『炎との接触』
「ほら、ベットへお行きなさい。私も支度するから」
夜明を急かしながらリアスは制服を脱いでいく。対し、夜明は何の反応も見せずにただ突っ立っていた。この男、額にキスされるくらいで顔を真っ赤にさせるほどの純情である。なので、いきなり眼前に現れたリアスの下着姿に声を失った……と言う訳でもない。
「……驚きが極限を超えて一回転すると逆に冷静になるって本当だったんだな」
驚愕がメーターを振り切って冷静沈着になっていた。とりあえず、このままでは色々とまずいので夜明は行動に移る。下着姿になったリアスにクローゼットから取り出した上着を着させ、肩を押してベットに腰を下ろさせた。
「部長、失礼します」
リアスに何も言わせずに夜明は腕を振る。平手がリアスの頬を捉え、鋭い破裂音が部屋中に響いた。
「部長。どういう事情があるのか知りませんが、こういう風に俺は誰かとそういう関係になる心算はありません」
「……私じゃ不満なの?」
「不満とかそういう問題じゃ無いですよ。今の貴方の目は手段を選ばずに目的を果たそうとする奴と同じだ……とにかく、何か問題が起こったんなら話してください。どこまで力になれるか分かりませんが、全力は尽くさせてもらいます」
リアスの目の前で片手片膝を床につけ、騎士のように頭を下げた。
「俺は貴方の眷属であり、貴方の『兵士(ポーン)』なんだから……と、散々っぱら格好つけたはいいんですけど、そろそろ服着てもらえませんか? 正直、目のやり場に……それに、部長みたいな綺麗な人がそうやって男に肌を晒すのもどうかと……」
と、ここで漸くリアスは夜明が首筋まで真っ赤になっている事に気付く。何だか可笑しくなり、リアスはクスクスと出そうになる笑い声を抑えたその時だ。
「その方の言うとおりです。貴方はグレモリー家の次期当主なのですから、殿方へ無闇に肌を晒すのはお止めください」
床の上にグレモリー眷属の魔法陣が現れた。仲間の登場かと思う夜明だが、今部屋の中に響いた声の持ち主は夜明の記憶の中にいない。
(グレモリーの眷属に化けた敵か!?)
反射的に夜明は右手に銀翼(銀の直剣。命名リアス)、左手に蒼星(蒼の直剣。命名太陽)を創造し、更に毎朝の修行の成果で出せるようになった八本の武具を周囲に展開させ、リアスを守るように構える。案の定、魔方陣の中から現れたのは夜明の見知らぬ人物だった。
「夜明、武器を収めてちょうだい。心配しなくても、彼女はグレモリー家に仕えてくれている者よ」
リアスに肩に手を置かれ、一瞬夜明は間抜けな表情を作る。それから眼前に立つ人物と背後のリアスを見比べ、慌てて創造した武器全てを消した。
「すすすすみせんでしたぁ! 部長の関係者とは露知らず無礼な態度を取ってしまって!!」
「いえ、そんな床に頭を叩き付けるような勢いで謝らないで下さい。私は気にしておりませんので……申し遅れましたが、私はグレイフィアと申します。以後、お見知りおきを」
丁寧に頭を下げる銀髪メイド、もといグレイフィアに夜明も頭を下げ返す。二人は事情の分からない夜明に理解できない遣り取りをした後、話し合いで解決する事になったようだ。
「ごめんなさいね夜明。今日の私は少し冷静じゃなかったわ」
知ってます。何てことを言うのは紳士ではないので口が裂けても言わない。いえいえ、と言っているとグレイフィアが自分のことを驚愕した表情を浮かべながら見ていることに気付く。
「夜明? まさかこの方が?」
「えぇ、月光夜明。私の『兵士(ポーン)』にして『英雄龍の翼(アンリミテッド・ブレイド)』の使い手」
「『英雄龍の翼(アンリミテッド・ブレイド)』、英雄と謳われた龍に魅入られた者……」
訳が分からず置いてきぼりを喰らっている夜明を放置し、二人はオカルト研究部の部室で話をすることで一旦の決着をつけた。
「それではまた後で。それと夜明」
「ふぁい?」
間抜けな声で返事をした夜明の頬に柔らかな唇が押し付けられた。
「今夜は迷惑をかけてごめんなさいね。それじゃまた明日、部室で会いましょう」
無言で頭を爆発させている夜明を残し、二人は魔方陣でどこかへとジャンプする。その後、風呂から出てきたアーシアが来るまで夜明はずっと固まっていたとか。
「とまぁ、こんな事があったんだけどどう思うよ、木場?」
旧校舎にある部室に向かう途中、夜明は隣りを歩いている木場に昨晩のことをぼやかしながら話して聞かせた。足を止めずに木場は顎に手をやり、端正な顔を僅かに曇らせて考える。
「部長のお悩みか。多分だけど、グレモリー家に関することじゃないかな?」
やっぱそうだよなぁ、と夜明は頷く。あのグレイフィアというメイドが出てきた時点である程度の想像はついていた。
「太陽と朱乃さんなら詳しいことも知ってるかね?」
「そうだね。朱乃さんは部長の懐刀だし、太陽さんは部長と一番付き合いが長いし」
そんな事を話してる内に二人は部室の前まで来ていた。二人は揃って表情を険しくする。
「木場、今日って誰か訪問者がいるなんて話、聞いてたか?」
「いや。僕がここまで近づかないと気配に気付かないなんて……」
ここに立っていても仕方がないと夜明は扉に手をかけ、木場に合図を送ってから一気に開いた。部室内には不機嫌顔のリアス、何時もと違って冷たいオーラを放っている朱乃、隅で拘わり合いたくなさそうにじっとしている小猫、不安そうな表情を浮かべているアーシア。そして夜明が昨晩会った銀髪メイド、グレイフィアの姿が。太陽の姿は無い
「……どういう状況ですかこいつは?」
駆け寄ってきたアーシアを受け止めながら夜明はリアスに訊ねる。
「そのことを踏まえて説明するから待っててちょうだい……もう、何でこういう時に限って太陽は冥界に戻ってるのよ!」
リアスが小さく毒づいたその時だ。夜明の総毛が逆立つ。服を握ってくるアーシアを撫でながら周囲を見回していると、部室中央にある魔法陣が光り輝き始めた。
「太陽か?」
「いや、これはフェニックスの……」
夜明が見ている中、魔方陣はグレモリー家の者から全く見たことがない形へと変化する。光り輝いていた魔方陣から炎が巻き起こった。襲い来る熱気からアーシアを庇いながら夜明自身も腕で顔を覆い隠す。炎の中に人のシルエットが浮かび上がった。人影が腕を一振りすると炎は振り払われ霧散する。
「ふぅ、人間界は久しぶりだな」
赤いスーツを着た男はポケットに手を突っ込む。見た目は二十代前半、イケメンと呼んで差し支えない顔立ちをしている。男はリアスの姿を認めると、にんまりと口元を笑わせた。
「愛しのリアス。会いに来たぜ」
この男とリアスの関係は分からないが、とりあえず一つだけ理解できる事があった。男を見るリアスの顔は不機嫌その物。そこから夜明が得た答えは一つ。
「成る程。こいつが今回の敵か」
グレイフィアから聞いた話を夜明は頭の中で大まかに纏めていった。この真っ赤っ赤男の名はライザー・フェニックス。純潔の上級悪魔で古い家柄を持つフェニックス家の三男にしてリアスの婚約者。もっとも、リアスの反応から見るに好意的な感情は一切持たれていないようだが。
「早い話、婚約者とはいえ好きでも無い野朗から言い寄られて部長は迷惑してるってことか」
悪魔の未来や純潔悪魔、七十二柱とか小難しい事を話しているが、そんなこと夜明には関係なかった。リアスが嫌がっている。目の前の火炎野朗に喧嘩を売る理由は十二分に過ぎる。
「この世界の炎と風は汚い。炎と風を司る悪魔には耐え難いんだよ!」
じゃあ帰れよ。夜明がそう言うよりも早く、ライザーは周囲に炎を巡らせた。襲い掛かってくる熱気から顔を顰め、背にアーシアを庇う。
「俺は君の下僕全員を燃やし尽くしてでも君を冥界に連れて帰るぞ」
殺意と敵意が室内を満たした。震えながら抱きつく力を強くするアーシアを励ましながら夜明は周囲を見る。木場に小猫、朱乃は既に臨戦態勢、リアスも紅い魔力のオーラを全身から放っている。
「……あっちぃなぁ」
一言漏らし、夜明はアーシアと隣りに立っている木場を下がらせる。怪訝な顔を作る二人の目の前で『英雄龍の翼(アンリミテッド・ブレイド)』を展開させ、三翼を一閃させた。三翼の羽ばたきで巻き起こった突風は室内を満たしていた殺意と敵意を掻き乱し、ライザーの周囲を奔っていた炎を掻き消す。
「お前みたいな野朗が目の前にいるってだけで不快なのに、更に部屋の中の温度まで上げんじゃねぇよ。不快指数が鰻登りするだろうが」
視線に剥き出しの敵意を込め、驚愕を顔に浮かべているライザーに叩き付ける。
「お前、誰だ?」
「リアス・グレモリー様が眷属にして『兵士(ポーン)』、月光夜明」
夜明の答えを聞くと、ライザーは途端に心底見下したような表情を作る。
「あぁ、人間の分際で上級悪魔であるリアスの眷属になった身の程知らずか」
自分の眷属を馬鹿にされ、ライザーに殺気を送るリアスに黙ってるよう視線で頼み、夜明は改めてライザーに目を向ける。
「お前如きが俺のことをどう思おうが知ったこっちゃねぇがな、お前はここに何しに来たんだ? 話し合いだろ? その話し合いの場を殺し合いの場に変えるなんてどういう了見だい、ライザー・フェニックスさんよぉ」
夜明の言葉にライザーは一瞬詰まる。そのタイミングを見計らったように今まで黙って傍観していたグレイフィアが介入してきた。
「夜明様の言うとおりです、ライザー様。もし、これ以上続けるようなら私もサーゼクス様の名誉のためにも黙っている心算はありません」
静かだが、迫力のあるグレイフィアにライザーは怯む。やがて、鼻を鳴らしながら紙を掻き上げる。
「……最強の『女王(クイーン)』と称される貴方にそんなことを言われたら俺も流石に怖いよ。化け物揃いと噂のサーゼクス様の眷属を敵に回すなんて絶対にしたくないからね」
暗に夜明の言葉に納得して矛を収めた訳ではないと言いたいようだ。
「……小っせぇ奴」
「あぁ?」
「事実だろうが」
再び視線をぶつけ合う両者。しかし、グレイフィアが無表情ながらにおっかないオーラを放っているので互いに矛を収める。このままでは永遠に平行線だと、グレイフィアは両家が最終手段を取り入れたことを話した。
「最終手段? グレイフィア、どういうこと?」
「お嬢様。ご自身の意思を推し通したいのなら、ライザー様との『レーティングゲーム』にて決着をつけるのは如何でしょうか?」
グレイフィアの言葉にリアスは心底驚いたような表情を浮かべる。
「あの、夜明さん。『レーティングゲーム』って何ですか?」
袖をくいくいと引っ張りながら小声でアーシアが訊ねてくる。
「俺も詳しいこたぁ知らねぇが、確か爵位持ちの悪魔が下僕同士を戦わせて競い合う悪魔のゲーム……だったか?」
「うん。『兵士(ポーン)』、『騎士(ナイト)』、『戦車(ルーク)』、『僧侶(ビショップ)』、『女王(クイーン)』を用いて戦うんだ。ゲームの強さが悪魔内での上下関係を決めるんだよ」
木場が夜明の説明に付け加える。ふと、ここで夜明の中に疑問が生まれた。確かレーティングゲームは成人した悪魔しか参加できないはずだ。聞いた話ではリアスはまだ成人になってないはず。と、そこまで考えたところで夜明の中で納得の理由が見つかる。
(部長の家も、ライザーの家も名家らしいから、その辺はどうとでもなるのか)
実際、当たらざるとも遠からずという奴である。レーティングゲームで決着をつけるという方針で話が進むと、ライザーはリアスの眷属達、夜明達にけちをつけ始めた。
「これじゃお話にならないんじゃないか? 君の『女王(クイーン)』である『雷の巫女』くらいしか俺の可愛い下僕に対抗できそうに無いな」
そう言ってライザーは指パッチン。再び魔法陣が光り始め、次々と人影を吐き出し始めた。
「一人、二人、三人、四人……多いなおい」
総勢十五人のライザーの眷属に夜明は率直な感想を述べる。しかも、全員が美少女である。あぁ、こいつそういう奴なのか、と納得する。
「数では圧倒的に有利だと言いたいの?」
「数だけじゃない、実力も圧倒的さ。レーティングゲームの経験も無い上に一人は人間! 俺も今まで結構な回数のレーティングゲームをやってきたが、ここまでの出来レースは初めてさ!」
大きく笑ってみせるライザーにリアスは悔しそうに唇を噛み締める。ライザーの言うとおりだ。確かにこの場にいるリアスの眷属達は実戦経験こそあれど、レーティングゲームの経験は無い。その上、アーシアは実戦経験も皆無に等しく、夜明に至っては悪魔ですらない。だが、
「それがどうした?」
そんな些細な事が何になろうか? 部室にいる全員の視線を浴びながら夜明はリアスの前へと進み出る。
「そんな表情を浮かべないで下さい部長。いや我が主、リアス・グレモリー様。貴方にはその紅の髪を靡かせて威風堂々としている姿こそが相応しい」
昨晩、部屋にやって来たリアスの前でやったのと同じように片手片膝をつく。
「簡単なことだ。貴方がしなければならないのは児戯さえも霞んで見えるほど簡単なことだ」
顔を持ち上げ、驚きを浮かべているリアスの瞳を真っ直ぐに見据える。
「『勝て』。貴方は俺達にそう言えば良いんだ。『死力を尽くして戦え』、『眼前の敵を粉砕しろ』、『私のために勝利を捧げろ』。そう言ってくれれば良いんです。そして俺達は貴方のために命を懸けて勝利してみせる」
暫くの間、誰も何も言わなかった。やがて、笑い声が室内に響いた。笑いの発生源であるライザーに夜明以外の全員の視線が集まる。
「ハハハ! 勇ましいな。しかしだな人間君。そういう台詞は相応の実力を持ってる奴が言うからこそ格好がつくんだぜ? お前みたいな奴がそんな事を言っても、赤っ恥をかくことにしかなr「黙れ焼き鳥」っ!?」
ライザーの言葉を遮りゆっくりと立ち上がる夜明。
「俺は今、主と話しているんだ。横からしゃしゃり出てくるんじゃない」
「焼き鳥!? この人間風情が調子こきやがってぇぇ!! やれ、ミラ!!」
「はい、ライザー様」
焼き鳥と呼ばれたことが逆鱗に触れたらしい。ライザーの指示を受けて小猫くらいの体躯の女の子が長い棍をクルクルと器用に回し、背中を向けたままの夜明に打ちかかった。閃光が奔る。切り刻まれた棍が床の上に落ちて乾いた音を立てる。銀翼と蒼星を振り抜いた体勢をゆっくりと解きながら夜明はライザーに言ってやる。
「こんなんじゃお話にならないんじゃないか?」
唖然とした表情で斬られた棍を見ているミラに絶対零度の視線を向ける。
「主の指示とはいえ、攻撃してきたってことは攻撃される覚悟もあるんだよな?」
「っ!? 下がれミラ!!」
眷属の一人が叫びながら前に出る。銀翼と蒼星を消し、大剣を創造してミラに振り下ろそうとする夜明。ライザーの眷属と夜明の一刀がぶつかり合おうとした正にその時。
「はいはい。そこまでだ」
何とも暢気な声が室内に響く。刹那、魔法陣が黒い輝きを放ち、魔力を爆散させる。爆発して霧状になた魔力が晴れるとそこには……
「私抜きで面白い事をやってるなよ、お前等」
執事(バトラー)の格好をした、片眼鏡をかけた老悪魔を引き連れた太陽が二人の斬撃を片腕一本で受け止めていた。