小説『私は障害者である』
作者:佐藤賢二(ABストア)

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9. 「障害者らしい顔をしている」って言われた。

退院して暫くは、正月とかもあって私達を見にいろいろな人が我が家にやってきた。
私の家は、中野区の北部の静かな住宅街にある一軒家である。
狭いながらも庭もあるし、近くを小学校、中学校、2つの高等学校に囲まれて、大変に静かな環境だ。
そして、私の部屋は2階の日当たり良好な約10畳間のフローリングで、私と双子の姉と、お母さんで寝ている。
昼間は1階のリビングに居る事が多いけれど、冬の間はこの2階の部屋の陽当たりの良さは何ともぬくもって良いのだ。
南側は4m位の間口のガラス戸になっていて、8畳程度の広いベランダに続いているし、東側も窓が有り大変に気持ちの良いお昼寝場である。
その頃、私はお姉さんと競ってお母さんのおっぱいを求め、普通に笑い、普通に泣いて、体重も順調に増えていた。
お母さん方のお祖母ちゃんは暫く泊まり込んで、家の事をいろいろ手伝ってくれていたそうだ。
何しろ、普通の赤ちゃんで数時間おきに授乳をするのだが、私達は双子だからそれぞれがお腹が減れば泣いておっぱいをせがむ。それが一緒とはいかず交互になる事も多い。
夜に交互でおっぱいをせがむと、お母さんはその都度起きては私達に授乳してくれる。
お母さんは夜中それを繰り返す訳で、正直2時間と空かさずにやってきて良く眠れないのだ。
これはなかなか親父が変わりを出来ないので、お母さんの寝不足は暫く続くのだった。
もっともお気軽な親父さんは、昼の仕事の為にも良く寝なければとか何とか言って、実は一人で隣りの部屋で寝ていたのだ。
「何かあったら直ぐに呼んでね。」とか言ってたけれど、何度かお母さんが呼んでも、親父は常に爆睡状態で起きるはずもなく、いつも結局お母さんが全てをやっていた。
子供はそれをちゃんと見ているんだぞ。献身的にケアしてくれるお母さんを、子供はどこかで必ず感謝しているものなのだ、、、、と私は少なくとも思っている。
母方のお祖母ちゃんとともにお祖父ちゃんもしょっちゅう泊まりにくる。
近くに住む親父方のお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも毎日のように会いに来てくれる。
結構賑やかで楽しい毎日だ。

病院には退院後は月に1回のペースで診察にいっていた。
小児科の発達という専門医のところに行くのだ。
生まれて暫く入院していた日赤病院にお母さんと2人での外出で、その日は母方のお祖母ちゃんとお姉さんは留守番になる。
診察する先生は、なにやらベテランって感じの初老の真面目そうな先生で、入院中に診てくれていたあの若い医師ではなかった。
毎回、普段の生活の様子を聞いて、変わった事が無いか確認し、メガネ越しに静かに私を舐め回すように見ながら、「変わりないですね。順調ですよ」って言う。
私は何が順調で、何が不調なのか判らない。順調な状況がどんなものなのか、どうしていたら不調なのか判らないのだ。
私はそんなに人生経験が豊富では無いのだから、、、
そして、例え何かあってもそれをどう人に伝えれば良いのか、その方法も知らない。
嫌な事があれば泣くのだ。
嬉しい事があったら笑うのだ。
でも喋れないし、具体的なチェックリストも自分は持っていないのだから、、、
お母さんは先生に言われる「順調」と言う言葉のあまりの漠然さに、充分な納得と言うものを知らずに、でもマイナス面も判る由も無く、診察が終わるとまたそのまま平常の毎日の生活に戻るのだ。

そして初めての桜を見て、
ツツジやサツキの花も咲き、
梅雨が来て、玄関前のアジサイの大きな花が沢山開いて、
やがてジリジリした日差しの夏が来た。
夏は2階の部屋に昼間居るのは辛いもので、1階のリビングでエアコンをつけて過ごすのだ。
そして、秋の気配がし始める9月になると、
何でも同じだったお姉さんと私の間に少しずつ違いが出来始めてきた。
先ずお姉さんの方がゴハンを食べる。
私は固形物を飲み込むのが下手みたいだ。
2人とも首は座ってきたけれど、お姉さんが寝返りを盛んに打つようになっても私はしない。
少しずつパワーが違ってきているのがはっきり判ってきた。
いよいよ両親も心配になって来たみたいだ。
10月の定期診断の時は親父も一緒に行く事にした。
いつもの初老の先生にそんな心配を克明に話すと、
暫く考えこんでいたが、おもむろに話始める。
「幼児の発達は個人差が激しいので、一概に双子とは言え兄弟で違いがでるのは良くある事です。
特にお子さんの場合生まれてきた直ぐに大きな病気をした訳ですから、多少の遅れは想定内でしょう。
ただ、9月の時の所見と比較して見ても、この1ヶ月での発達は確かに遅い気もします。
発達面での遅れが気になりますので、一度専門の病院で見てもらったほうが良いかもしれませんね。」
えっ、、、別の専門の病院って何?って、私もお母さんも親父も息を詰まらせた。
「いや、正直、ここまで来ると、発達に何らかの問題がある可能性を考えるべきで、そう言う子達を専門に診ている病院がありますから、そこだと具体的な発達の訓練だと処置が総合的に行えますから、お子さんにはその方が良いかもしれません。そろそろ踏ん切りをつける時かもしれませんね。」
何か、、、私は発達に問題があって、専門的に治療、訓練をしないとダメって事のようだ。
繰り返すけれど、私自身には、何が順調で何が不調なのかなんて判らない。何時何が出来るようになるかも判らないのだ。
そして何が不調なのか。
私は私である。
今時点で寝返りを打てないのも私である。
親父やお母さんは知らないだろうけれど、
私はあまり良く物が見えていないようだ。でも、それも今見えている視力が私なのだ。
他の人の能力など知る筈も無いのだから、、、
でもお姉さんもお母さんのように立ってはいないし、歩けもしない。
言葉だって喋らないじゃないか。
私は私だと繰り返し思うだけで、多少の心の混乱はあった。
私以上に両親の心は穏やかでなかったろう。
先生は遂に一度も「障害」と言う言葉は使わなかった。
そして、親父とお母さんの会話にもその言葉は発せられる事はなかった。

数日後、私は両親に連れられて、北区にあるその専門の医療機関に行った。
「東京都立北療育医療センター」と言う病院だ。
診察はそこの院長によって行われた。
さほどに広くもなく、新しい施設とも言えない、地味目な待合室でしばし待つ事になったが、
同じ診察を待つ患者の多くは専用の特殊な車椅子に乗っていた。
唯ならぬ空気が漂っていた。
親父も何時もならもっとはしゃぐように良く喋るのだけれど、なにやら無駄口を聞いてはいけない空間に迷い込んだような気分になっていたそうで、他の待合の人々と顔を合わせないようにしている風だった。
おそらく母も言い知れぬ不安に苛まれて、心を押しつぶされそうな気分になっていたのだろうか、抱える私の顔を頻繁に撫でたり髪を掻き上げたりしていた。
そして順番か来て、診察室の中から出てきた看護婦さんが私の名を呼んだ。
何か、スイッチを押されたロボットのように親父は立ち上がり、遅れて私を抱えたお母さんが後について入室する。
中はこれまでの病院の診察室と違って、なにやら広く、真ん中に体育の授業で使いそうなマットが置いてあってり、踏み台昇降に使いそうな台があったりして、その中央の窓際にある机に向かって何やら書類を呼んでいる大柄な白衣の老人が言った。
「今、日赤病院からのお手紙を読ませてもらいましたよ。」
と言って回転椅子をクルリと回してこちらを向く。
何とも穏やかな、いかにも院長先生って感じの貫録のある雰囲気だった。
長椅子のようなベットに寝かされていた私をしばし眺めていて、おもむろに口を開いた。
「なるほど、立派な知恵遅れの顔をしているね。」
その平然さにしばし親父もお母さんも状況を掴めないでいて、リアクションがとれずにいた。
「この子は典型的な脳性麻痺からくる知的障害が顔にでてる。既に運動能力でも顕著な遅れが出ているはずだよね。」
両親の頭はもうパニック寸前のグルグル状態で、何て言っていいか言葉を失っている。
「先ず大事なのは、その状況を正確に親が受け止める事ですよ。この子のリハビリも全てそこから始まるんだ。」
更に、
「障害だからと言って、何も悲観する事じゃあ無いんでね。この子がこの子らしくしっかり生きていけば良いんだし、この子が生きていく為には両親の支えが何より大事なんだから、、、」
状況は判った。そしてこれからこの先生とこの病院での私の闘いが始まるのも理解した。
親父とお母さんもやがて心の整理を付けて、私と闘ってくれるだろう。
その覚悟を決心させる為の、結果として感謝につながる言葉が先生の最初の「知恵遅れ顔」発言だったのだ。
しかし、言っておく。私は結構イケメンなんだ。知恵遅れ顔の美形なんだぞ、って、、、
大人になった時の私の美人顔を先生に見せてやるんだ、、、って決意を心の中で一人私だけでするのである。

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