小説『The Last Judgement―最後の審判―【完結】』
作者:亜薇(楽園喪失)

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<5>狩猟開始


「死ね!  くたばれゴミが!!」
 遂に姿を現したあの声の主は、意外にも……彼が良く知っている人物だった。
 不健康に太った身体、青白い肌、手入れのされていないバサバサの長い髪、焦点が合っていない血走った目。
「あたしから逃げて、自由になったつもり? このゴキブリめ!」
 今にも彼に掴みかかりそうな勢いで、酒臭い息を吹き出しながらしゃがれた声で喚き散らす。
「あんたはねえ、そこに立ってるだけであたしに不快な思いをさせるの」
 腰に両手を当てて、『親が子供に』言って聴かせるようにわざとらしく言う。
「さっきから許しもなくジロジロ見て、いつ顔を上げて良いって言った? とっとと跪け!」
 何が癪(しゃく)に障ったのか、ますます激昂する彼女は片足を上げ地面を踏みつけた。
「あたしの言うことが聞けないの? ……殺すぞ、炯士!!」

――なんだ、コイツか……

 頭上から気違い染みた罵声を浴びせられても、もう彼は何も感じない。かつては彼女の恐ろしさに屈していたこともあったが、それも遠い遠い昔の話に過ぎない。
 支離滅裂な言葉を繰り返しながら、怒りを爆発させている彼女を余所に、炯士は笑みを漏らし隠すことができなかった。
「だって、あんたはもう死んだんだ。死んだ奴がどうやって俺を殺すって?」
 炯士がぽつんと口にしてみると、先程まで彼女を見上げていたはずの自分が、何故か見下ろす形となっている。
「今度は俺があんたを殺してやろうか? あんたを殺せなかったことだけが心残りなんだ……」
 悔しそうな顔をすると、いつの間にか彼の手の中にナイフがあった。調度良かったとばかりに、それを頭上へと運んでゆく。
 今にも振り落とされそうなナイフが視界に入っているのかいないのか、彼女は両手で自分の髪をグシャグシャにしながら唸っている。昔はそんな彼女の姿でさえ恐ろしかったはずなのに、今はもう……嘲笑しか出てこない。 
「くっ……くっくっ!  あは……アハはははは!!」
 笑いながら、ナイフを持っていない左手で彼女の手首を掴む。彼女はその手を振り払おうとはせず、相変わらず奇声を発しながらあちらこちらを見回している。自分が殺されそうになっている状況が解っているのかいないのか、恐れている様子は全くない。
 右手で彼女の脳天目掛けてナイフを下ろす。ふと気付くと、ナイフだったはずのものが小さな鉈に変わっていた。ナイフでは難しいが鉈ならば、確実に彼女の頭を一撃で叩き割ることができる。
 そんな不可思議であり得ないはずの現象でさえも、今の炯士にとっては何らおかしくはなかった。ただ、自分が目の前の狂人をこの世から消し去りたいと望んでいること、その願望に誰かが奇妙な力で手を貸してくれていることを、ほんの一瞬感じただけだった。
……凶器が彼女の頭にくい込む前に、彼は目覚めた。









「炯士?」
 我に返った炯士は、ホテル自室のベッド上にいた。服を着ないまま腰まで布団を掛け、座って正面を向いている。その視線の先に立っていたのは霧都だった。
「おまえ、またクスリでもやってたのか?」
 霧都は呆れたような声で尋ね、入り口横のスイッチで明かりを付ける。炯士はぽかんとして口を開けたまま、霧都を見て首を傾げた。
「もしかして俺、ぶっとんでた?」
 記憶を辿るが、何かを打ったり吸ったりした覚えはなかった。アメリカに来たばかりの頃、興味本位でマリファナやもっと危険なドラッグを試してみたが、早々に飽きてしまい最近は全く手を出していない。
「よく解らないが、大声で馬鹿笑いをしていた」
 そんな奇妙な場面を目撃した割には、霧都は至って冷静である。
「マジか。只の幻覚? 夢か? どっちにしてもイヤな感じだったなァ、久々に……」
 独り言のようにぶつぶつ言っている炯士に、霧都は軽く嘆息する。
「時間だ、支度しろ」
 炯士がベッド脇にあった置き時計を見ると、午後六時を回っていた。
「ハイハイ」
 炯士は嬉しそうに言うと、布団をはねのけベッドから下りた。靴を履き、クローゼットを開けて服を着ながら、突然鼻歌を歌い出す。
「ずいぶん機嫌が良いな」
 霧都の言う通り、炯士の気分はすこぶる良い。見たくもない、会いたくもない人物の姿を見てしまった直後にしては、彼自身不思議な位清々しい思いだった。
「まあな、今日はお楽しみだ」
 ズボンを履きベルトを通すと、突然何かを思い出したようにくるりと霧都の方へ向き直る。
「そういや、おまえがハッキリしてやんないから倫子が泣いてたぞ」
 言葉とは違って、彼女を心配している素振りなどまるでない。ただ状況を楽しむかのように、そして霧都を試すかのように、炯士は顔をニヤつかせていた。
「……何の話だ」
 炯士は霧都という少年が嘘をつけない性質であることを知り尽くしている。無視して黙っているならバレないことも多いが、少しでも反応してしまうと視線の動きや答え方で分かってしまうのだ。
「寂しそうで可哀想だったからさ……代わりに俺が慰めてやったんだよ」
 一見さらりと言ってのける炯士だったが、横目で霧都をとらえて反応を窺っている。
「あいつはあいつで、良いな。ジャクリンとはまた違った味がして……」
 しかし、炯士が期待したような反応を霧都が見せることは一切無かった。そしてそれが、炯士の予想通りでもあった。
「……俺はジェダに会ってから行く。おまえはジャクリンと倫子と先に行け」
 言い放つと、霧都は更に念を押して言い聞かせる。
「ただし、俺が行くまで動くなよ」
 無論、そうした言葉が効果を持たないことは分かりきっていた。一応返事をする炯士も、ただ機械的に返しているだけである。
「了解」
 素直に頷きながら、炯士はジャケットの内ポケットにワルサ―を入れ、ズボンのポケットにナイフを納めていた。










 炯士が『啓示』を受けたのは、実の兄、姉、そして母に殺されかけ生死を彷徨っていた時だった。
 何の前触れも無く、まるで自分の脳に語りかけるかのようにその「声」は聴こえたのだ。
 その日から彼は新しい遊びを覚えた。この世の中で最も面白く刺激的で、彼にとっては快楽にすらなり得る行為。

――銃で頭を撃ち抜いたり、内臓を突き破ったりして心臓の鼓動を潰すと人間は死ぬらしい。
  その後体温が下がっていって、物言わぬ肉塊になる。

 炯士は人の断末魔の虜になった。
 飛沫く真赤な血液にも、引き摺り出したピンクの内腑にも恍惚を覚える。
 誰かを傷付け、その歪んだ顔と悲鳴を引き出している間、彼は性的絶頂に近しい感覚を得ることができる。
 それに気付いた頃から、一種の中毒症状のように、人を殺したい衝動に駆られて生きるようになった。
 家族を亡くした後もそうした欲望を満たしながら、怪しげな風俗店や犯罪組織を転々とした。
 世の中に溢れる変態相手に売春をしたり、殺し屋まがいのことをしたり、いくらでも生きていく手段はあった。
 そしてある日、とある店で売り専をしていたときに、炯士は霧都に出会ったのだ。
 霧都は炯士を探して日本に一時帰国していた。







「霧都はまだかァ? おっせえなあ」
 不機嫌丸出しの声で炯士が唸る。
「ちょっとは我慢しなさいよ、お子様ねえ炯士は」
 微笑んだジャクリンは、炯士を背後からたしなめる。
「子どもでも何でも良いけどさ、今日こそはたくさんブッ殺すからな」
 そうした二人のやり取りなど気にしていない様子で、倫子は到着してからじっとアジト入り口を見張っている。
 三人はジェダが『視』た『アビス』の隠れ家だという廃工場に到着していた。大きな工場ではないが、もう誰も近付かなくなって不気味な雰囲気を醸し出している。彼らは向かいの建物の影に隠れて霧都の到着を待っていた。
「で、倫子。何人位いそうなの?」
 倫子は瞳を閉じ、精神と力を集中させる。
「……ジェダの言った通り……十五人位かな」
 人間のものとは異なる生気の塊が、工場の中に感じ取れる。その数を数える程度のことは、彼女にとって比較的容易だった。
「十五人か……」
 炯士はそれを聞くと、頭の中で簡単な計算をし始めた。
「俺が十二人でえ……あとはジャクリンたちが一人ずつってとこだな。うん、ぴったし」
 再び笑ったジャクリンとは反対に、倫子は溜息をつく。
「油断しない方が良い。これだけ人数がいたら『悪魔化』してるのがいるかも」
 悪魔化している悪魔は、倫子たちにとっても大きな脅威である。
「そういう奴って気配が普通のと違ったりすんの?」
 身体能力は比類なく高い炯士だが、倫子のような感知能力は無いに等しい。自分と波長の似た悪魔狩りの気配は読み取れても、敵の気配はかなり近づかないと察知できない。
「大きさ、性質ともに違う。でも気を隠すこともできるから、何も感じないことも……」
 言い終わらないうちに、急に倫子が口を閉じた。そして直ぐに声を張り上げる。
「出て来た! あそこ!!」
 言うなり廃工場を指差し、倫子は建物の隙間から飛び出した。炯士もジャクリンもそれに倣う。
 三発銃声がして、弾が炯士たちの頭上や横を掠(かす)めて行く。
「来た来た……先行くぞ!」
 待ってましたとばかりに舌舐めずりする炯士は、弾丸が飛び交う中工場へと走る。
「炯士! ……全くあの子は……」
 半分諦めたようにジャクリンが言う。
「ジャクリン、私達も行きましょうか」
 呆れ顔ながらも強い口調で言う倫子に、ジャクリンも応えて頷いた。




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