翌朝目覚めると、膝上に達する積雪だった。
札幌と違って公共の除雪は当てに出来ない。
朝食前に雪かきをしていたら、隣の後藤さんに声をかけられた。
「おはようさん。よう帰ってきたねえ」
「どうも、ご無沙汰してます」
ただの挨拶なのだが、なんだか申し訳ないような気持ちになる。
「神経の病気だって? 大変だったねえ」
そういわれると、何か言い訳したいような衝動に駆られる。それにしても、
父が理解していないことが何故隣家にまで広まっているのか。
三十分程で車が出入りできるだけの幅の除雪が完了した。スノーダンプを
片付けようとしていたら、後藤さんが言った。
「青年団で順繰りに、年寄りの家の雪下ろしやっとるんよ。今日は、斉藤さ
んのところなんだけども……」
病気なので参加できません、とは言いだせなかった。青年団とは名ばかり
で、二十代の若者など、町には数えるほどしかいないのだ。三十歳を過ぎた
自分が若手として期待されていることは分かっていた。病気のことを思うと
不安はあったが、単純な肉体労働なら却って身体にいいかもしれない。自分
に言い聞かせて、雪下ろしに加わることにした。
雪下ろし自体は簡単に終った。その後で、町の集会所に寄って飲み会とい
う流れになった。田中の歓迎会を兼ねて、というのだから断るわけにもいか
ず、医者の言いつけで酒は呑めないと、そこだけは固辞した。
その席で、どういう病気で何故仕事を辞めたのか、何人にも説明する羽目
になった。質問されては答えてを繰り返すうちに、謎の罪責感が心の内につ
のる。部屋の換気の悪さも手伝って、頭痛が兆した。
「……いくら寂れていく一方だからって、誰かは村にいないとダメだろう。
爺さんや婆さんの面倒を誰が見る。老朽化した建物のメンテは誰がする。畑
だってぜんぶ荒地にしちまうわけにはいかんだろ。やっていけなくたってやっ
てくしかないんだよ。食っていけなくたって食ってくしかないんだよ」
酔った後藤さんがそんな話をしている。煙草の煙がこもった部屋の空気は
淀んでいる。
頑張れよといわれて、会社を送り出された。何を頑張ればいいんだろう。
胸を押さえつけられているように苦しい。頭痛がひどくなる。
なんとか許しをもらって、その席を抜けた。