子を救い出す為に。必ず守ると、新しき仲間達に誓った約束を。
サーシャの力は、その為にあるのだから。
――――ワン子との距離がゼロになる。サーシャは鮮血の剣を構え、ワン子に向かって振りかざした。
「――――罪人に贖いを」
まふゆが手を合わせ、ワン子の無事を祈る。そして、
「――――――アミン」
サーシャの渾身の一撃が、ワン子を――――ワン子に根付いた元素回路を一閃した。ワン子の元素回路は分解され、砕け散る。サーシャは空中で力尽きたワン子の身体を抱きかかえ、地上へと着地した。
「犬!」
「ワン子!」
「一子さん!」
クリス、京、まゆっちが心配してワン子に駆け寄り、必死にワン子の名前を呼びかける。
「………う」
ワン子は……生きていた。意識を取り戻し、ゆっくりと目を開く。
「あ……アタシ……」
「一子さん、無事で何よりです」
『いやあ、もうマジで心配したぜっ』
ワン子の無事を確認し、ほっと胸を撫で下ろすまゆっちと松風。するとワン子は全員の顔を見渡し、うっすらと涙を浮かべる。
「アタシ……みんなに、ひどい事、しちゃった……」
もう合わせる顔がないと、泣きながら訴えるワン子。ごめん、ごめんと何度も謝り続けた。だがクリス達はワン子を許した。ワン子が無事ならそれでいいと言って笑う。
「あ……お姉さま……お姉さまは!?」
思い出したかのように、ワン子は周囲を見渡した。自分が百代に手を掛けてしまった……百代の安否が知りたいとサーシャに訴えかける。
もしかして、もう――――ワン子の中で、最悪の事態が頭を過ぎった。
「姉さんなら無事だぜ」
するとサーシャ達の前に、大和とキャップが百代に肩を貸した状態でやってくる。その後ろにはモロ、ガクト、忠勝もいる。
百代には意識があり、百代の瞬間回復と、応急処置をしたおかげで一命を取り留めていた。
「お姉……さま……」
百代が生きている。ちゃんと、自分の前にここにいる。ワン子は急に嬉しくなり、目にいっぱいの涙を溜めながら泣き叫んた。
「お姉さま……ごめんなさい、アタシ、アタシ……!!」
「いいんだ、ワン子。悪いのは私だ。謝らなくていい」
ワン子から受けた傷を押さえながら、苦々しげに笑う百代。顔色はあまり良いとは言えないが、支えられつつも、立って歩ける程の気力はあるようだった。
「私は、お前の姉失格だ。でも、もし……お前がよければ―――――」
百代はワン子と真剣に向き合い、胸の内に秘めた思いをワン子に伝える。
「もう一度、お前の姉でいさせてほしい」
ワン子の姉として、もう一度認めてもらいたい。ワン子が誇れるような、立派な姉として。"武神"として。そして、”川神百代”として。
もう、ワン子を傷つけたりはしない。一人にはさせない。それが百代の誓いであった。
「うん……うん!お姉さまは……ずっと、ずっとアタシのお姉さまだよ!」
百代の気持ちが、ワン子の胸に伝わる。ワン子は力強く、何度も頷いた。その微笑ましき姉妹の光景を、暖かく見守るサーシャ達。
「一子ちゃん、元に戻ってよかった……」
「ああ。お前の―――――いや、お前たちのおかげだ」
サーシャはまふゆ、カーチャ、華。そして大和達を見る。彼らの助けがなければ、ワン子は救えなかっただろう。
他ならぬ、”仲間”との絆が、彼女の命を救ったのだから。
こうして、ワン子の身体から元素回路を取り除く事ができたサーシャ。しかし、これで終わりではない。川神市には、まだ謎の元素回路がどこかに潜んでいる。
だが、今はワン子を救えた事に安堵の息を漏らすのであった。
―――――サーシャ達の戦いは、まだ終わらない。