小説『The Last Judgement―最後の審判―【完結】』
作者:亜薇(楽園喪失)

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<6>快楽虐殺


――背中の傷が痛まなくなったあの日。
 
 彼は狂ったように笑い、叫び続けた。
 彼を縛る全てのものから解放され、自由になったあの時……嬉しくて嬉しくて堪らなかったから。

 目に見えるもの、手に触れたもの、皆残らず叩き壊し、 
 気付くと足元で、まだ生暖かい臓器が潰れていた。





「1、2、3、4、5……」
 数メートル離れた床に転がっている死骸を一つ一つ指差しながら、数えていく。
「6……か。やべぇ一気に殺り過ぎた、あと6人しかいないじゃん」
 炯士は悔しそうに舌打ちして、傍にある錆びかけたドラム缶に座った。
 ジャケット内ポケットから小箱を出し、器用な手付きでワルサーに弾を充填する。装弾数が少ないため、いちいち入れ直さなければならないのが面倒である。
 ジャクリンと倫子より先に工場内部へと潜入した炯士は、少し奥のかなり広い作業室のような場所で何人かに囲まれた。
 例によって、全て同年齢か少し下位の少年ばかり。見たところ全員が銃を持っているわけではなく、撃ってきたのが2、3人で残りはナイフや鉄棒等の武器で襲い掛かって来た。
 相手が多勢だったので流石に遊んでいる余裕はなく、少年たちが攻撃してくる前に頭に撃ち込みほとんどを即死させた。二人程急所を外し、顔が割れた状態でもまだ生き長らえていたが、数分放置しておくといつの間に事切れたようであった。
 体のどこかに刻まれている印を確認し、死んだのが本当に『悪魔』だったのかどうか見てみることさえしない。基本的には悪魔相手以外の殺人をしない倫子やジャクリンとは違い、炯士にとってはどうでも良いことだった。
「チッ……つまんねーの。銃ってほんとつまんねーよ……」
 ジェダにもらった箱を再びしまい立ち上がると、うつぶせに倒れている死体の元へと歩いていく。
 後頭部に被弾し死んでいる少年を蹴り、仰向けにさせる。黒い髪に緑色の目の少年は、目を見開いたまま動かない。
 ほんの戯れのつもりで少年の顔を上に向けたのだが、炯士は偶然彼と目が合ってしまったような気がした。すると一旦は落ち着いていた暴虐性が爆発し、何故だがいらいらして右足を高く上げる。そして、躊躇うことなく少年の顔を踏みつけた。
 哀れな少年の顔は何度も踏む度に、眼球が飛び出て鼻が折れ、唇が潰れやがて原型を留めない程ぐちゃぐちゃに崩れていく。
 無我夢中で踏み続け、少しして気が済むと足を止める。少年の顔だった部分は血だらけになり、ところどころ皮膚が剥がれ肉が露出していた。
「……倫子たちはどこ行った? 俺の殺す分、まだ残ってるだろうな」
 思い出したように呟くと、彼の興味は既に次なる獲物へと移っていた。
 物言わぬ死体たちを置いて歩き出す。こんなところでモタモタしていては、残りの楽しみを奪われてしまう。
 炯士の計画では、あくまでも「12人殺る」ことになっているのだ。
 先程入ってきた入口へ戻り作業室を出たところで、彼は突然脇腹に違和感を覚えた。やがてすぐに、鋭利な金属で腹を抉られる痛みに変わっていく。
「ん……?」
 視線を落とすと、右の脇腹にナイフが突き刺さっていた。直ぐに引き抜かれると、内蔵が持って行かれるような妙な感覚がした。
 刺された腹部を右手で押さえ、流れ出る血を止めようとする。黒っぽい鮮血はどくどくと溢れて手を濡らしていくが、炯士は苦痛の表情を見せるどころかうっすらと笑みさえ見せていた。
「久々だな、この感じ……」
 そこで漸く、炯士は自分を刺した相手の顔を見た。
 金髪で青い目の少年。歳は炯士と同じ位であろうが、彼がこれまでに対峙してきた普通の『悪魔』とは明らかに違っていた。
 その青い瞳は左だけ金色に妖しく光り、顔の左半分だけ恐ろしげな「刻印」が刻まれ痛々しく埋め尽くされている。
「本物の『悪魔』ってヤツか……すげェな、全然気付かなかった」
 殺気になら過剰に反応する炯士が、不意打ちを食らったのは本当に久しぶりだった。素直に感心すると同時に、先程までの退屈な気分が一気に上昇している。
「僕は『悪魔化』した。おまえらを殺し、仲間の仇をとるために」
 無表情で淡々と言う少年からは、その言葉とは異なり何の気配も感じられない。まるで死体を相手にしているかのような、完全なる「無」だった。
「よく分かんねえけど、まだ完全じゃないみたいだな」
 少年の刻印は、未だ半分だけだ。
 それにこの少年には仲間の仇をとるという自我や人間としての意思がある。
 炯士は着ていた上着を脱ぐと、腰にきつく巻いて刺された箇所の止血を試みた。悪魔狩りとして、普通の人間よりも肉体的に強靱な炯士にとって、その傷は動き回るのに支障がない程度だった。更に、歓喜に近い興奮は彼に痛みを忘れさせていた。
「知っているか?  僕らが『悪魔化』する方法」
 少年は血の滴るナイフを片手に、炯士から適度な距離を取りつつ話を続ける。
「……誰か一人、『生け贄』を殺すってのは聞いたことある」
 傷口を上着の上から押さえ、拳銃の入っている方のポケットに手を入れながら、炯士が答える。 
「生け贄にする相手を誰にするかは……選べない。そして一度生け贄として決まると、そいつを殺したくてたまらなくなる」
 かつて、ルークを殺した悪魔が自分の『妹』を殺し悪魔化したことを、炯士は霧都やジャクリンから話に聞いていた。
 たとえ自分が悪魔だと知らずとも、生け贄を殺せば本人の自我は死に、悪魔として覚醒する。
「……僕はおまえらに復讐するため、仲間の反対を押し切って生け贄を殺し、この躰を『悪魔』に売ったんだよ」
 溜息をつくと、少年は天井を見上げた。
「つまり、俺たちを殺すために自分から悪魔になったってことか」
 炯士は目にかかる髪を掻き上げ、僅かに笑む。
「『悪魔』になれば『悪魔狩り』さえ殺せる力が手に入ると聞いた」
 そこまで言うと、少年は突然後方に飛び下がって身構えた。
 対する炯士もポケットからワルサーを取り出すなり、少年の胸目掛けて数発打ち出した。
「無駄だ……」
 銃を向けられても少年は逃げようとしなかったし、少しの動揺もしていなかった。今の彼には、その必要が皆無だったのだ。
 思わず、炯士は自分の目を疑った。確実に命中するはずの銃弾全てが、少年の身体の前で制止して宙に浮いたままの状態となり、やがて床にばらばらと落ちたのだ。
 その光景は特撮映画のワンシーンを彷彿とさせた。
「面白え……」
 身体の奥底から湧き出る歓喜と興奮の渦に身を任せ、炯士は銃を投げ捨て少年へと飛び込んで行く。
 下方から首を目掛けてバタフライナイフを繰り出した炯士を、少年はいとも簡単にさらりと避ける。炯士の早さも凄まじいが、それを余裕で避ける少年の身体能力も、もはや人間としては有り得ない域に達している。
 狙いを外したナイフは空を切り、炯士に僅かな隙が出来る。そこを逃すこと無く、少年は先ほど炯士の血を吸ったナイフを振った。
「ちっ!」
 肉を裂く独特な音を立てて、炯士の左肩から血が噴出す。服が裂け、肩から肘の上までばっさり切れている。
「ふぅん……!」
 正直に、どこか喜びの混じった感嘆の声を漏らす。炯士はたった今、彼自身の記憶に残っている範囲内で初めて、同じ相手に二撃も喰らわされたのだ。
「おまえはここで死ぬ。他の悪魔狩りも、必ず皆殺しにしてやる」
 それまで感情を見せなかった少年が、ここで漸く顔色を変えて言い放った。自信に満ちた笑みからは勝利への確信と、目の前の憎き悪魔狩りを殺せることへの嬉しさが垣間見えた。
 真赤な血で濡れたナイフを自分の衣服で拭い、再び炯士に向けて不敵な笑いを見せる。金色の瞳は一層輝き、獲物を捕らえた狩人のように鋭い。
 一方の炯士は、劣勢にも怯むことなく好戦的な目を保ち続けている。切れた服を剥ぎ取ると、抉れた肩の傷口から大量に流れる自分の血を見て、薄っすらと笑みを浮かべた。
 炯士という少年は、それが他人のものであろうと自分のものであろうと関係なく……血が堪らなく好きなのだ。
 少年は、そんな炯士を見て一瞬にして表情を変えた。信じられない程の恐ろしいものを目にし、表しようも無い悪寒を感じたのだ。
――痛みを感じていない……? 死を恐れていないのか? 
 自分の顔から血の気が引くのを感じる。仲間の命を奪い、悪魔に魂を売った罪深い自分でさえ蒼白にさせる程常軌を逸した怪物と、相対してしまっているのではないかと。
 少年は先日、悪魔狩り二人に三人の仲間が殺されたと知った夜、固く心に決めた。そして誓った。
――自分が悪魔になって、死んでいった仲間の仇を取る。
 そのためにはどうすればいいか、彼は既に知っていた。
――仲間であり生け贄でもあり、自分の恋人でもあるライアンを殺す。
 力が手に入るとはいえ、悪魔化すれば二度と元の自分には戻れない。きっと共に運命と闘ってきた仲間たちとの絆すら、消えてなくなってしまうだろう。
 『アビス』のリーダー的存在だったのもあって、少年の申し出は仲間から多大な反対の声を受けた。
 だが、彼はこれ以上仲間を失いたくなかった。そのためには悪魔狩りに抵抗する力が必要なのだ。
 少年は、いつしかライアンが自分のために用意された生け贄であることを知った。その日から、ライアンを殺したい本能的とも言える欲求に耐え続けていた。
 情交の最中でさえ、高まった衝動で彼の首に手を掛け絞めかけたことが幾度もあったのだ。
 抑えきれない力への渇望と、抗い難い生け贄殺しの欲望。二つの激情に挟まれ、少年は遂にライアンへと告げた。
――僕のためにも、皆のためにも……死んでくれないか? 
 ライアンはそれを聞くと、暫く少年を見つめたまま……やがて静かに頷いた。いつもと同じように優しげに微笑んでいたあの時の彼の顔が、今でも浮かんでくる。
「今となっては……ライアンを殺す決心をしたのが、本当に仲間の復讐のためだったのか、自分の欲望に負けただけなのか……解らない」
 対している炯士ではなく、自分あるいは他の誰かに語り掛けるようにして呟き、俯いた。 
 自分にとっては理解不能の少年の言葉を無視し、にたりと嗤った炯士は、少年の額目掛けてナイフを投げつける。
「まだ解らないのか?  無駄だ……!」
 真っ直ぐ飛んで行ったバタフライナイフは、少年が顔を上げるのとほぼ同時にちょうど目の前で止まり、力を失って地面に落ちた。
 そのまま少年は炯士の間合いに入り込み、再びその刃で炯士の首を切り裂くべく右腕を上げた。
……しかし次の刹那には、炯士の右腕が少年の躰を背から貫通していた。
「な……にィッ……?」
 胸の真ん中に近い部分を貫かれ、血を大量に吐き出す少年。炯士は突き出した手に握られている生暖かい物を握り潰すと、目を細めて悦びの声を上げる。
「あーあ……やっぱイイなァ……!  イきそうだ……!」
 上唇を舐め、快楽の頂点に昇りつめた喜悦の表情を浮かべた炯士の声は、情事の時と同じ艶と熱を含んでいた。 
 一気に腕を引き抜くと、支えを失った少年は崩れ落ちる。
 ナイフを振り上げた時から炯士に刺されるまでの間、何が起きたのか少年には完全に見えていた。見えていたので躱すこともできなくはなかったが、炯士の動きが余りに予想外だったので驚き、反応が遅れたのだ。
 炯士がバタフライを投げた瞬間、彼は全速力で少年の背後に回った。銃を撃つなら一度のみ、ナイフを振るなら一度のみといった、今までの炯士の単調な行動を見ていた少年は、パターン違いに対応できなかったのだ。
「ぐ……がぁっ……!」
 何だか解らないが、何か一つ中身を持って行かれたことだけははっきりしている。さらに肋骨が折れ、残った臓器に刺さっているようだった。
「うっわ……心臓取られてもまだ生きてんのか?  おっもしれぇなァ!」
 炯士は楽しそうに、不思議そうに言うと、膝を折っている少年の、血が流れ出している背中を思いっきり蹴り倒す。
「うっ……!」
 悪魔でもまだ完全ではない。
 自我と理性を保っているため、肉体の痛みも感じる。
「くっくっ……マジで残念だったなァ。結構イイ線行ってたのに」
 手にしていた血塗れのものをべちゃりと床に投げつけると、炯士は地に伏した少年をいたぶり始めた。
 足先をぐりぐり動かしながら傷口を押し出すと、そこから血がどんどん流れてくる。悪魔といえども心臓を取られれば死に至るが、体が人間でなくなっている分、死ににくくなっているのだ。
――ここまでか。
 少年は言葉に表し難い痛みに苦しみ悶えながら、自分の死を確信した。
――自分が死ねば、悪魔狩りに対抗できる仲間はいない。たとえ悪魔化したとしても、この悪魔狩りに必ず弄り殺される。
「ホラ、死ねよ?」
 炯士の足に力が入る。血が流れて行くにつれて、いつのまにか少年は、痛みを通り越して感覚を失っていた。
――もう、望みは無い。
 力と共に血が抜けて行って、意識が朦朧とする。
「ラ……アン……!」
――僕の狂った頼みを聞いて、僕に殺された、愛しい人。
 ライアンも、同じ悪魔の子だった。
 彼を殺し少年は力を手に入れたが、完全ではなかった。理由は一つしか思い当たらない。生贄に捧げたのが同じ『悪魔』だったからだ。
 本来なら悪魔の意思に飲み込まれ、消え失せるはずだった心も消えずに残り、彼はライアンを忘れることが出来なかったのだ。

――神に見捨てられた僕らは、死んだら何処へ行くのだろう? 
  光の国に入れない悪魔は、どこに行くのだろう? 
  流されて、彼の元に行きたい。
  それで十分―! 

「く……っ!  お……まえ……」
 残された最後の力を振り絞り、少年は自分を足蹴にしている炯士を見上げた。
「おま……え……みたいな……ヤツが、ホン……モノ……の……!」
 霞んで見えなくなっていく瞳に炯士の姿を映し、必死に言葉を吐き出す。
「あく……ま……!」
 少年が声にならない声で放ったその言葉が、炯士の表情を一変させた。
――炯士、あたしにとってあんたはいつだって……生まれた瞬間から悪魔だったよ。
  あの男と同じ顔をした小さなバケモノ、あたしはあんたをそれ以外のモノとして見たことは一度もない。
「……ア……ハハ……」
 少年から視線を逸らし目を見開いて、血だらけの左手で額を押さえる。
――死ね! 早く死ね! あんたはあいつと同じように息をしてるだけであたしをムカつかせ、苦しませて殺すんだから! 
 炯士の虚ろな目が少年の落としたナイフを見つけ、しゃがんで拾う。
「ククっ……!  黙らせてやる」
 そう言うなり、刃を下にして持ったナイフを少年の首に突き刺し、半円を描くようにして一気に掻き切った。
 するとゴボゴボという妙な音を立て、少年はやっと絶命した。
「……黙りやがった」
 ポツリと言うと、目を開けたまま動かなくなった少年の側にナイフを投げ捨て、舌打ちする。
 よろよろと立ち上がり、遠くに落ちているバタフライとワルサーを取りに行く。

――動悸が激しい……いつになく。
  久しぶりにたくさん殺ったからだろうか。
  いや、既にそんなことに過剰に反応する自分ではない。
  傷を負ったからだろうか
  いや、その痛みも消える程に
  異常な位狂ったように
  心臓が高鳴っている。

 再び武器を手にし、炯士はらしくもなく呆然と立ち尽くす。程なくして、一発の銃声が彼を現実に引き戻した。
……今度は背中の、腰の真ん中辺り。
 銃弾が炯士の体を貫通した。彼にとって、本日二回目の不意打ちとなる。
 炯士は直ぐに飛んできた方を振り返った。
 そこには、小銃を構えたジャクリンがいた。



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