『英雄龍の受難』
砂の上にどっかりと胡坐をかいた二人の男、イスカンダルと月光夜明。イスカンダルはどこからともなく清酒で満ちた酒樽を取り出し、二人の間に置いた。
「ま、まずは駆けつけ一杯」
「いや、駆けつけ一杯ってあんた。俺、未成年よ?」
暗に自分は酒を飲んだ事が無い、と告げるが、そんなことお構いなしでイスカンダルは子供のような笑顔を浮かべながら夜明に清酒で満たした杯を渡す。流石に断り辛く、夜明は杯を受け取り、人生初の酒をゆっくりと飲み干そうとし、
「ぶえぇ!!」
盛大に吐いた。げほげほと咳き込む夜明をイスカンダルは呆れたような目で見ている。
「おいおい小僧。幾ら初めて酒を飲んだからって何も吐くこたぁ無いだろうが」
「んじゃぁ手前が飲んでみろや」
涙目になりながら夜明は杯をイスカンダルに返す。訝しげに眉を持ち上げながらもイスカンダルは言われたとおりに杯で酒を掬い取り、一気に仰ごうとして、
「ぼっほぉ!!」
夜明よりも盛大に噴き出した。噴水の如く吹き上がった清酒は照り付ける太陽の日差しを浴び、小さな虹を作り出している。酒樽の中の清酒は砂漠を吹き渡る熱風が運んできた礫が混入し、とんでもない代物になっていた。とても飲めるようなものではなく、イスカンダルは気まずそうに酒樽を脇へと追いやる。
「あぁ〜、ここは酒を振舞うには余り向かんなぁ」
「酒樽を取り出す前に気づけよ……」
頭をポリポリと掻くイスカンダルに夜明はため息を吐くしかなかった。こんな奴に世界が征服されかけたのかと思うと、眩暈が起こる心境だ。
(いかんいかん。俺はこいつに呆れるためにここに来た訳じゃない)
ぺしぺしと頬を両手で叩いて気合を入れ直し、夜明は改めてイスカンダルと向き合う。巨大な体躯から放たれる威圧感もさることながら、放つオーラも凄まじい。カリスマとでも言えば良いのか、イスカンダルは人を心酔させるような雰囲気を醸し出していた。魔王であるサーゼクスと良い勝負といえるだろう。
(これが、『征服王』か)
数多の勇者達を束ね、世界を駆け抜けた『王』。この男と共に戦場を駆け抜けていった男達はきっと、死ぬ時ですら満足げな表情を浮べていたのだろうな、と夜明は心の中で思っていた。
「ん。余の顔に何かついておるのか?」
「いや。何て言うか『征服王』って呼ばれるだけのことはあるなぁ、と思って……それで、俺と一対一で話したいことって何だよ?」
観察を止め、夜明は早速本題に入った。何も、夜明に酒を飲ませるためだけに精神世界(ここ)に呼び出したわけではないだろう。しかし、イスカンダルは人好きのする笑みを浮かべるだけだった。
「いんや、特に話したいことなぞは無い」
強いて言うなら、これから自分が力を貸す男がどんな男かを見たかっただけだ。それだけのために呼ばれた夜明は再び唖然とした表情を作る。
「それだけ?」
「おぉさ。死後、残留思念となって神器(セイグリッド・ギア)の中で燻ぶっていたところに一旗上げぬかと誘いが来たのだ。高鳴るなぁ、おい!!」
あぁ、と夜明は心のどこかで納得する。この男、イスカンダルは子供をそのまま大人にしたような人物なのだと。深くは考えず、目の前の事象を楽しむ豪放磊落な偉丈夫。王としての風格は時折にしか見せなかったのだろう。彼の臣下達の苦労がどれほどのものだったか想像し、夜明は一人でくすくす笑う。
「あぁ、そう言えば小僧。これから共に戦うにあたり、一つ貴様に聞きたい事がある」
「小僧じゃない。月光夜明だ」
洟垂れ小僧が何を言うか、と反発を一蹴される夜明。人の話聞けよ、と少し気色ばむ夜明にイスカンダルは一つだけ問うた。
「お前はどんな夢のために戦う?」
「……」
その問いに夜明は答える事が出来なかった。正確には、イスカンダルの問いに答えられるだけの『夢』を彼は持っていないのだ。夢? と一言呟き固まった夜明にイスカンダルはおぉとも、と頷いてみせる。
「貴様とて一人の男として生まれたからには、命を懸けるに足る夢の一つや二つ、抱いていよう」
まして、英雄龍のような強大な力を抱いているのなら尚更だ。キラキラと瞳を輝かせて答えを待つイスカンダルに夜明は首を振ることしか出来なかった。
「……夢、何て考えたことも無いな」
途端、イスカンダルの顔が面白く無さそうに歪む。
「夢を考えたことが無いなんて……それはいかんなぁ。夢のない生涯など、雑兵しかいない戦場を駆け抜けることよりも退屈極まりないわ」
「そうなのか?」
「貴様は追うべき獲物がいない狩りを楽しめるのか?」
どっこいしょと立ち上がり、イスカンダルは夜明を傲然と見下ろす。その表情はさっきまで浮べていた人好きのするものではなく、並み居る英傑達を束ね上げた『征服王』のものだった。
「夢を持たぬ奴に余の力を貸すことは出来んわなぁ。おい小僧。次に余と会うときまでに夢を見つけて来い。命を懸けるに足る、身命を賭して掴むに足る夢を」
それまで貴様は小僧だ、と言い残してイスカンダルは吹き荒ぶ砂塵の中へと姿を消した。一人残された夜明は無言で己の夢について考え続けた。
(俺の夢って何だ?)
夜が明け、夢から醒めて尚、夜明はイスカンダルに言われた事を頭の中で反芻していた。
『命を懸けるに足る、身命を賭して掴むに足る夢を』
ならば月光夜明の夢とは何なのか? 以前、リアス・グレモリーへと言った、最強の『兵士(ポーン)』になることが夢なのだろうか? 否、これは夢というよりもリアスへの恩返し、言い方を悪くすれば唯の自己満足に過ぎない。
(俺の夢って何なんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!??????)
頭を抱えて悶えていると、ちょいちょいと肩を突かれた。見れば、アーシアが困ったような、心配しているような表情を浮べていた。
「あの、大丈夫ですか夜明さん?」
「アーシアか……すまんすまん。ちょっと悩み事をしててな。それで、何の用だ?」
「何の用って……もう、私も部長さんも行く準備出来ましたよ?」
行く準備? とプリプリしているアーシアに首を傾げてみせる夜明。数秒後、何かを思い出したかのように手を打つ。そうだ、そう言えば、
「今日はプール開きだったな」
それも、オカルト研究部限定の。
「あっはっは、目の保養(どく)だなぁ〜」
〔保養と書いて毒と読むか。君も初心だねぇ〜〕
水着に着替え、プールサイドで体操をしている夜明を心の中でエジソンがからかっている。うるせぃ、と不機嫌そうに返事(心の中で)をする夜明の眼前では、
「ねぇ夜明。私の水着、どうかしら?」
「あらあら、部長ってば張り切ってますわね。そんなに夜明くんに見て欲しかったのかしら? ところで夜明くん、私のほうはどうかしら?」
水着姿のリアスと朱乃の姿があった。色は赤、白と対照的だが、共通して言える事は身体を覆う布面積が小さいということ。二人して張り合うように夜明の前に並んでいる。あはは、あはは、と乾いた笑みを浮かべながら夜明は気の利いた一言も言えず、視線を逸らしていた。
「よ、夜明さん。私も着替え終わりました」
振り返ってみると、そこには学校指定のスクール水着を着たアーシアの姿が。その後ろには小猫もいる。胸の「あーしあ」、「こねこ」と平仮名で書かれた名前が妙に犯罪チックだ。
「ニ、ニアッテルヨフタリトモ」
最早、彼の動きはカクカクだった。声も片言になり、視線が宙を泳いでいる。
「奏者ぁ〜!」
そして極め付けが彼女である。水着姿のブレイズハートはリアスと朱乃を押し退けると、正面から夜明に抱きついた。ブレイズハートの水着はリアス、朱乃が着ているもの同様、布面積が小さいので、夜明は全身で女性特有の柔らかな感触を味わう事に。
「どうだ、似合うであろう?」
うりうりと身体を押し付けてくる。豊かな双山が押し潰されてど偉いことになっていた。ブレイズハートに対抗心を燃やしたのか、左右からリアスと朱乃が抱きついてくる。そして後ろからは涙目のアーシアが……。
「あの、皆さん、近い、と僕は、思うんだなぁ……」
四方から迫る柔らかい感触と甘い匂い。顔を真っ赤にさせ、夜明は蚊の鳴くような声でささやかな抵抗を試みていたが、効果は皆無だった。そんな彼を反対側のプールサイドから見守る男子が一人。
「何でだろう。男としては非常に羨ましい光景なのに、何故かちっともそう感じられない」
「あいつ等は美少女というよりも雌豹って感じだからな。流石に伝説のドラゴン様も、雌豹四頭の相手は厳しいのかね?」
水着姿の祐斗、その隣には太陽。太陽の水着はアーシア、小猫同様学校指定のスクール水着だったが、胸の名前部分がどえりゃあ凄ぇことになっていた。
「太陽さんは混ざらなくて良いの?」
「今、混ざったら夜明の奴、確実に昇天するぞ。後で、じっくりくっつかせてもらうさ」
二人が視線を戻すと、夜明は小猫の方へと手を伸ばしていた。
「小猫、助けてぇ……」
「……頑張ってください!」
グッと親指を持ち上げた小猫。その時の彼女は無表情だったのに、どこか楽しそうだったと目撃者である祐斗は後に語る。
「ふぃ〜、疲れた」
プールサイドに敷かれたブルーシートに腰を下ろす夜明。その横では疲れきった様子のアーシアが横たわっている。少し離れた日陰では小猫が読書していた。リアスに頼まれ、夜明は二人に泳ぎを教えていた。二人が泳げない事に些か驚いたが、夜明は二人の面倒を見ることを快諾。そして現在に至る、というわけだ。
「お疲れ様」
「ん、さんきゅ」
歩み寄ってきた祐斗から手渡されたペットボトルを受け取り、夜明は礼を言う。蓋を開け、ペットボトルの中身を飲みながらプールの方を見ると、浮き輪を装備したブレイズハートがぷかぷかと浮かんでいた。夜明の視線に気付くと、元気良く手を振ってくる。
「癒されるなぁ」
「流れるプールに流してみたいよね」
手を振り返す夜明。横で祐斗が漏らした呟きには大いに同意していた。浮き輪に掴まったブレイズハートが流れるプールを流れていく様はきっと愛らしいだろう。ふと、ある視線に気付いた祐斗はちょいちょいと夜明の肩を突いた。
「お呼びみたいだよ」
見れば、反対側のプールサイドにいるリアスが手招きしていた。勿論、呼んでいるのは夜明である。
「俺のこと呼んでるんだよな?」
当たり前じゃない、と祐斗に背を押されて夜明はリアスの元へと急いだ。物の数秒でリアスの元へと到着。夜明はリアスの傍らへと跪いた。
「部長、お呼びですか?」
えぇ、と頷きながらリアスは夜明に小さなビンを手渡す。
「それは特製の美容オイルよ」
はて? と首を傾げる夜明の目の前でリアスは水着のブラを外した。瞬間、夜明は神速ともいえる速さで回れ右してリアスから視線を逸らす。
「部長ぉ!! 麗しき女性が野朗の目の前で水着を取るなんて淑女にあるまじきこうくぁzwsぇdcfrcrfvtg」
最早、地球外の言葉が彼の口から飛び出していた。クスクスと笑いながらリアスは夜明にこっちに向くよう指示する。
「いや、しかしですね」
「命令よ。背中にオイルを塗りなさい」
主にそう言われてしまっては逆らう事が出来ない。
(ここは素直に命令に従わなくてはならないのか!? いやいや、花も恥らう女子高生の肌を見て、あまつさえオイルを塗るなど人として、もとい眷属としてやっていいことなのか!?)
散々思い悩み、葛藤した挙句に夜明が出した結論は目隠しをしてのオイル塗りだった。一瞬で手拭を創造し、目にも止まらぬ早業で顔に巻きつける。能力の無駄使いも良いところだ。オイルを塗られながらリアスは夜明のへたれっぷりにため息を吐く。
「夜明。あなた幾らなんでもヘタレ過ぎない?」
「す、すみません……」
この調子では夜明が自分に手を出してくるのは当分先のことになりそうだ。リアスが小さく嘆息したその時、
「夜明くん♪ 私にもオイル塗ってくださらない?」
甘い声と共に夜明の背中に何か柔らかい物が抱きついてくる。慌てて目隠しを剥ぎ取り、振り返るとそこには満面の笑みを浮かべた朱乃がいた。しかも、抱きついてくる感触から察するに上は裸だ。
「あああああああ朱乃さんんんんんんん!!!!!!??????」
余りの事に夜明は声が裏返りまくり。夜明の反応を楽しんでいる朱乃。その表情は完全にどSのそれだった。うふふ、と頬を紅潮させながら夜明の胸やら腹やらを撫で回している。
「ち、ちょっと朱乃。まだ私のオイル塗りが終わってないのよ? それにそうやって私の夜明を誘惑するのは止めてちょうだい!!」
「部長! その状態で起きないで! 起きると胸がぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
夜明の絶叫も虚しく、リアスは朱乃を威嚇するように眦を釣り上げて上半身を起こす。ブラを外し、上半身を起こしたリアスの御姿は青少年には刺激が強すぎた。夜明が首筋まで真っ赤になっていると、朱乃が夜明の体温の上昇を楽しむように頬ずりしてくる。
「あらら〜、部長が怖いですわ〜。ねぇ夜明くん。こんなすぐに怒っちゃうような、余裕の無い人は嫌よね?」
問われるも、朱乃に耳たぶを甘噛みされているので夜明は答えるどころではなかった。夜明が碌に抵抗してこない事を良いことに、朱乃の行為は徐々にエスカレートしていく。
「本当、夜明くんは可愛いわ。部長、夜明くんを私に下さらない? いっそのこと私の家に連れ帰って何もかも私色に……」
何やら朱乃の瞳に危ない光が灯り始めた。
「いえ、寧ろ私を夜明くん色に染め上げてもらったほうが……」
この人はどこを目指してるのだろうか? 夜明は冷や汗を禁じえなかった。
「あげない、絶対にあげないわ! その子は私のものよ!! 血の一滴も、髪の毛一本すらあげないんだから!」
リアスは可愛らしく首をぶんぶんと振っている。いくら眷属の『女王(クイーン)』とはいえ、自分のものに手を出されるのは嫌らしい。
「そもそもリアス。貴方、彼を自分のものって言ってるけど、そうする為の努力はしてるの?」
「わ、私は夜明の主なんだし。それに夜明ってば凄く鈍感なんだもん……」
「そんなの言い訳にはならないわ。ねぇ、夜明くん?」
そこで朱乃は蠱惑的な声で夜明に呼びかける。意識して耳に息を吹きかけてくるので性質が悪い。何でございましょう、と夜明はがちがちに固まっていた。くすくすと笑いながら朱乃は夜明の耳元で囁く。
「私の家に来ません? 私ならガードの固い部長と違ってあんな事やそんな事も」
そこまで言った時点で、二人の横を何かが通り過ぎた。そして後ろで何かが消える音が。恐る恐る首を巡らせてみれば、プールの飛び込み台の一つが綺麗に消し飛んでいた。リアスの滅びの魔力だ。
「朱乃、貴方少し調子に乗りすぎていない? 自分が私の下僕だっていうことを忘れてるの?」
「あらあら。そんなことを言われたら私、困ってしまいますわ……リアス、主から略奪するっていうのも面白いと思わない?」
かたや滅びのオーラを纏い、かたや黄金の雷を迸らせながら、両者は睨み合った。上半身が裸である事を指摘したい夜明だったが、今の二人の間に割り込めるほどの度胸はなかった。
「夜明はあげないわ、雷の痴女さん」
「可愛がるくらい認めてくれもいいんじゃないかしら、紅髪の処女姫様」
そして始まる壮絶な女の戦い。それぞれの攻撃が飛び交い、プールを容赦なく破壊していく。その戦いは最早喧嘩の域を超えていた。
「そもそも朱乃! 貴方、男が嫌いじゃなかったの!? 何で夜明には言い寄るのよ!?」
「そういうリアスだって、男なんて全部一緒に見えるって言ってたじゃない!」
「夜明は特別なの! 可愛くて格好良いの!!」
「私だって夜明くんが可愛いわよ! そう思ってるのが自分だけだと思ったら大間違いよ!!」
砕け散るプールサイド、焼け焦げるフェンス。激化していく二人の戦いを眼前にし、夜明は力なくへらへら笑っていた。
「あっはっは、これ治すの俺なんだろうなぁ……うおっ!」
突如、夜明は誰かに手を掴まれた。謎の人物は一言、ついてきてくれ、とだけ言って夜明を引っ張っていく。とりあえず、この危険地帯から離れられれば何でも良いやと思い、夜明はされるがままに引きずられていく。
「部長〜、朱乃さ〜ん。やりすぎないで下さいね〜」
無駄と知りつつも、そんな呟きだけを残して。